学びなおしの文学理論へ

 『超入門! 現代文学理論講座』亀井秀雄・蓼沼正美(ちくまプリマー新書)

 わたくしいよいよ人生の黄昏を間近に迎え、この度よく言われるところの「学びなおし」を考えたのであります。
 そして、さて何を学びなおせばいいのかと考えまして、少々迷いもしましたがやはり一番好きな学問は文学かな、と思い至りました。

 今「人生の黄昏」と書きましたが、実際のところあれこれ煩わしいこともまだありまして、もう少しの間は結構忙しい、と。
 しかし、その日々の終了を待ってからというのではちょっと遅いのではないかという気もありまして、そうだ予習をしようと思い立ったのであります。

 実はわたくし、結構予習の好きなタイプなんですね。
 いえ、学生時代の頃の勉強については、まったくそうではありませんでした。
 おそらく多くの方々と同様に、予習復習なんて大嫌い学生でした。

 予習が好きなのは、趣味の活動についてなんですね。
 例えば、今度コンサートでブルックナーの交響曲を聴きに行くとなりますと、朝比奈隆のCDを先に聴いてみるとか、モディリアーニ展に行く前にちょっとネットで調べてみるとかであります。

 文庫本を買う時に、解説を先に読む方がいらっしゃると思いますが、わたくしもそのタイプでして、これはまぁ、言ってみれば「予習」をしているわけですね。
 だから、予習好きな方は本当は世間には結構いらっしゃるはずだ、と。

 ということで、この度わたくしは何冊かの文学理論の本を読んでみました。
 思い返せば、文学理論なんて大学時代にも誰にも教えてもらわなかったような気がします。あるいは積極的に学べば、その時代にも学べたのかもしれませんが、いかんせんその頃は「予習復習大嫌い学生」でしたので、うーん、無駄な日々を送っていたものですなー。(そして、現在においても多分同様。)

 だから、当面は極めて極めて初心者用の本をチョイスしようということで、とりあえず本屋さんの棚で眼についた冒頭の本書を選んだわけです。

 本書に書かれている「文学理論」はとりあえず4つでありまして、

 「ロシア・フォルマリズム」「言語行為論」「読書行為論」「昔話形態学」

 と、順に説明されているのですが、細かい部分は置いて一言で言いますと、作品の表現を可能な限り作者から独立させて、作者を外したところで様々なもの(社会情勢とか先行するあるいは同時代の文学作品とか心理学とか)と比較しながら読んでいこうというものです。(たぶん。)

 なるほどねぇ。確かにこうしたほうが学問ぽくはなりそうな気がしますね。
 作品理解について作者の考えこそを最重要要素としてしまうと、特に現存の作者の作品については、何を論じても作者の鶴の一声で決定してしまい、学問的客観性がもたない気がします。

 という「文学理論」の本でした。
 「超入門」ですから。
 これから、おいおい、難解なものに……。(「難解」は、たぶん、ないな。頭がもちません。)

 最後に少しだけ別のことをいいますと、私が本書を選択したのは前書きに中島敦の名作『山月記』について、あっと思うような読みが書かれていたからでもあります。
 しかしこれについては、説明が少々煩瑣になりそうなので控えておきます。
 でも、本当にあっと思うような読み方だったんですよ。


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あの事件から、もうすぐ半世紀になるんですねぇ……

   『木橋』永山則夫(河出文庫)

 永山則夫ってのは、例の永山則夫ですね。1968年、四件の連続ピストル射殺事件の永山です。
 ……うーん、事件からもうすぐ半世紀になろうとしているんですねぇ。
 1997年に東京拘置所で永山の死刑が執行されてからでも、もうすぐ20年なんですものねぇ。

 えーっと、わたくし、何となくこの作者には興味がありまして、今となってはほぼ昔になりますが、かつて同作者の『無知の涙』とか『人民を忘れたカナリアたち』とか、はたまた確か佐木隆三だったと思いますが、永山の事件のドキュメントなんかを読んでいます。
 今回は、ブック・オフ108円本ではありますが、なかなか興味深く読めました。

 とはいえ、この小説集を純粋に文学作品としてのみ読むことは、まー不可能でしょう。殺人犯作者の作品という予備知識を外すことはできません。でもそう言った思いで読むと、それはそれでまた興味深いものがあります。
 それは、かつて誰の文章で読んだ言い回しか、よくわからないんですが、こんな趣旨の言葉。
 
 「子供が15歳になるまで社会がその子を守ってやらなければ、その次には、その子から社会を守らねばならなくなる。」

 この言い回しの意味するものが、永山の生い立ちを読んでいるとそのまま描かれていることがわかります。
 永山少年が、徹底的に社会から保護されることのない少年期を送っていたことが、これらの作品から痛々しいほど読みとれます。全く、一人の人間をスポイルすることは、ひょっとしたらぞっとするほど簡単なことなのかも知れません。

 そんな人間としての尊厳を徹底的に認められなかった少年の記録は、或る意味、永山則夫のような存在にしか書けない部分が確かにあると思われ、いろいろと異論はあるとは思いますが、永山の死刑執行にはやはり「惜しい」ものがあったという思いを、この度の読書で改めて確認しました。

 1983年、本短編集の総題になっている小説『木橋』で、永山則夫は第19回新日本文学賞を受賞しています。
 そんな本でした。なかなか面白かったです。




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自殺者を生み続けるシステム

  『幽霊人命救助隊』高野和明(文春文庫)

 知人に勧められて、上記の小説を読んでみました。
 こういう小説のジャンルって、何というんでしょうかね。裏表紙に書かれてある宣伝文(と言うんでしょうか)には、「傑作エンタテインメント」とあります。
 ただ、私のイメージの「エンタテインメント」とはちょっと感じが違います。
 かなりバイアスの掛かった言い方ですが、ずっと真面目な、かつ地味な小説という感じがしました。

 お話は、ほぼタイトルの意味するままに、自殺して亡くなった4人の男女の幽霊が、「神」に命じられて、これから自殺を企てる人々のレスキューをするという話で、なるほどこんな風にまとめてみると、「エンタテインメント」という感じはしますよね。

 結構長い小説です。文庫本で600ページほどもあります。
 しかし、想像するようなアクションもアドベンチャーもあまりありません。(読めば分かるのですが、自殺企図者を救助する方法が、考えようによってはとってもコメディアスな方法なんですね。)
 彼らは多くの自殺者を救助していく過程で、畢竟人はなぜ自殺をするかという原因究明に乗り出して行かざるを得ず、そしてそれが、私が上記に書いた「真面目」「地味」に繋がっていきます。

 つまり、現代日本人が自殺する原因というのは、当然ながら、現代日本国家の持つもっとも先鋭的かつラディカルな社会の歪みの現れであるわけです。

 自殺実行の最後の引き金は、ほぼ100%そこに「鬱状態」があるものの、至るプロセスは千差万別であり、しかしまた、きわめて類型的とも言えます。
 その共通項をおおざっぱにいえば、「ストレス」と「お金」であり、それを抱え込む側(自殺企図者)に共通する性癖は「勤勉・真面目」であります。

 ただここまでの解説なら、マスコミなどですでに幾度となくコメントされている内容でありましょう。
 しかし本書は、長いお話の終盤あたりから、「お金」を巡る自殺企図者の原因を追求していく中で、日本という国の経済のあり方そのものが、たえず自殺者を生産し続ける原因となっていると言うことを、実際の資料を話に組み込んでいきながら、明快かつきわめて高い説得力で述べていきます。このあたりは、実に圧巻でありました。

 それは説かれてみれば当たり前とも思えることで、年間三万人もの人々が多年にわたって自殺し続ける原因が、個人の責任や資質だけに求められてよいわけがありません。
 「日本人は真面目で勤勉だから」などの言い回しの後ろに隠れている国家体制の暗部の存在と、浅薄なマスコミなどの知識だけに踊らされてはいけないということを知ることが、本書を読んでの、私の第一の感想でありました。

 ねっ。けっこう真面目な本でしょ。


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三島由紀夫の天才性について

 永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。それがたまたま馴染みの浅い客の前で言い出されたりすると、白痴と思われかねないことを心配した祖母は険のある声でさえぎって、むこうへ行って遊んでおいでと言った。

 上記の文は、三島由紀夫の『仮面の告白』の冒頭であります。
 とっても有名な書き出しで、なぜ有名な書き出しかというと、さすが三島由紀夫くらいの天才になると、書かれているとおり、やはり生まれた時から人とは違っているんだなー、生まれた時の記憶があるくらいだから、とみんなに思わしめるような記述であるからであります。(まー、それほど単純でもないでしょうが。)

 しかし少し前ですか、私はネットで、母親のお腹の中にいた時の自分の状態や、聞こえた音や声、周囲の状況などを覚えているという人は、結構たくさんいるという記事を読みました。

 記事によりますと、こうした「胎内記憶」を持つ日本人は、成人では1%程度、未成年では7%程度、幼児になるとその数字は跳ね上がるとあります。

 長野県の保育園児へのアンケート結果によると、胎内記憶があった園児は33%、生まれ出た時の「誕生記憶」のある園児は20%いまして、さらにそのうち、自ら「記憶」を語ったのは9%、残りの大部分はこちらから聞いたら答えたというケースだったという、なかなか興味深いものであります。

 しかし、えー、とすると、何ですか、生まれた時の記憶があるというのは、さほど珍しいものでも何ともないと言うことですかね。
 うーん、困ったものですねー。(別に困りませんか。)

 三島由紀夫の天才性の「証拠」が一つ減っちゃったような気がして、……いえ私は別に三島由紀夫の小説のファンと言うほどのものではないんですが、なんとなく自分が若い時に凄いなーと思っていた人は、やはりいつまでも凄いままでいて欲しいという、ちょっとしたノスタルジアゆえであります。

 ただ、冒頭の文の少し後に描かれる表現は、さすがに三島由紀夫らしいとっても明晰な描写であります。

 が、私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯を使わされた盥のふちのところである。下したての爽やかな木肌の盥で、内がわから見ていると、ふちのところにほんのりと光がさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできているようにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入っていたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合せをしているようにみえた。

 どうです、目の前に見えるが如くとっても上手に書いてありますよねー。
 なるほど、当たり前ながら、彼の天才性は「誕生記憶」故のものではなく、この抜群の筆力故のものでありました。

 一方、上記のネットの記事によりますと、「おなかの中のことを覚えている」と答えた幼児の見た色は、「赤だった」というのが一番多いそうです。


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思いがけないタフなファンタジー

  『星の王子さま』サン=テグジュペリ(新潮文庫)

 確かむかーし、この本を女の子の誕生日プレゼントに送ったような覚えがあるんですがー、錯覚かしら。

 「ラ・プチ・プランス」。
 「プチ」は「小さい」。「プチ家出」なんかの「プチ」ですね。「ペチコート」なんかの「ペチ」でもあります。ついでに、日本で最も有名な汎用的犬の名前「ポチ」も、この「プチ」が語源とされています。

 エンジンの故障でサハラ砂漠に不時着した飛行士が一人で絶望していると、子供に声をかけられます。
 それが星の王子さまで、王子と羊とバラだけが住んでいる小さな小さな星からやってきたんですね。6つのヘンな星を巡る話が前半で、後半は地球で、ヘビ、きつね、そして遭難した飛行士と友達になるという話であります。

 かつて私が読んでいたのは岩波書店から出ていた内藤濯・訳のでした。
 数年前に日本での翻訳出版権が切れて、一気にどっと新訳が出ました。上記の新潮文庫版もその一つであります。

 むかーし、私がこの本をガール・フレンド(だったと思いますが、違っているかも。ガールフレンドになって欲しいな欲しいな女の子、だったかも知れません。)にあげた時は、私はこの本をどう理解していたのでしょうねー。

 この度読み直してみると、何といいますか、叙情の後ろにひどくペシミスティックなものを感じるんですがねー。
 もっともそれは、そもそも人生がそうであるからだと言えば、その通りではありますけれども。

 なるほど、そう考えると、このお話は割とタフなファンタジーだなと言う気がしますね。ひょっとしたら、ちょっと軟弱かつあっさり系のメイドインジャパン・ファンタジーとは一線を画するような。

 ともあれ、人生の長距離走の折り返しを既に過ぎて少々久しくなった今回の再読では、昔のなーんにも考えていなかった私よりは、おそらく筆者サン=テグジュペリよりの理解ができたと思います。

 そして今なら、ひょっとしたら、好きな女の子にはこの本は、プレゼントしないかな?
 ……いや、それはまた、別の話かも、知れませんが。

 (そう言えば、これも今は昔。付き合っていた女の子に、太宰治の『お伽草子』の「浦島さん」を薦めたら、それを読んだ彼女から「別れましょう」と言われたこともありました。きっと、私の性格的な問題のせいだとは思いますが。)


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「恋愛小説」ナンバーワンとは

  『夜は短し、歩けよ乙女』森見登美彦(角川書店)

 少し長く夏休みを取りましたら、結構ヒマになりまして、久し振りに近所の図書館に行ってきました。
 クーラーの利いた館内で、ぶらぶらといろんな本を見ていたのですが(落ち着いて「本を読んで」はいません)、以前知り合いの女性から薦められた覚えのある本がありまして、それで借りて帰ったのが冒頭の本であります。

 「オビ」には、

  ・面白い!なんて面白いんだ!(松田哲夫・編集者)
  ・大傑作。文句なしに今年の恋愛小説ナンバーワン(大森望・文芸評論家)
  ・大変愛らしゅうございますの。(豊崎由美・書評家)


と書いてあるのですが、まず編集者がオビのコピーを書くってのが、私にはよくわかりません。この編集者は、なんか有名な方なんでしょうか。
 後のお二人は、少し前に流行った(そして最近また、そのシリーズ本を出版なさった)『文学賞メッタ斬り』の人ですね。

 で、読んで、どう思ったかというと、まーそれなりに感じるところなきにしもあらずなんですが、例えば稲垣足穂の文体模写のような書きぶりは、なかなか才人だなと思ったりもいたしました。
 しかし、これをもって「今年の恋愛小説ナンバーワン」と言い切るコピー(もっともコピーはもとより宣伝ですが)には少し首を傾げましたが、どんなものなんでしょうね。

 で、今度は、この作品よりの立場に立って考え直してみますと、そもそも私が「恋愛小説」の秀作として頭に浮かべるのは、例えば谷崎潤一郎の『春琴抄』であり、例えば漱石の一連の「三角関係」小説であり、比較的近いところでも、水村美苗の『本格小説』であったりと、そんな小説などであるわけですね。
 で、そんな歴史上の名作や傑作と比べて判断するのは、そんな比較をするヤツの方が悪いとの指摘を受ければ、なるほどその通りでございますと思わざるを得ません。

 と、そんなわけで、私にはこの作品を批評する資格があまり無いことが分かりました。

 いえ、そう考えてみますと、上記にも触れた足穂の『一千一秒物語』を彷彿とさせるパスティーシュと作品舞台は、我が青春の「京都」をやはり懐かしく思い出させてくれるものであるなと、わたくしは、改めて思い直したのでありました。


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不思議な「メタ小説」(?)

  『脳男』首藤瓜於(講談社文庫)

 えー、本作で、2000年度の江戸川乱歩賞受賞と解説にあります。
 はやいもので、もう十年以上前になりますね。
 だから、別に新しい小説ではありません。

 この本は大型古書店で、いつものように105円で買った本です。それから、私の机の上の本立てに長く立っておりました。
 机の上の本立て(中学生が技術家庭なんて教科の夏休みの宿題で作ったりするような本立てです)には50冊くらいの読んでない文庫本が、立っていたり横になっていたりしているんですね。困ったものです。

 今年に入って、まー年頭の目標ではありませんが、わりと読書三昧になったのは、この本立ての中身を少しずつ減らしていこうと思ったからで、やっと15冊ほど減って、少しは机の上の見通しが良くなりました。

 で、その一環として『脳男』も手に取ったのですが、読み終えてみると、なかなかいいなと言う感想。でも読書中は、私はもっと高い評価をしながら読んでいました、特に前半。

 考えてみれば、なんといってもまずタイトルがいいですよね。かなりのインパクトがあります。(私は文庫本しか知りませんが、文庫本の装丁も、なかなかタイトルと解け合っていいんじゃないですか。)

 そして上記に触れたように、作品全体の半分くらいまでですかね、前半はとっても良かったです。
 「へー、こんな作品が、こんなところに転がっていていいのか」
というくらいの好印象を読みながら持ちました。
 それはどういいんでしょうか、ちょっと考えてみますね。

 この作品は、一応ミステリーと呼ばれるジャンルにあるのだろうと思います。いえ、ジャンル分けそのものには、便宜上以上の意味があるとは思いません。
 例えば漱石の『こころ』は明らかに推理小説的構成であるし、ドストエフスキーの『罪と罰』にしても、同様。

 ただ、ミステリーと呼ばれるジャンルが、特に謎の設定に重心が置かれるタイプのジャンルであることは確かだと思います。そう考えたとき、この作品の(特に前半部)の持つ「謎」の設定には、いわゆる「メタ小説」的なものがあるように感じました。

 ストーリー上の謎と並んで、読者に対して、なぜこんな小説を読まねばならないのかという点の謎掛けがあるように感じたわけです。なんて言うか、読むほどにイライラさせる、読むほどに読むことに対するフラストレーションが生まれてくる、といった感じでしょうか。
 これは、作者の持ち味なんでしょうかね。だとすればなかなかに異様な、手練れな文章力だと思います。

 ところがさて、やっと作品全体の見通しが見えてくるあたりから、上述の不思議な魅力は、これまた不思議なことに徐々に失せていきます。
 そしてここから先は、要するにミステリーとしてのおもしろさになります。
 別にそれだけでいいではないかとも思いますが、しかし前半の「高揚感」とは比べるべくもありません。

 というわけで、読み終えてみると結局「なかなかいいな」に落ち着いてしまいましてー、どうもすみません。私としてはもっと誉めたかったんですがー。
 でも前半は、間違いなくとっても良かったです。
 そんな作品であります。


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作者の視点の慈悲深いまでの暖かさ

  『麻雀小説自選集』阿佐田哲也(文春文庫)

 ブックオフで105円で、見つけた時、一瞬怯みましたね。
 何を怯んだのかというと、この本の圧倒的な厚みであります。3㎝くらいあります。ページで言うと、740ページほどです。で、105円。
 まー、普通考えると、「買い」ですよね。たとえそこに収録されてある小説を、かつてはすべて一度は読んでいたとしても、です。

 いやー、いかにも懐かしかったですね。
 たぶん僕の大学時代後半の頃ですか、角川文庫がドッとこの作者の麻雀エンタティンメントを刊行し始めました。かなり売れたのだろうと思いますが、僕も出る端から買って読みました。とっても面白かった。

 今考えれば、これは山田風太郎の忍法帖シリーズととてもよく似た所があると思います。ただ僕にとって忍法帖シリーズは、やや殺伐さにすぎる読後感を持つことが多く、山田風太郎ファンでありながらも、そんなにたくさんは読んでいません。

 阿佐田哲也の麻雀エンタティンメントでいえば、ちょうど『麻雀放浪記』が長編という形でそれに対応するように思います。上下二冊の第一部は、僕は楽しく読みました(何度か再読もしました)が、二部以降は、上記忍法帖とほぼ同理由で、ちょっとつらかった。

 今回の文庫本は、その『麻雀放浪記』第一部「青春篇」が丸ごと入って、ちょうど全ページの半分くらい。残りの半分は、「雀豪」を描く短編小説集であります。

 この短篇集の部分が、上記の表現で言う「殺伐さ」がどろどろのところまで行っておらず、そのかわりと言っては何ですが、作品の展開のおもしろさが非常にわかりやすい形で描かれていて、第一級の娯楽作品として楽しく読めました、再読三読ではあっても。

 特に今回、久々に読んで大いに感心したのは、実はタイトルのうまさについてまず強く感じたのですが、要するに、作者の視点の慈悲深いまでの暖かさであります。

 これはおそらく、ポエジーという域にまで達しているのではないかと思います。
 こういった展開からはみ出してくる要素は、いわゆる作者の人間性みたいなものに絡まってくるもので、阿佐田哲也=色川武大が死んだ時、山田風太郎が、「孤独な世界を描く比類のない才能」として「壊れた頭を書く、壊れない頭」と、その死を惜しんだのは宜なるかなと思います。

 さて、かつて我が家にずらりとあったはずの、阿佐田哲也麻雀エンタティンメント文庫は、今は一冊もありません。いったいどこへ行っちゃったんでしょうかねー。
 本を整理する時、いろいろ考えて捨てる本と置いておく本と分けたはずですが、そういった時の判断って、時がたって確認すると、ほとんど見事に呆れるほど「ハズレ」としか言いようのない状態であるって、そんなことありません?
 うーん、僕だけなんでしょうかねー。


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「わが国のホームドラマに革命を起こした不朽の名作」

   『岸辺のアルバム』山田太一(光文社文庫)

 この本も、例の「大量古書店」で買いました。
 今となっては、少し(かなり)古い小説です。
 ところがこの古い小説ですが、「わが国のホームドラマに革命を起こした不朽の名作」であります。

 なるほど、そもそもはテレビドラマのシナリオなんですね。山田太一氏ですものね。
 で、かなり評価の高い作品であったということも、僕はうすうす知っていました。

 今回読んでみて、とってもおもしろかったです。なんというか、思わず感情移入してしまうテンポのある展開には感心しました。

 主役は以下の4人のうちの誰でもいいんですが、まず中年のサラリーマンの妻が、男を作って不倫します。長女は大学生ですがタチの悪い外国人にだまされて、さらにはレイプされ妊娠、そして中絶。息子は学校の成績悪く浪人中に親父とケンカして家を飛び出てハンバーガー屋に勤め始める。そしてそのサラリーマン自身について、一筋であった会社が傾き始めて左遷の仕事をさせられる。挙げ句の果ては、やっとローンのすんだばかりの岸辺の家が、台風増水のために流されてしまうという、これでもかこれでもかという不幸の話であります……。

 しかしよくこんな話を、テレビでやっていたものだと思うんですがー。全くすごいですよね。30年ほど前の放映だそうですが、御覧になられましたでしょうか。

 というわけで、とってもおもしろかったです。
 もちろん不満な部分も結構あったりするんですが、テレビ関係の作品も侮れないのもあるんだなと思いました。(しかし巻末の解説には、もはや現在にはこのような作品はないとありました。)


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今更ながら、「日本ファンタジーノベル大賞」というのがあるそうな。(後編)

  『文学賞メッタ斬り!』大森望・豊崎由美(パルコ出版)
  『鉄塔武蔵野線』銀林みのる(新潮文庫)


 さて今回は、日本ファンタジーノベル大賞第六回受賞作品の『鉄塔武蔵野線』であります。
(「日本ファンタジーノベル大賞」につきましては、前々回簡単に紹介しましたが、上記の二冊中の上の本に詳しい紹介があります。)

 この本はちょっと驚きましたね。
 読み始めて、というよりぱらぱらとページを繰るだけで、普通の小説とは違うことがありありと分かるのですが、少なくともこの小説の意匠だけについて言えば、それはおそらく世界で初めてのものでしょう。

 もちろんトータルな小説の価値とか言い出すと、ちょっと評価の難しいところもありますが、とにかく、世界で初めて(おそらく。少なくとも日本ではきっと初めて)のものに触れるという体験は、なんて言うのでしょうか、やはり「感動」としか言いようがありません。

 文庫の解説に、当時のファンタジーノベル大賞審査員であった高橋源一郎・荒俣宏・井上ひさしなど選評一部が載っているのですが、ことごとく「やられた」という思いで書かれています。
 そんな本です。とにかくあっけにとられてあきれる本です。
 一読の価値はあると思うのですか、現在絶版になっており、僕はたまたまブックオフで見つけました。

 話は変わりますが、最近の出版事情たるや、実に腹立たしいところがありますね。なにがって、文庫本すらが半年もすれば絶版になってしまうんですよ。
 (『鉄塔…』は違います。この本はもう少し古い本です。一般論として言ってます。)

 そんなこともあって、腹立たしいから新本は買ってあげないっ(と言いたいところですが、ひょっとしたらそんなことが原因の一つで、ますます現状のようになっているのかも知れません。困ったものですねー。)。
 とにかく、本が売れないからそんな状況になるのか、そんな状況を出版社が作り出したから本が売れなくなったのか、しっかりと考察していただきたいものでありますなー。

 というわけで、最後は少し腹が立つ話になってしまいましたが、『鉄塔……』は、とってもユニークな小説であります。ぜひ、ご一読を。


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