今さらながら、すごい。

 ……えーっと、以前「わたくし、『古い日本映画を見る会』の一人会員でありまして…」と書いたのですが、その後もわたくしの「一人会員」はどんどん増えていきまして(よーするに「一人遊び」が好きなんですね。孤独な性格であります)、現在のメインの「一人会員」は、「石ノ森章太郎の古い漫画を愛でる会」であります。

 少し前までは「手塚治虫作品のコンプリートを目指す会」だったのですが、何とか有名どころの作品はかなりそろったので(これ以上は「レア物」になって、高価になりそうなので)、ちょっと一段落しました。

 さてそこでと、あたりを見回せば、やはり手塚治虫の次は石ノ森章太郎であろう、と。
 と、そんなに順を追って考えたわけでもないのですが、何となく石ノ森氏の漫画本を集めるともなく集めていましたら、たまたま大阪の歴史博物館というところで、手塚治虫と石ノ森章太郎の展覧会が行われており(3月10に終わっちゃいましたが)、私は勇んで見に行ったのでありました。
 その時の半券がこれです。↓

img039.jpg


 ……いやー、この展覧会はなかなかよかったですねー。
 質量共に非常に見応えがありました。
 私はとても興味深く様々な展示品を拝見し、そして満足して会場出口に行きますと、最近の展覧会には必ずつきものになっている「グッズ売り場」に出ました。
 そこで絵はがきの数枚でも買おうかと思い、手塚・石ノ森それぞれの商品を見ていて、私は思わず唸ってしまったのであります。

 ……石ノ森章太郎は、実に絵がうまい。

 どうも私は世の中の事に疎い人間でありまして、様々な出来事や現象、事物などに対する世間的評価というものをまるで知らないのですが、この度、石ノ森氏の絵はがきを見ていて、今さらながらその絵のうまさに激しく驚いたのでありました。

 そしてこの後、私の石ノ森章太郎漫画の収集はさらに拍車がかかるのですが、それはまた少し別の話題として、後日。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

こんな古いこんなに凄い漫画がある。

  『菜の花畑のむこうとこちら』樹村みのり(朝日ソノラマコミック文庫)

 時々古い漫画が読みたくなります。そんな時現代は便利なもので、アマゾンやオークションでその種の本が簡単に買えます。だから我が家にも、その時々に買った、一緒に並べてみるとあまり纏まりのない何冊かの古い漫画本があります。

 ともあれ今回は「樹村みのり」です。上記に紹介した文庫本は新しい文庫本ですが、収録されている作品は1970年代後半中心の11の短編です。どの作品も私は一度は読んだことのあるものでした。
 そして今回読んでも、とても面白かったです。

 「懐メロ」の流行歌が、現在の流行歌より良いと思うのは、記憶のトリックであるという説を聞いたことがあります。
 そもそも「懐メロ」として現在残っている歌は、時代のヤスリに耐えて残った歌であって、残ったというだけですでに選ばれた曲で、いいに決まっている、と。

 同様の理論を、何年も経って読み返してみたい漫画に当てはめれば、読み返そう(もう一度本を買いなおそう)と思った時点で、すでに読書の快感の再現の準備ができているというわけですか。なるほど、読み直して感心するのも当たり前、ってわけですね。

 まず、絵は、……まー、絵は、作家が自分の個性で書いているわけですから、うまいとかうまくないとか言っても仕方ないかなと思うのですが、例えば、同じく漫画家の鳥山明や大友克洋(このへんの世代の方しか知らないんで、すみません)の絵をうまいというのなら、樹村みのりの絵はあまりうまくないのかも知れません。
 少女漫画的なデフォルメとも思いますが、時に、口が大きすぎる感じです。(でも、モディリアーニの絵を見て、首が長すぎるだろうといっても仕方ありませんものね。)

 一方ストーリーですが、作品中に点在するコミカルな挿話に、時々理に落ちすぎるものがあって、そんなのは少々私の好みに合いません。
 しかし、そんな絵とか挿話を大きく越えた全体の話の流れが強引に持って行く先に、あふれ出すような詩情が待ちかまえており、読者はそこに吸い込まれるように感動・感心してしまいます。実に、見事な力業であります。

 11の短編が収録されていると書きましたが、そのうち7作は連作です。残りの4作中3作は、これは連作ではないようですが、どれも結婚がテーマの作品です。
 残った1作、『おとうと』というタイトルの21ページの掌編ですが、実はわたくし、これが読みたくてアマゾンで探したんですね。

 えらいものですねー。読んでいると昔の面白さがそのまま蘇ってきました。
 この作品は、作者が19歳の時の作品だそうですが、見事な構成力です。何度読んでも感心するのはいったいなぜなのかと思いますが、それがそう簡単には分かりません。ひたすら感心するばかりです。(どなたかぜひ分析していただきたいんですがー。)
 
 そんな作品集でした。
 こんな古い凄い漫画を読んでしまうと、ますますむかーしの、記憶の底の「名作」を、次々探し出して読みたくなってきます。うーん、困った。(別に困りませんか。)


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

古い漫画の話を(その1)

 文芸評論家の小林秀雄が、こんなことを言っています。

 生きている人間というのはやっかいなものだ。次の瞬間に何をやらかすものやら見当が付かない。その点、死んだ人間は、遙かに人間らしい姿をしている。だとすると、人間とは、人間になりつつある過程の存在のことをいうのではないか、と。

 ……と、思い出しながら書いて、はて、この一文は小林秀雄のどんな文章からの引用だったかと考えれど思い出さず、ただこの表現を坂口安吾が批判している文章なら覚えていて、とすれば、私は直接小林秀雄の文章を読んだのではなく、安吾からの孫引きの部分を覚えているのかも知れません。(坂口安吾『教祖の文学』)

 どちらでもいいようなものの、やはり加齢のせいか、いろんな記憶が混乱しつつあります。
 さて、何のためにこんな話から入ったのか、私は、古い漫画のことを書こうとしていたのであります。

 ……思い出しました。私が書こうと思ったのは、小林秀雄が述べる「生きた人間」より「死んだ人間」というように、古いものの方がよくわかるとは、決して思わないと書こうとしたのでありました。

 つまり今から、先日読んでいた古い漫画のことを書くに当たって、古い作品の方がいいとは全くいうつもりはないとまず述べてから、私の読んだ古い漫画について書こうとしたのでありました。

 人気の新しい漫画には、必ずや人気であることに耐える面白さがあると信じています。
 かつて誰の表現だったか、こんな言い回しを覚えています。(細かな言い回しは違っているかも知れませんが。)

 「まだ『スターウォーズ』を一度も見たことのない人や、まだ泉鏡花の『夜叉が池』を読んだことのない人たちがとてもうらやましい。なぜなら彼らは、これから、この上ないすばらしい楽しみを初体験することができるのだから。」

 ……まだ読まぬ新しい作品もきっと面白いと思います。
 ただ私は、私自身がかつて読んだこんなお話もとても面白かったと、小さな声で語りたいと思います。
 その一回目はこんな作品です。

  『菜の花畑のむこうとこちら』樹村みのり(朝日ソノラマコミック文庫)

 次回に続きます。


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「天才」赤塚不二夫の陰と光

  『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』武居俊樹(文春文庫)

 赤塚不二夫が亡くなってもう3年以上にもなるんですね。
 日本の児童漫画を言葉のままに「クリエイト」したと言っていい人々、それは手塚治虫から始まって、石ノ森章太郎、藤本弘、横山光輝そして赤塚不二夫など、私もかつて大いにわくわくしながらむさぼるように読んだ漫画の巨匠達が、ここ数年の内に、櫛の歯が零れるように亡くなっていきます。

 世代交代は世の常といえばその通りでありますが、オールドファンとしては、正直淋しいところがあります。
 そんな赤塚不二夫のことを、「少年サンデー」の編集者であった筆者が書いた本です。

 私はとても面白く本書を読んだのですが、私が少年時代に、人気漫画家としての赤塚不二夫に対して抱いていたイメージ、そして十代後半から二十代の私が同じく抱いたイメージなどが、彼のすぐ側で仕事を同じくしていた筆者によって描かれたものと(当たり前ながら)微妙に違っていたのが、私にとって本書の感想のうち、最も感慨深いものでありました。

 それは一言で言えば(そして私なりのバイアスの掛かった言い方で言えば)、天才的な漫画表現者も日々苦悩を負っているということであります。
 ただ同時に、赤塚不二夫の才能の質は、そんな自分をも笑い飛ばすところにあったということも、本書で大いに知りました。

 本書の中に、44歳の赤塚がテレビの「家族対抗歌合戦」で、水兵の扮装で歌った軍歌『月月火水木金金』の替え歌の歌詞というのが書いてあります。こんなのです。

  朝だ夜明けだ 水割り飲んで 今日も暇だよ 仕事がないぞ
  漫画書きたい 連載こない 過去の男だ 仕事がしたい 月月火水木金金


 現在でこそこういう「自虐的」ギャグは多くのタレントが用いるものでしょうが、まさにそんなギャグの濫觴といって相応しいと思います。
 そして私がつくづく思ったのは、あの天才赤塚不二夫でさえ、44歳で連載がこなくなっていたということでありました。

 世の中には様々な職業世界がありますが、その多くの世界は、永劫回帰のように胸を抉るような厳しさ苦しさを内包しています。
 しかし同時に、その世界で戦い傷つき、そして去らざるを得なくなった人々のことを、やはりある種の敬意と共に、決して忘れることはないのだと、私はこの度の読書でつくづく思うものでありました。
 そしてこんな感想こそがきっと、赤塚不二夫が一番に笑い飛ばす絶好の対象であるということも。


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ページから音楽が聞こえてくるような

  『のだめカンタービレ・1~25巻』二ノ宮知子(講談社)

 纏まって一気に漫画を読み終えるというのは久しぶりの体験です。
 私が漫画をもっぱら読んでいたのは、んー、高校二年生くらいまででしたかね。それ以降は、何というか、あまり読んでいません。

 これは全く個人的な趣味の変化です。例えばかつて私は、かなりディープに熱帯魚を飼っていたことがあるのですが、今は、家の坪庭の鉢に二匹、金魚を飼っているばかりです。
 特に理由はないんですが、あえて言えば阪神淡路大震災が、この趣味が無くなった事に少しは影を落としているでしょうか。

 変な話になりましたが、『のだめカンタービレ』の話であります。
 そもそもわたくし、「はやりもの」は大概はやりの終わった頃に初めて手にします。そんなどんくさい性分なんですね。
 そもそもこの漫画を、わたくし最初は、知人の女性にこんな風に紹介されました。

 「ページから音楽が聞こえてくるような漫画ですよ。」

 でも、そういわれても長く手に取らなかったのですが、先日、公立の音楽高校生徒によるクラシックのミニ・コンサートに行ったら、出演者である女子高生の多くが、作品紹介の時にささっとこの漫画のタイトルに触れていくんですね。

 なるほど、そんな漫画なんだと認識を新たにしまして、ネットで調べますと、いわゆる「大人買い」ができるということでセットで買いました。
 そしてどさっと家にやってきた漫画本を、先日の週末一気に読みました。

 いやー、面白かったです。
 残念ながら、私にはページから音楽は聞こえてはきませんでしたが、それでもそんなこととは関係なく、とっても面白かったです。

 おもしろいなーおもしろいなーとおもしろがりながら読んでいますと、当たり前ながら全25巻の本ですから25巻目には終わるんですね。(実は「本編」は23巻目に終わっているんですが。)

 その時私は、突然「おやっ?」と感じてしまいます。
 えっ? このお話って終わってしまうんだ、と。

 これってきっと、私がとっても面白がって作品を読んだということですよね。
 かつて小説家の丸谷才一が、少年時代とにかく長い小説を読むことを好んだ。小説が終わることが嫌だった、という趣旨のことを書いていたのを思い出します。

 この音楽漫画はそんな、お話が終わることに「違和感」を持ってしまうような面白い漫画でした。
 今更ながら、当たり前でしょうが、娯楽作品においてベスト・セラーはあなどれませんねー。


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表現に重点を置いた漫画評論

  『手塚治虫の冒険』夏目房之介(小学館文庫)

 この著者は、言わずとも知れる漱石の孫ですね。漱石関係の文章なんかも書いていらっしゃいます。
 でもこの人はそもそも何やさんなんでしょうね。いろんな事柄に対する文章をお書きのようですが、そんな中で、漫画評論については、結構有名であると僕は思ってるのですが、実際はどうなのかよく分かりません。
 ただ、その漫画評論の部分が、国語の教科書に取り上げられたと言う記事を、確か新聞で読みました。

 えー、そもそも漫画評論を長く読んだことがなかったので(昔、鶴見俊輔なんかが書いていたのを読んだことがあります)、というよりそもそも文芸評論を含めても、現代の最前線の評論がどのようなものであるのか、実はよく分かっていません。

 だから、この夏目房之介の漫画評論がどの辺に位置づけられるのかよく分かりませんが、論じるにあたって、表現面に重点を置いて行なっている本書は、僕としてはその出現を「待ちかねた」という感じで、とても良かったと思います。つまり、ストーリーやメッセージより、コマと描線を重視するわけですね。
 例えば、白土三平の漫画のこんな一カットを取り上げて、下記のように述べています。

夏目房之介白土三平

 蛍火という女忍者が鞭で着物を破られ、胸がみえるという場面にも、独特のエロティシズムがあった。ここで象徴的なのは、着物や刀は戦闘のためのもので、ほかの忍者を描く描線と変わらないけれど、あらわになった胸だけが柔らかい。なんかせつないような気にさせられる。暴力的な描線との対比をみせながら、柔らかい描線が悲劇的に断ち切られて、侵犯されるエロスみたいな感じがする。

 こういった表現への着目は、現在では割と当たり前なんですかね。
 上述の鶴見の本なんかには、こういった分析はなかったように思いますね。でも当たり前だけど、何が言いたいのかもさることながら、それをどう表すかは非常に重大な要素であります。
 というふうに読んでいくと、結構面白い漫画評論でした。

 ただ、なんだかヘンな感じもするんですが、筆者が、今度はこの作品は何が言いたいのかという、「表現」に対して「内容」に触れたとき、うってかわって、かなり僕としては納得しがたいヘンな感じの評価をなさっていました。
 なんか、ちょっと、そのへんの連動の仕方がよくわからなかったのが残念です。


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