ひとつ、「誹謗中傷」ってやつを書いてみる。(後編)

 ……というわけで、私は思いあまって「誹謗中傷」ってやつを書いてみようと思ったのであります。ありますが、いざ書こうとして、一向に考えがまとまらないことに気がついたのでありました。

 そもそも、ネット上にはどうしてあんなに「誹謗中傷」が満ちあふれているのでしょうか。
 しかしその答えを安直に求めるのは、けっこう簡単に思います。
 つまり、「悪口はおもしろい」からでありましょう。

 だってテレビのバラエティ・ショウなどを見ても、そんな役回りをセットした展開(悪口を言う役と言われる役とで進んでいく展開)が、星の数ほどあるような気がします。
 でもあふれかえる「悪口」や「誹謗中傷」の中で、本当にそれを「芸」にまで高めている人は、そんなにいません。
 
 かつて文学の中で、「誹謗中傷」を芸にまで高めた作家がひとりいました。(いえ、今でもご存命でいらっしゃいますが。)
 筒井康隆氏ですね。
 評論家に自作を批評されたのをとらえて、徹底的に再批評した文章を、作品として発表しました。その作品や文章が大いに芸を感じさせ、何よりとてもおもしろかったです。
 確か筆者は、こうして悪口を徹底的に書いていると「ランニング・ハイ」の様な、恍惚とした意識になっていくと書いていました。なるほど、そうなのかもしれませんね。

 しかしそんな天才的な「誹謗中傷」家は、ざらにいるものではありません。
 なぜでしょう。
 私は上記に「悪口はおもしろい」と書きましたが、ひょっとしたら本当は、悪口はそんなにおもしろいものではないのかもしれません。だって、本当におもしろいものなら、それはきっと独自の発達をしていくはずでありましょう。

 わたくし、思うのですが、結局のところ、人は愛するものを見つめていたいのではないでしょうか。好きなものを見つめ続け、それに関わり続け、そしてその対象が洗練されていくのだと思います。

 我々は本当に、「誹謗中傷」したいものをいつまでも見つめられましょうか。
 少なくとも私にとっては、とんでもない話であります。絶対に御免こうむります。

 さて、ランニング・ハイを感じるような芸のある中傷は、私にはとても難しいということがわかりました。
 つまり我が「中傷愛」の程度では、「誹謗中傷」の筆力の向上は望めず、「芸」のある誹謗中傷レベルにはとても手が届かないということがわかりました。

 潔くしっぽを巻いてあきらめましょう。
 しかしそう考えると、アマゾンブックレビューの皆さんは凄い、って、これはイタチの最後ッ屁のつもりなんでしょうかね。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

ひとつ、「誹謗中傷」ってやつを書いてみる。

 まー、ここだけの話ですがね、秘密ですけれどもね、そんなに読書家だとは思っていませんが、まー、わたくしもそれなりに本を読みます。

 いえ、本当にここだけの話ですけれどもね、私の読む本なんて、おおよそベストセラーになんかなりそうもない、いえ、中には過去においてはベストセラーだったという本はあります。例えば尾崎紅葉の『金色夜叉』とか。

 ロングセラーという言い方なら、その手の本は結構読みます。
 例えば夏目漱石の『こころ』とか、太宰治の『人間失格』とか、中勘助『銀の匙』……なんかですね。

 あ、最初の話題に戻ります。
 私はさほど読書家だとは自分でも思っていませんが、だから片っ端から本を読んでいるわけではありませんが、その上読書傾向についても、いわゆる一般的なものからかなり逸脱しているのですが、そんな私でも、たまーに「この本はないだろう」と思ってしまう本に当たったりします。

 私は基本的に読み始めた本は最後まで読むことにしています。
 それが最良であるとまで言うつもりはありませんが、まー、一応筆者が最後まで書いたものにお付き合いしようというくらいの意味です。

 だから、「この本はないだろう」と言う本も最後まで読みます。
 で、本当の話、いえ、しつこいようですがここだけの話ですよ、ここだけの話、本当に腹が立って腹が立って仕方がないという本も、信じられないことに、こんな私にもやはりあるんですねー。

 で、どうするかというと、いつもは読んだ後、黙って忘れることにします。
 そんな本を読んだという事実を、こっそり無かったことにするんですね。

 でも今回は、一つ、その真逆をやってみよう、と思い立ったのであります。
 つまり、アマゾンのブックレビューみたいなことをやってみようと。(あ、もう始まっているみたいです。)
 感情的一辺倒になって、その本をぼこぼこに貶してみよう、筆者の人格批判なんてものも書いてみよう、と。

 と、ここまで書いただけで、なんだかゾクゾクしてきました。
 何でも、新しいことにチャレンジしてみなけりゃいけませんよね。
 よーし、やったんねんやったんねんやったんねん絶対やったんねん……と、次回に続きます。


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電子ブックリーダー、その後(後半)

 ……えー、後半であります。
 前回は何を書いていたかと申しますと、まじめにしっかりと書いてみますれば、現代において一冊の本とは何かという、実に何と言いますか、深遠な哲学的テーマであります。

 そのきっかけは、タイトルにもありますように私が電子ブックリーダーを買ったことであります。電子ブックリーダーには、一冊の本という単位がないのであります。

 ……と、いうのは少し言い過ぎの感がないわけではありません。一冊という単位ではない本があふれているというべきでありましょうか。一冊という単位がないのは、もっぱら私が読んでいる、無料でネット空間にある本がほとんどであります。

 例えば太宰治の小説に『魚服記』という作品があります。
 この作品は文庫本で読むときは大抵『晩年』という太宰自身が編んだ短編小説集の中の一作品として読みます。だから、一冊の読書という単位でいえば、『晩年』を一冊読んで完了となります。

 ところが青空文庫では、『晩年』収録の15作の短編小説が、みんなバラバラでリーダーに取り込めるわけです。この例のように作品集『晩年』と一短編小説『魚服記』の関係がはっきりとわかっていれば、かつての「一冊」にこだわることもできましょうが、普通はもうこうなってしまうと「一冊」という読書単位は存在しません。
 こんな状況において、本当のところ読書記録はどうすればいいのでしょうか。

 以前、ネットをぶらぶら覗いていて、「読書メーター」なるものを見つけたことがあるのですが、そこに設定されいてた単位は、あるものは「ページ」であったり、あるものは「字数」であったりしました。

 しかし、ページについては、実際リーダーにおいては文字の大きさが可変であるため無意味ですし、「字数」というのもまた、あまりといえばあまりな単位ではありませんか。
 そんなことないですか? 

 というわけで、読書単位の崩壊に私は真実戸惑っているのですが、このような状況になって改めて分かったことが、冒頭に書いた「現代において一冊の本とは何か」というテーマであります。

 かつて「万巻の書を読む」という言い回しがありましたが、もはやこの言い回しが成立しません。
 「万巻の書」は無理としても、私は私なりに一冊でも多くの本を読みたいと思っていたのですが、ひょっとしたら、私のそんな遥か時代遅れの教養主義的文化観が、今断罪されようとしているのでしょうか。

 ……うーん、本当に、どなたかアドバイスをいただけませんでしょうか。


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電子ブックリーダー、その後

 先週に続いて、電子ブックリーダーによる読書を考えてみようと思います。
 というのも、リーダー(面倒なので、以下、「リーダー」と書きますね)による読書は、私自身に、これからの読書スタイルをどうするかという問を突きつけているような気がするからです。
 ……とは、少し大仰な書き方になりましたが、それはつまり、読書記録の単位をどうするか、ということであります。

 今も手元にあるので、いつのことか分かるのですが、私は1984年の12月から「読書メモ」を書いています。
 その切っ掛けになったのは、出版社に勤めていた友人から、新しい国語辞典の製本見本(確かそれらしい名前があったと思うんですが、忘れてしまいました)、つまり本の大きさやページ数はできあがりそのままでありながら各ページが真っ白な本を貰いまして、それを読書メモに始めたのであります。

 そののち、その分厚かった見本本も全ページ読書メモで埋まってしまい、それからはエクセルによる記録に切り替え現在に至っています。
 で、その読書記録なのですが、それが一冊の本という単位での記録になっているわけであります。

 ……でも、どうですか? 一冊の本という単位の読書記録って、もっとも一般的ですよね?

 もちろん、一冊という単位の読書記録にも幾つか「ムリ」があります。
 一冊の本の分厚さの違いはどうするのか、途中でやめた本はどう勘定するのか、と言うのがその代表的なものだと思いますが、それは私自身の中でルール化されています。

 最初の「ムリ」については、私は本のページ数は問わないと、決めています。
 例えば私の持っている『風流仏・一口剣』幸田露伴(岩波文庫)は本文99ページです。一方、『告白』町田康(中公文庫)は本文842ページです。
 私のルールによりますと、共に「一冊」にカウントされます。

 確かに、かなりムリがあるような気がしまね。
 例えばこんな事も起こります。
 菊池寛の『真珠夫人』は新潮文庫だと上下2冊ですが、文春文庫だと1冊に収まっています。さて、この場合は?

 ……えー、ちょっと面白いから、次回に続きますね。


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電子ブックリーダーを買ってみました

 新しいものとか、はやりものにほとんど手を出そうとしない、きわめて保守的な人間でありまして、まー、言ってみれば、あまり「面白味」のない人間と言うことでありましょうか。

 そんな私が、この度電子ブックリーダーを買ってみました。
 しかし考えてみれば、電子ブックリーダーも、もはや新しいものでもはやりものでもなく、おまけに私が思っていたよりも遙かに安いと言うことを知ったもので、つい、買ってしまったわけであります。

 かなり以前からそんな製品があることは私も知っていたのですが、必要性をその時はもうひとつ感じませんでした。しかし昨今、文庫本の小さな活字がかなり苦労になってきまして、以前この製品について少し考えていた、もし利点があるとすれば、字の大きさを自由に変えられることくらいだろうかというそのメリットが、改めて私の中で注目されてきたわけでありますね。

 で、買ってみまして、……うーん、かなり、違和感がありますよねー、今のところ。
 一番の違和感は、私は読書をしていて気になった個所なんかが出てくると、ちょっとページの隅を折ったり付箋を貼り付けたりするのですが、それが出来ないことです。
 電子ブックリーダーにも、それらしいことのできる仕掛けがあることはあるのですが、慣れないせいか、どうも使いづらく、不満足であります。

 私は、読書感想文めいた文章を書くことを趣味の一つにしているのですが、読書中のそんなチェックがしづらいとなると、そのための本をこの電子ブックリーダーでは読めないということで、少しどうしたものかと思案中であります。

 そのほかにも小さな「違和感」はもう少しあるのですが、今回は、そのかわりといってよいメリット部分を、以下に指摘してみたいと思います。
 今のところで、みっつくらい、これはなかなか便利だ、を私は見付けました。

 その1は、本来想像していたメリットであります。文字を少し大きくして読むと、目が一気にぐっと楽になりました。思った通りとはいえ、さすがに優れものであります。

 その2。「ながら読書」がとってもしやすいこと。
 それは、手を当てておかなければ、ページがばさっと閉じられてしまう心配が全くないことで、片手に御猪口を持ちつつ、もう一方の手にはお箸も持ちつつ、そして目は小説を追うなんて「行儀の悪い」読書が、実にとっても便利にできてしまいます。

 そしてその3。
 電子ブックリーダーで読む方の文章のことですが、インターネット内の「青空文庫」に無料の書籍がたくさんあるんですね。
 そもそも、著作権の切れたような文学者の作品が、私はとても好きでありまして、まさに宝の倉にはいったようであります。
 あれこれとそんな作品を見付けるままに取り込みまして、おかげ様で今まで読んだことのない人物の文章を、このところいろいろ読むことが出来ました。

 と言うわけで最近初めてその文章に接して面白かったのは、味の素を作った池田菊苗、料理評論家の北大路魯山人、名前を文学賞に残す直木三十五、日本SF小説の草分け海野十三などなど、おそらく、このブックリーダーがなければきっと読むことの無かった人々であります。

 これは結構、いえ「違和感」と天秤に掛けても、本当に、愉しい。


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「村上春樹本」についての考察

 村上春樹氏が新作小説を出版なさいまして、それが再三ニュースなどでも取り上げられているように、凄い売れ行きでありますね。
 誠に結構なことでございます。

 ネットなどでちらちら見ていましたら、発売日の夕刻にはすでに感想がアップされたりしています。すっごくほめている感想もいっぱいある中で、なかには、巻頭から数ページだけ読んで放り出した、買わねばよかったなんて感想まであって、ちょっとどうかと思うのですが、いかがなものでしょうかね。

 もちろん個人がどの本を購入し、そして数ページで読むのをやめるのは全く自由であります。しかしその自由と、それを広く世間に公開するのとは、少し違うように思うのですが、どうでしょう。

 ……えーっと、私はそんなことを書こうとしていたのではありませんでした。
 私はこの度、村上春樹本を続けて2冊読んだと言うことを書こうとしていたのでありました。

 「村上春樹本」とは、そんな言い方が正しくあるかどうか知らないですが(たぶんそんなのはないでしょう)、少し緩やかに言い換えますと「村上春樹の研究本」ですね。
 村上春樹にはこの手の研究本がとっても多く、実のところ食傷気味であります。

 私も一時は結構この手の本を読んだのですが、今回久しぶりに2冊続けてそんな本を読みまして、あ、やっぱりついていけんな、と思いました。
 きっと素晴らしい研究も中にはあるのでしょうが、まー、玉石混淆とは少し言い難く、ほぼ「岩石混淆」状態であります。

 結局どこに違和感があるかといいますと、私この度、読んでいる途中で分かって参りました。これは、心霊写真のあほらしさであります。
 「あほらしさ」なんて書くと、いろんな所から御批判を受けそうですが、もう少し穏和に表現すれば、あほらしいような心霊写真がある、ということですね。

 そもそも人間の顔じみた映像なんて、黒点が逆三角形状に3点あればそう見えるものであります。それを、ここに霊が写っています。あっ、ここにも霊がっ! と三黒点を示すあほらしさ。
 実は、少なくない「村上春樹本」がこの状態になっているのであります。

 ……おや、知らぬ間に、「悪口」を言っているような指摘になってしまいました。
 本文冒頭で、そんな指摘は、ナーバスな上にもナーバスにすべきであると自ら述べたばかりでありますのに。

 なかなか人の振り見て我が振り直すのは難しいですね。
 でも、「村上春樹本」の心霊写真化につきましては、読んでいただければきっとすぐに分かっていただけるものと思うのでありますが……。


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「後世への最大遺物」とは何か(その4)

  『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三(岩波文庫)

 上記の本の読書報告の四回目になってしまいました。いくらとても面白い本でありましても、そろそろ終わりにしなければ、いつもながら顰蹙ものであります。
 がんばって終わらせます。

 さて、若き日の内村鑑三氏が、悲嘆を繰り返した後手に入れた考え方はこういうものでありました。整理して書いてみますね。

 まず内村青年はこう考えます。
 今まで挙げた「後世への最大遺物」は、実は「最大遺物」ではなかった。
 その理由は、まず、これは誰もが残すことの出来るものではないこと、次に、確かに有益なものではあるが、害も同時に伴っていること、の二点である。

 そして、このように続けます。原文を引用してみます。

 それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりがあって害のない遺物がある。それは何であるかならば「勇ましい高尚なる生涯」であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。


 ……うーん、この辺の展開が、感動的といえば感動的であります。
 が、しかし、なんかいきなり闇夜で鼻を摘まれたようだとも感じちゃいますねぇ。

 ともあれ、この考えの基、内村青年は「勇ましい高尚な生涯」を送り、なるほど、後世に立派な名を残したのでありました。

 ……あのー、すみませんが、もしもお暇なら、この話題の第一回目に戻ってみてくださいませんかね。
 そうすると分かりますが、なんだか、「ねずみの嫁入り」、メーテルリンクの「青い鳥」みたいな話でありますね。


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「後世への最大遺物」とは何か(その3)

  『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三(岩波文庫)

 上記の本の読書報告の三回目であります。とても面白い本であります。
 前回まで報告したのはこういう事でした。

 筆者の若かりし頃の青年内村君が考えた、「後世へ我々の残すもの」はこの順番で4つであります。

 (1)お金
 (2)土木的事業
 (3)思想(哲学・文学)
 (4)教育


 これはなかなか面白いランキングですよね。
 一番目のお金は、もちろんその富を社会に有効に用いるのですね。
 二つ目の土木的事業というのは、例えば大阪にある「道頓堀」みたいなものですね。ある人が頑張って土木的事業をしたことが後世の人々にどれほど有益となったか、というパターンであります。

 三つ目の思想もよく分かります。社会が劇的に変化したその背景に、優れた思想家がいたことは歴史上後を絶ちません。
 四つ目の教育というのもそのセットみたいなもので、自らが優れた思想をうち立てられないのなら、過去のそれを広く人々に知らしめる仕事としての教育であります。

 こうしてみると一つ一つについて、とても説得力がありますね。
 で、内村青年はどれを選ぶかというと(実は、1番目から考えていって、これはダメだからその次、と進めていったのですが)、自分はみんなダメだと思っちゃうんですねー。
 謙遜青年内村君であります。

 そうして内村君はとても失望してしまいます。
 自分は後世に何も残すことはできないのだと、悲嘆の念を発するのであります。

 しかしここから、内村君はなんと、コペルニクス的転回のような考えを編み出すんですねー。
 それは何かといいますと、……、あ、すみません、次回に続きます。


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「後世への最大遺物」とは何か(その2)

  『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三(岩波文庫)

 前回の続きであります。
 内村鑑三の講演の文章であります。とっても面白いです。

 筆者内村鑑三がまだ無名であった若き日、ある日青年内村はこんな風に考えます。
 自分も一人の男子としてこの世に生まれた以上、何とかしてその名を後世に残したいものだ、と。
 そして、既にキリスト教徒であった内村青年は、親しくしていた牧師さんに相談に行きます。

 ところがこのことを打ち明けると、牧師さんからあっさり否定されてしまうんですねー。
 「クリスチャンは功名をなすべからず」とか何とかいわれて。

 うーん、と唸りつつ、内村青年は、しかし負けずに考えます。
 これは私の言い方が悪かったのだ、名を残したいと言ったのが良くなかった、私のしたいことは名を残すことではなく、少しでも世の中を良くしたいことだった、そしてその結果として名前が歴史に残ることを考えたのだった、と。

 なるほど、これならどこからも文句は出ませんよね。
 そこで内村青年は、自らの志についてさらに考えていきます。
 具体的にどうすればいいのか。
 後世へ我々の残すものの中にまず第一番に大切なものは何か、と考えます。

 ……えーと、すみません。この調子で書いていきますと、とても簡単には終わりそうもないので、以下、かなりまとめつつ端折りつつ、「マキ」で進んでいきますね。

 内村青年が考えた「後世への最大遺物」はこの順番で4つでした。

 (1)お金
 (2)土木的事業
 (3)思想(哲学・文学)
 (4)教育


 ……うーん、これはなかなか面白いランキングですよね。
 というところで、すみません、また次回に続きます。


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「後世への最大遺物」とは何か(その1)

  『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三(岩波文庫)

 読書について、かつて私は興味のままに、片端から何でも読んでいましたが、ある時ふと何故かこんな風に考えました。

 いい年をして、いつまでも「乱読」ではないな。

 以降、もっぱら一番好きだった、近代日本文学を中心に読んできました。
 だからこの手の本は、最近あまり読んだことがないのですが、知り合いの女性にとってもいい本だと勧められて、読んでみました。

 なるほど、とってもいい本であります。
 まず、筆者内村鑑三についてですが、氏に対する私の知識はほとんど皆無であります。
何となく知っていたのは、氏がキリスト教徒であることと、確か、何かの「不敬罪」と関係していたんじゃなかったか(本書を読んでいて少しずつ思い出してきたのですが、日露戦争時に反戦論を展開した方だったなとか)、という程度で誠にお恥ずかしい。

 ただ、近代日本文学をまとめて読んでいて私は経験したのですが、それなりに歴史に名前の残っている人の作品というものは、好き嫌いは別として、やはりかなり優れたものであるということであります。だから、内村氏のこの本についても、一種「安心」し「期待」しながら読んでいましたが、それに違わぬいい話でした。

 これは講演を文章にしたものであります。
 二つの講演ですが、話としては、二つ目の「デンマルク国」(いわずと知れた「デンマーク国」のことですね)の方が具体的で面白いです。戦争に敗れ、国力が落ちてしまったデンマルク国が、いかにして国家を立て直すに至ったかを書いた話ですが、今読んでもとっても納得してしまいます。(少しだけ内容を書きますと、国を富ませるために最も大切なものは植林だという話です。)

 でも今回は、一つ目の講演について、簡単に紹介してみますね。
 これもとても面白い話です。

 ある時、まだ青年だった筆者は、こうして世の中に、日本に生まれた以上、何とかして我が名を歴史に残したいものだと考えます。そして、親しい牧師さんに相談に行くのですが……。

 というところで、えー、すみません、次回に続きます。


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