素晴らしき演奏の後に……(その3)

 ……えー、同一話題で3回目になってしまいました。
 かなり微妙な意見表白でありますゆえ、さっと書いてさっと終わる予定だったのですが、誠に申し訳ありません。今回で必ず終了いたします。

 さて、私が先日ブルックナーの交響曲第5番の演奏会を聴いて、その帰途に少々考えたことであります。
 今考えてみれば、あの時の曲が大概長いブルックナーの5番だったせいもかなりあるとは思いますが、演奏終了後、指揮者が何度か舞台を出たり入ったりするその中に、観客に演奏者への拍手を促す「イベント」といいますか慣習的行為があることについて、心の狭いわたくしは、「ちょっといやなんですね」と感じてしまったという話題でありました。

 私なりに、指揮者の思いも我々観客の納得も、理解していないわけではありません。
 しかしあの身振り入りの指揮者のイベントは、ちょっと別の方法がないものかなと私は考えたのでありました。
 (あれって、本場欧州で昔からあった「イベント」なんでしょうか。でも例えばフルトヴェングラーが、あの身振りでにこにこしながら観客に拍手を依頼するシーンなんて到底想像できないんですがー。)

 例えば、クラシック以外のコンサートではどうなっているでしょうか。
 長くクラシック以外のコンサートに行っていないので最近のものは分からないのですが、時々テレビで放映していたりするコンサートを思い出しながら考えますと、たぶん、ボーカル(あるいはグループのリーダー)がメンバーの紹介をする、ってのがポピュラーなんでしょうかね。

 ボーカルというのはグループの場合がそうで、元々一人で歌っている歌手の場合は、彼がそのコンサートにおけるバックバンドのメンバー紹介、ってことになりますね。

 このタイプの演奏者の紹介は、再三書いて申し訳ありませんがクラシックコンサートの指揮者による身振り入り拍手依頼の「違和感」に比べますと、私はそれこそずっと自然で共感的に思います。
 あれと同じことができないものでしょうかね。つまり指揮者が演奏者のメンバー紹介を次々にしていくというシーンは無しなのかな、と。

 ……と思いついてその状況をあれこれ想像して、そしてわたくしが到達した感想は、実はとても否定的なものでした。
 つまり、指揮者は楽団員の名前をことごとく諳んじているものであろうか、と。

 たぶん、ご存じないでしょうね。
 ご自分が主席指揮者であるオケならかなり名前は覚えているとしても、それ以外のケース(またそんなケースがとても多そうですが)なら、まず楽団員の名前なんて覚えていないでしょう。指揮者はスコア読みに忙しいのに。

 でも、せめてこれくらいのことはできませんかね。
 つまり、まずマイクは絶対必要です。これによってあの訳の分からない指揮者の身振りが無くなります。それだけのためにもまずマイクは絶対必要。

 次に、演奏が始まる前にあらかじめ観客に拍手を依頼する楽器を決めておくこと。
 これだって、指揮者はしっかりスコアを読み込んでいるんだからここがヤマの部分で一番難しい所だ、ここを頑張って堪えてほしいくらいは楽々分かるはずですよね。
 そしてその部分を演奏する者の名前だけを覚えておくんですね。
 これなら一人だけの名前の暗記でいいのですから、これもいけるでしょう。(しかし、万一そんなサビの部分の演奏に見事に失敗する輩がいるかも知れないから、何人か予備の名前も覚えておく必要があるかも知れません。)
 すると、こんな感じになりますね。

 「今日の演奏の最もヤバかったプレーヤー。ファゴットの○山×彦! 30年間ファゴットばかり吹いてきた男です。今日もガンガンに素晴らしい演奏を聴かせてくれました。拍手、ヨロシク!」
 そして指名された○山×彦は、立ち上がってファゴットを1フレーズか2フレーズ吹きます。観客のどよめくような拍手。
 (紹介は、たぶん一人か二人でいいですよね。多すぎると名前を覚えるのが大変です。)

 盛り上がりますよー。
 これ、誰か関係者の方、真剣に検討していただけませんかねー。


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素晴らしき演奏の後に……(その2)

 前回の続きです。
 ちょっと、微妙にナーヴァスな話題を取り上げておりまして、きっと反対意見の方もたくさんいらっしゃるだろうなーと思いながら述べております。(困ったことです)

 異なるご意見の方、お怒りのコメントなど送らないでくださいね。
 当方、もともとそんなに頭の回る人物ではない上に、近年加齢のせいでいろんなところのネジが緩んできておりますから。

 ということで、クラシック音楽会のある慣習について、わたくしのごく個人的な思いを述べさせていただいたのが前回の内容でした。

 で、いきなり前回の続きに入りますが、私が「ちょっといやなんですね」と感じるのは、演奏後の何度かの指揮者の出たり入ったりの中での、指揮者が観客に対して演奏者への拍手を促す手振り身振り入りのあのイベントのことであります。

 例えばトランぺッターへの拍手の依頼について、指揮者はトランペットを吹く身振りをして演奏者を指摘し、観客に拍手を依頼します。そして観客の拍手。

 ……えー、そもそもあの指揮者の行為には何か名前が付いているのですかね、わたくし物知らずゆえ存じ上げないのですが。
 またクラシック音楽会観客の方々は、あの動作にそんなこと(つまりちょっとした違和感めいたもの)をお感じになることはないのでしょうかね。

 ……うーん、私の述べていることは本当にごくごく個人的な感想だなー、と自分でも思うのですが、私があのイベントのちょっといやな原因の過半は、ひょっとしたら指揮者の身振りのせいなのかなー、と。

 ただ、私はそれを単にいやだなというだけではなく、さらにあれこれと考えたのですが、指揮者があの行為をなさる気持ちはとてもよくわかる、と。

 それは、今回の演奏でその楽器の演奏者が素晴らしい演奏をしてくれたことに対する素朴な感謝の気持ちだ、と。そしてこの思いは指揮者である私だけではなくきっと観衆もそう思っているはずだ、と。だから観衆に、演奏家への拍手を促そう、と。

 なるほど、その気持ち、何となく分かりますよね。
 指揮者が、さあここからがこの歌の最大の聞かせどころだ。お願いだからホルン、ひっくり返らないでくれよと祈るような気持ちで指揮をしていたら、ホルン奏者が見事に音がひっくり返ることなく演奏したら、誰だって演奏後よくやったと褒めてあげたくなりますよね。

 全く問題のない指揮者の感情の発露であります。文句を言う所はどこにもない、と。
 いえ、再三述べてますように、私のは「文句」というようなきつい感情ではないんですね。「ちょっといやなんですね」という程度の。

 では、さらに私が何をあれこれ考えたかと申しますと、……えー、すみません。
 次回に述べさせていただきます。


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素晴らしき演奏の後に……(その1)

 先日、ブルックナーの演奏会に行ってきました。
 とっても迫力のある、素晴らしい演奏会でありました。
 ところがその演奏会の余韻に浸りながらの帰途に、少々ああでもないこうでもないと考えていたことがありました。
 ちょっとそれを綴ってみたく、以下、書いてみます。

 まず、演奏そのものの不満ではありません。
 それは、実はわたくしがかなり以前から思っていたことなんですね。別に不満というほどのものではないのですが、何といいますかどこか馴染まないとでもいいますか、もう少しはっきり書きますと、ちょっといやなんですね、という程度のことです。

 何のことかといいますと、演奏が終わってその後、指揮者が観客の拍手に(一応)導かれて舞台を出たり入ったりなさいますよね。いえ、あの慣習そのものについては、さほどいやではありません。まー、あんなものなんだろうなと思っております。
 昔の本場ヨーロッパでは、あの出入りを10回も20回もしたものだとか、はなはだしい時には50回くらいもおこなっていたとか、何かの本で読んだ気がします。

 だから、音楽会でもお芝居でも伝統として古今東西、舞台が終わった時はあんな類のことをするんだろうなと、わたくし思っていたんですね。

 ところが少しばかり前、歌舞伎の舞台を見に行きましたら、確かにお芝居の始まる前には「口上」というんですか、役者の方が喋ったり観劇のお礼をおっしゃっていましたが、お芝居が終わった時はそのまんま、本当に見事にさっと終わっていました。

 その時の私の感想を申しますと、とっても潔くって気持ちよかったですねー。
 何か思いがけなく広い原っぱに出たような気がしました、それこそ余韻たっぷりに。

 さて今回の音楽会、ブルックナーです。交響曲第5番でした。大概、長い曲ですよねー。
 本当にいい曲でいい演奏でしたが、でもふたたびはっきり言いますと、80分にもなる曲が終わって、みなさんお疲れでしょう。

 みなさんというのは、指揮者、演奏者、裏方の方、そして私たち観衆のことです。
 あの出たり入ったりも、大概でいいですよね。回数が多けりゃいいというのは、クラシック音楽会が本当に次世代に伝えるべき素晴らしい伝統、とまではいえないでしょう、そんなことないですか。

 でも私の本当に「ちょっといやなんですね」は、実はそのことではないのであります。
 いえ、全くそのことではないこともないのですが、次回、それを書いてみますね。


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女性チェロ奏者のこと

 数年前から、関西のあるオーケストラの名曲コンサートのようなステージを年間で通しで買って、今年もほぼ半分くらい聴いてきました。
 毎回同じ席で聞くことができるのですが、今年は幸か不幸か一番前の席で(言い忘れましたが、さほど高価なチケットではありません)、コンサートマスターの革靴が、ほぼ視線の2メートルほど先にある席です。

 ……えー、ちょっと、補足をさせていただきますと、上記の「幸か不幸か」という表現の「幸」の部分は、あ、この方、高そうな靴を履いていらっしゃるなーとか、メンバーの方同士でぼそぼそとおしゃべりをなさっているシーンが目の前で見られるというところで、「不幸」という部分は、まぁ、なんといいますかー、曲のアンサンブルがバラバラに近い、特に管楽器の小さな音が聞こえないというあたりですかねー。

 というわけで、何度かそんな席で見ていると結構いろんなことに目が行って、ふーん、なるほどねーと思ってしまうことがあります。
 例えば、第一ヴァイオリンというのは本当にいつもよく音を出しているものだなーという事が聴いているだけでなく見ていても(他のパートの方々と見比べて)思います。さらにそんな第一ヴァイオリンでも、やはり弾いていない部分もある、という当たり前ではありますがまさに生き生きと実感できたりします。

 さてそんな風にして見ているんですが、私の視線6メートルくらい先でしょうか、そのあたりにチェロ弾きの方々がいらっしゃるのですが、そのお一人が、ショートカットのちょっとかわいい女性チェロ奏者でありまして(一応パンフレットで名前のチェックもしましたが)なんとなく視線が彼女に集まってしまうのは、別に私のせいというほどの悪行ではないですよね。でも、つい見てしまったりします。

 そこで先日のコンサートにおきましては、どうせつい見てしまうのならば、ひとつテーマをもって彼女をじっくり見てやろうと、いえ、ちょっとその事実だけに注目すればストーカーっぽくも感じられそうですが、いえいえ、そんな邪念の行為ではありません。

 私が彼女の姿を見ることに抱いたテーマは、そもそも演奏者は演奏中にどの程度指揮者に注目するのかというテーマであります。(ね。ストーカーっぽくはないでしょ。純粋に音楽的興味の発露でありましょう。)
 そうしてわたしは、奏でられた一曲中、ずううっーーと彼女の視線を見ていました。

 で、分かったこと。
 演奏者が指揮者を見るのは各楽章の初めと終わりあたり3~4秒ずつくらいだけ。あとは、なんか気の迷いみたいにふらふらと迷うように視線が行くだけ。

 ……ふーむ。
 ということはなんですかね、彼女にとって、指揮者からの指示とは、一曲中たぶん1分にも満たない時間の内容のものにすぎない、少なくとも本番においては、と。

 さらにさらに、この観察結果をオーケストラの演奏者全員に敷衍しますと、結論は多分こうなってしまいます。
 いわく、演奏に指揮者はほぼいらない、少なくとも本番には、と。

 ……えーっと、言わずもがなのことですが、これはわたくし、冗談で書いているんですがー。……。


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久々のコンサート、ブルックナーの8番(後半)

 前回の続きです。
 前回は、久しぶりにクラシック音楽のコンサートに行ったら、まぁ、行く前から薄々は分かっていましたが、やたらと長いコンサートで少し困ったという、ちょっと(かなり?)愚かな話をしていました。どうもすみません。
 という反省の言葉の舌の根も乾かないうちに、愚かな話の後半を続けます。

 さて、ブルックナーの交響曲第8番です。
 ふと見るとオーケストラの後部、ティンパニの横に二人の正装の男性が椅子に腰掛けていらっしゃいます。(私の席は2階席だったので、よく見えました。)

 曲が始まっても、お二人は座っていらっしゃいます。第1楽章の間ずっと座っていらっしゃいました。第2楽章に入って、まだ座っていらっしゃいます。そして第3楽章中盤、やおら、お二人がご起立なさいました。手にあるのはシンバルとトライアングル。

 第3楽章に2回、シンバルとトライアングルがほぼ重なるように鳴りました。その時隣のティンパニも鳴っています。なるほど、これでは楽器の持ち替えはできません。
 しかし、それだけでおしまいです。約80分間の曲中に、たった2回だけ。

 ……んー、一体どんなつもりでブルックナーは、ここでシンバルとトライアングルを必要としたのでしょうかねぇ。演奏者のことも、ちょっとくらいは考えたでしょうか。

 かつて、劇作家のつかこうへいが、シェイクスピアのお芝居について、「ちょい役を作りすぎ」と書いていました。
 しかし、クラシック音楽の世界でも普通にそんなことがあるようです。
 そういえば、この正月にテレビで歌舞伎を見ていましたが、やはりちょい役が多すぎると感じました。それにちょい役の人は、カツラがめちゃめちゃ貧相に見えました。いくら何でも主役と扱いが違いすぎるやろー、と。

 と、いうことで、あれこれ感じながら鑑賞したブルックナーの8番でしたが、それなりに良かったけれど、明日、職場のクラシック仲間には、ちょっと長すぎるかなと言うだろうなと思いながら、私はコンサート会場を後にしました。


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久々のコンサート、ブルックナーの8番(前半)

 先日のことですが、考えたら久しぶりになるなぁと思いながら、クラシック音楽のコンサートに行って来ました。
 3.4年前はなんかムキになったように、月に2.3回はコンサートに行っていたのですが、……うーん、まー、飽きたのですかねー、徐々に足が向かないようになってきました。
 我がごとながら、飽きっぽい、というのはなかなか難儀な性格であります。

 しかし、今でも年に4.5回は行っているわけだから、ポジティブに考えればコンサートの善し悪しをしっかり判断して臨むようになったと、まぁ、そう考えられないわけでもありません、たぶん。

 ともあれ、久しぶりにクラシック音楽のコンサートに行ってきたのですが、「出し物」は何だったかといいますと、ブルックナーの交響曲第8番であります。ブルックナーの交響曲のなかで最も充実していると評価され、そのぶん一番長いあれです。

 フランスの作家、『にんじん』なんかで有名なルナールの『博物誌』に「蛇/長すぎる。」という文言がありましたが、いかさま、ブルックナー8番も長すぎるという感が否めません。素人考えながら、第3楽章でもう充分盛り上がっているじゃないか、後は余韻を残してすーっと、と思うんですけどねぇ。
 ……ブルックナー、長すぎる。

 実はわたくし、コンサートの前日に、CDで予習したんですね。
 コンサートの最中にこっくりこっくりして、自分が聴き損なうだけならともかく、万一イビキなんかかいて周りの人から顰蹙を買わないように。
 朝比奈隆とチェリビダッケで、しっかり予習して臨みました。

 ところが、これはその後の話なんですが、職場のクラシック音楽仲間にそのコンサートのことやなんかを話していたのですが、その時ベートーヴェンはやっぱりすごいよねーという、まぁ、当たり前といえば当たり前の会話になりました。
 すると、クラシック音楽仲間が言うには、去年の暮れにベートーヴェンの9番を聴きに行ってとっても良かった、初めて最後まで寝ないで聴けた、と言うではありませんか。
 唖然としてわたくしは思わず、それは違うやろ、と反応してしまいました。
 世間って、そんなものだったんですね。

 ↓予習したチェリビダッケのブルックナーの8番。とっても説得力があります。
   bluckner8.jpg


 このお話、次回に続きます。


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新たに分け入る初々しい世界

 私は一時期熱帯魚飼育を趣味としていたことがありました。
 どの趣味の世界にも、筋金入りという感じの「マニア」な方がいるものですが、この世界にもやはり例に漏れずディープな方がたくさんいらっしゃいます。
 そしてそんな方々を対象とする専門雑誌があるんですね。そしてそんな雑誌には必ず、読者の自慢のお宝拝見みたいなコーナーがあります。

 オーディオマニアなら自慢のオーディオセットがそうであるように、熱帯魚マニアの自慢のアクアリウムを、どーんと全国のマニアに紹介するというコーナーですね。
 まー、何といいますか、凄い人が世の中にはいっぱいいるということでしょうが、よーするにそれはすっごいお金がかかっているということでもあります。

 軟弱熱帯魚マニアであった私も(その後この趣味は廃棄してしまいました)、そんなお金のかかった豪華絢爛水槽を毎号毎号拝見していたのですが、ある時、まるで小学生がお祭りの金魚すくいで手に入れた金魚をそのまま水槽に入れただけという感じの、何の飾りもない小さな水槽が紹介された時がありました。

 この時は、はっとさせられましたねー。
 実はこの記事のポイントは、その素朴な水槽の持ち主がほやほやの新婚さんで、これから二人で新しい生活と共に観賞魚趣味を築いていくというコンセプトだったわけです。
 つまり、これから二人で奥深い観賞魚=熱帯魚趣味の世界に、手に手を取って分け入っていこうとする初々しさがいいんですよねー。
 それは今に至るまでこの記事を私が覚えていることからも、かなり印象的だった事が分かります。

 さて残り行数も少なくなって、いきなり話がどこに飛ぶかというと、実はハイドンのことであります。
 先日ネットであまり何も考えずに買ったS・クイケン/ラ・プティット・バンドのハイドンの交響曲集(5CD)を聴いていたら、俄然ハイドンが素晴らしいこと、極めて高い精神性を持っていることに今更ながら激しく気が付き、少し戸惑っている(もちろん悦んでもいる)という話であります。

 今まで私は一体ハイドンの何を聴いていたのか。
 まー、元々音楽鑑賞能力については遙かに人後に落ちる事を自負している私ではありますが、このあまりに唖然とした驚きが、この度連想し連想していった先が、冒頭の話であったという顛末なんですが、うまくまとまりましたでしょうか。
 もはや私に初々しさは伴いはしますまいが、今更ながらハイドン交響曲の奥深い音楽の森に、これから改めて分け入っていきたいと思うものであります。

 しかし考えるまでもなく、先達にはバッハが堂々と控えており、同時代人としては懇意にしていたモーツァルトよりも長生きをしたハイドンが、「交響曲の父」と呼ばれているのは看板だけのはずもありません。
 本当に、わがクラシック音楽鑑賞生活、貧弱で情けない限りであります。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

忌野清志郎の「印」

 きっと毎年のことでありましょうが、この夏もとても暑かったですね。
 そのせいで、……というか、最初はそのせいだとは思わなかったのですが、私はクラシック音楽を家でほとんど聴きませんでした。
 
 クラシック音楽をほとんど聴かなかったのが、夏の暑させいだと知ったのは、クラシック音楽の私の「師匠筋」にあたる友人に指摘されたからでありますが、なるほど、夏はクラシック音楽コンサートのシーズンオフでありますものね。
 やはり一曲が長いせいで暑苦しいんでしょうかね。もっとさらっと短い曲を、と。

 ということで、私はこの夏はもっぱらポップスを聴いていました。何を聴いていたかと言いますと、忌野清志郎であります。
 あれこれ個人的な説明はおいて、清志郎を聴いていてつくずく思ったのは、当たり前ながら、とってもいいな、と。
 どこがいいかというと、もちろん第一に歌がうまい。独特なうまさであります。
 そしてもう一つ思ったのは、不思議なところに「印」が付いていることです、かね。

 「印」とは、何か。
 「個性」と言い換えてもいいのかも知れませんが、それを単独で見ると、果たしてセンスがいいものであるのかどうか、よく分からないところのものであります。
 例えば、まずつまんない例から。清志郎のライブCDを聴いていると、彼はこんな言い方をしていますね。

 「ワン、トゥ、さん、し!」

 これは、「センス」ですかね。でも、清志郎らしい「印」ですね。尾籠な例えで恐縮ですが、犬が電信柱におしっこをかけているみたいな。

 次に、名作、というか名訳『デイ・ドリーム・ビリーバー』の一節。

  ずっと夢を見て安心してた
  僕はデイ・ドリーム・ビリーバー 
  そんで 彼女はクイーン


 なぜ「そんで」なの? 「そんで」って、標準語なのかしら? なぜ「そして」って歌わないの? 「そんで」のほうが、センスがいいのでしょうか?
 という風に考えると、詰まるところ、清志郎はここにまるでノートに書いた落書きのように、自分の「印」を付けたとしか思えなくなってきます。そんなことないですか?

 いえ、清志郎も訳詞をしている時はきっと、ああでもないこうでもないとあれこれ考えたのだとは思いますが、最終的にこんな落書きのような「印」のような言葉で決定してしまうところに、……うーん、私は断定しがたいのですが、やはり、清志郎の魅力が、個性があるのかなぁと、まぁ、思います。

 昔、劇作家のつかこうへいが、ろくに個性のない俳優に限って個性個性と言っている、と述べていたのを思い出しました。そして、「てめえのは『個性』なんかじゃなくて、ただの『くせ』だ」と。

 ひょっとしたら清志郎は、「くせ」を「個性」にまで持っていくことのできた、やはり類い希な「個性的シンガー」だったのかも知れませんね。
 そしてあの声は確かに、この暑い夏に「一服の清涼」となるものでありました。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

我が哀愁のブラック・ディスク

 前々回の続きであります。
 前々回の話は、新しいレコードのターンテーブルを買った私は、嬉しくてどんどん中古レコード、それもかつての流行歌を含んだLPを買い始めたというのでありました。

 ……うーん、実にどうでもいい話ですがー、どうでもいい話ついでに、今回はその続きであります。

 しかし私が中古レコード購入にはまってしまったのは、単に安いからというだけではありません。(もちろんそれが大きい要素ではありますが。)
 今回私がどんどん買っていったレコードは、かつて私が、学生時代全般、そして仕事のし始め頃に一度は買って熱中し、そして時の流れの中で私の手元を離れていったLP達でありまして、改めて聴くと、実にっ!「哀愁」だからであります。まさに「青春のプレイバック!」でありますね。

 無批判に昔を懐かしみ始めると人間ももう終わりだというフレーズを、かつてどこかで読んだ気がするのですが、まったくその通りでありますねー。
 そう分かっていても、その「哀愁」の魅力に麻薬のごとくずるずるとハマってしまった私でありました。

 というわけで、どんな歌手のレコードであるかをちょっと書き出してみますと、八神純子、山下久美子、久保田早紀、南沙織、中島みゆき、シュガー、高橋真梨子、庄野真代、太田裕美、中森明菜、中村あゆみ、キャンディーズ、杏里、ハイ・ファイ・セット、荒井由美、イルカ、松田聖子、原由子、尾崎豊、矢沢永吉、寺尾聡、萩原健一、水谷豊、来生たかお、岸田智史、郷ひろみ、沢田研二、中村雅俊、小椋佳、かぐや姫、風、もんたアンドブラザーズ、大滝詠一、原田真二、イエロー・マジック・オーケストラ、甲斐バンド、井上陽水、グレープ、よしだたくろう、RCサクセション、柳ジョージとレイニーウッド、とまぁこんな人々なんですがー、私にとってはとっても懐かしく「哀愁」の歌手なんですが、どーでしょうか、やはり多くの人も懐かしんでいただけるでしょうか。

 と、まぁ、こんなレコードを片っ端から聴いていて分かったのですが、何というか今聴いても琴線に触れるというか、ツボにはまる歌手もいれば、一方期待に反して、ワクワクして針を落としたらすぐに幻滅してしまうレコードというのもあり、いったいその差はどこから来てるのでしょうかね。

 いやー、実に不思議でありますねー、哀愁。


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古いターン・テーブルのことから

 この間のゴールデン・ウィークに、私は何をしていたかと申しますと、実は一人密かに潜行していました。何に潜行していたのか、話せば長いことながら、いえ、遡るとおそらく今年の初め頃の話になります……。

 一昨年辺りから私は、ほぼ四半世紀の時を隔てて西洋クラシック音楽鑑賞を再開したのですが、去年の後半くらいから中古CDショップに行くたび、気になっていたことがありました。それは、例の、あの、真っ黒な盤であります。

 大阪梅田・難波・神戸などのお店に足繁く行くようになりますと、中古CDとはいえ、数を買いますと結構大変な額になります。そんな時ふと気がついたのが、30㎝のLPレコードであります。

 LPレコード。やー、懐かしいですねー。あの真っ黒な盤。
 あれ、よく見るとけっこう安いんですね。きっとあまり売れないんでしょうね。だって、あれを掛けるターンテーブルそのもののある家が、今ではほとんどないのじゃないでしょうか(マニアな家は除き)。

 さて我が家ですが、そのターンテーブルが実は、まだあったんですねー。でも今を遡ること四半世紀+αほども昔の代物で、あわせてここ十年ほどは電気を通したこともない遺物であります。しかしそれに改めて目をつけまして、私は物置みたいな部屋から持ち出し、自分の部屋に設置しました。

 そのターンテーブルは、レコードをおく部分がスイッチを押すと前面からせり出してくるタイプの物ですが、そのせり出させるべきモーターが、たぶんヘタっていたんでしょうね。ジーーーと音がして、まるでミツユビナマケモノのような速度で、分速2㎝くらいの速さで出てきます。見ているこちらが、つい力んでしまうようなスピードです。

 それでも最後まで出てくるのは三回に一回くらいで、ダメになる二回は、途中で力つきて止まってしまい、「大将、もーあきまへーん」とでも言っているごとく、異常を知らせるスモールライトがちっかんちっかん点滅をするという根性のなさ。

 それでも数日間は騙し騙し使っていたんですが、一週間が過ぎて、とうとう堪忍袋の緒が切れまして、ある日私はターンテーブルを放り投げてしまいました。そしてネットで、一番安いターンテーブルを新規購入してしまいました。

 その後私は、中古CD屋に、今度は安いLPを買いにほぼ週末の度に行きまして、とうとう半月であの黒盤を100枚くらい買ってしまいました。

 しかし中古CD屋でよくレコードを見ていますと、微妙に音楽のジャンルによって値段差があるんですね。高い方から言うと、ジャズ、これは一番高いです。ほぼ「現役」というイメージの値段。中古CDと大差ないです。

 次に高いのが、ジャズに比べると少し差がありますが、クラシックのレコードですね。これは「引退寸前」という感じですかねー。まー、中古CDよりはかなり安いです。
 その次、これは歌手によって千差万別ではありますが、西洋のポップス・ロック等であります。欲しくなるような有名人はやはり高い。そして高いのはジャズ並み、安いのは次の最安値グループレベルの値段であります。

 最後の一番安いグループが、日本のポップスつまり流行歌でありますが、これはほとんどが安い。100円からあります。あのLPレコードが100円です。かつて、3000円くらいしたあれが!

 そこで、安物買いの銭失いが骨がらみの習い性となっている私は、クラシックレコードはちょっと置いて、その一番安い和製流行歌をその後も次々に買いまして、あっという間に200枚ほどになってしまったのですが、この話、あとちょっとだけ続きますね。


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