投票へ道すがら見る鯔の列

鯔の列jpsd




 2009年8月30日の話題といえば、もうこれしかないと思います。
 ぼらの写真がわりと良くとれたと、気に入っています。
                             秀水

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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

『去来抄』を読んでみました。

 俳句の本を読んでいると、やはり芭蕉がちらほらと顔を出すわけで、せやせやと思って図書館で借りてきました。
 『日本古典文学全集・連歌論集・能楽論集・俳論集』(小学館)その中から、『去来抄』、これ、頑張って読んでみました。

 とはいえ、実は、そんなに感心しませんでした。
 (確固たる古典作品を「感心しませんでした」ってのは、ちょっとまずいですかね。まー、読み慣れていないから、でしょうかねー。)
 しかし相手も、300年以上の作品であり、すでに歴史的役割は果たし終えているのかも知れませんね。例えば、こんな話。

 (問一)次の空欄に適当な語句を、後の選択肢から記号で選べ。

      鶯の舌に( 1 )花の露    半残
  ( 2 )、といはば風情あらじ。( 3 )、といはば句なるまじ。てやの文字、千金なり。半残は実に手だれなり。

  (選択肢) ア・乗するや    イ・乗せてや    ウ・乗せけり

 ははは。問題形式にしてしまいました。高校の古典の試験みたいですね。

 (1)は、ヒントがあるからすぐ分かるとしても、(2)と(3)は、まぁ普通は分かりませんよね。わからんのが普通です。

 原文では(2)→ア、(3)→ウとなるようです。『古典文学全集』では、頭注に簡単にその説明が付いているのですが、まぁ、ほとんど無意味です。
 こんな、身内の芸事についてのトリビアリズムが、書かれているわけです。

 いや、そうじゃない、いわゆる、芸術の本道といったことも、もちろん書いてあります。
 例えば、なんか高校の古典の授業で習ったような記憶のある、例の「岩鼻やここにもひとり月の客」って句(有名な句だ)の出てくる文章。

 あの話は、「月の客」のことを、作者である去来は、岩鼻にいるのを見かけた猿のこととしてこの句を作ったのだけれど、先師芭蕉はいわゆる「自称」、つまり猿に向かって私もここにいますよと語りかけたのだと理解する方が、格段に句のできが良くなると説明し、「誠に作者その心をしらざりけり」とまとめている、そんな話ですよね。

 僕も初めて読んだときは、うーん、全くその通りだ、さすがに、芭蕉はすごい、と思いましたね。で、今回も、やはりここは、わりと感心して読めました。

 あわせて、当たり前かも知れませんが、この人達、ほんとに本気です。本気で、必死で、俳諧についてあれこれ考えていらっしゃいます。僕のように一杯機嫌じゃないです。
 あー、当たり前か。

 「舌頭千転」だそうです。
 千回舌先で転がして俳句は作れということだそうです。千回も転がしていると、僕の場合わけわかんなくなりそうなんですがー。

 というわけで、頑張って日本古典に手を出してみましたが、なかなかに、古典を古典として理解するのは、なんていうか、やはり難しそうですね。




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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

雲差して木洩れ日消えし晩夏かな

晩夏①01sd




 改めて見てみますと、ちょっと、俳句と写真がくっつきすぎていますね。
 これが「俳画」だったら、最もダメとされるところですね。
                                 秀水

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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

夫婦げんかの句から始まりまして……。

 女房とケンカをした時の俳句を紹介してみます。
 特に理由はありませんが、ひょっとしたらそんな俳句紹介は、少しは珍しいかなと思ったからであります。

    木犀や諍う妻と二昔
    諍いて一人であおぐ団扇かな


 こんな感じですかね。
 でも思い出してみると、女房とケンカなんてしたのは、かなり久しぶりです。かつては、よくしてました。
 そして夫婦げんかをした後は、夏目漱石の『道草』を読んだりしていました。
 この小説は、「夫婦げんか小説」と言ってよく、実によく夫婦げんかが出てくるのと、それに至る経過が、ある意味痛々しいほどに客観的に書いてありました。

 それは全く、読んでいて「これでは漱石は胃を壊すだろうなぁ」と思うほどの書きぶりであります。(漱石は胃潰瘍で亡くなります。)
 しかし読者としては、そこにカタルシスがあるんですね。
 そして私は、それなりに自らの夫婦ケンカについても反省するわけです。

 太宰治を読んだこともありましたが、あれは、「夫婦げんか明け」には利きませんね。
 太宰の「夫婦げんか小説」といえば、晩年の『桜桃』なんかですが、あれでもあきません。
 あれはきっと、太宰のねらいが、客観的な夫婦げんかの描写なんかじゃないからでしょうね。読んでも特に精神の浄化がありません。もっとも、そんなものがなくっても、太宰はちっとも構わないんですが。

 で、今回もまた『道草』を読んだかというと、そうじゃないんですね。
 じゃ、どしたか。

 ベートーベン、ですね。
 「苦悩を越えて歓喜へ」
 というわけでもないですが、ベートーベンは、結婚はしてませんが、まぁ大変な人生をお送りになった人ですね。
 音楽の才能と引き替えに、苦悩せずに人生を乗り切るすべを尽く放棄したような人です。

 でも、ひたすら努力しました。努力する能力こそが、ベートーベンの才能でした。
 あれだけ辛い人生を過ごしつつ、努力に努力を重ねて、『交響曲第9番』や、いぶし銀のような『弦楽四重奏曲』を書いたことは、誠に頭が下がる思いであります。

 そんなベートーベンに比べたら、私の歩んできた人生なんて、風呂で屁をひっているようなものです。頑張らねばなりません。努力せねばなりません。

 「夫婦げんかを越えて歓喜へ」
 と、まぁ、ちょっと、そんな感じがあるんですね。

 いやぁ、ほんと、ベートーベンって、すごいですね。




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夏花に広がる水の香りかな

夏花SD




 この絵は、模写です。オリジナルではありません。
 こうして見ると、少し元気がないような気がします。
 すると、俳句にもそれが移ってくるように感じてしまいます。
 なかなか、微妙なものですね。
                          秀水

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 『俳句的生活』長谷川櫂

   『俳句的生活』長谷川櫂(中公新書)

 下手の横好きの俳句を時々ひねっている割には、俳句関係の本って、あまり読んでいません。この世界も入っていくと切りがなくなるからでしょうね。

 この作者は俳人ですが、どの位この「俳壇=業界」の中でエライ人なのか、僕はさっぱり知りません。考えてみれば、そもそもこの「俳壇」のことを、何も知らないわけです。

 知っているは、「正岡子規→高浜虚子」くらいです。
 あと、高浜虚子系列の人々が、いろんな結社で「家元」みたいに頑張ってはる、くらいのことしか知りません。

 「俳句結社」って、全国に星の数ほどあるそうですね。
 私もそのうち、どれかに入れてもらいたいなと思う時もありますが、しばらくは、ムリですね。

 さて冒頭本の読書報告に戻りますが、この本を読んでいて、その内容について(俳句について何も知らぬ身で僭越ながら)、まれに「えー、それはないのじゃないですか」と思ってしまうことがありました。

 また一方、「なるほどなー。こんなふうに読むのか」と思うことも、多々ありました。
 後者の方が、たぶん多いです。
 だから、きっといい本なんでしょうね。

 本を読んで、100%筆者の意見に賛同するというのは、なにかとても危ういような気がします。
 後は割合の問題だと思いますが、「賛同」が過半数から三分の二くらいが、一番いい辺りじゃないでしょうかね。
 そんな本こそが、読者にとって有意義な本だと、個人的には思います。

 あと、もう一つだけ、細かい話。
 特に、「切れ字」について、時間の分割の仕方、時間の遡り方、などの視点で分析した個所がありまして、ここはかなり感心しました。

 このことも含めて、僕にとって、とてもいい本でした。はい。




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秋魚の高く出初むる季となりぬ

秋魚SD




 この句ですが、書いてから家人に、
「高く」のところ、別の言葉を提案されました。
 なるほど。
 他にいっぱい、もっといい表現がありそうです。
                       秀水

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国際化に無縁の人々(我が家のホームスティ顛末記)

  国際化に無縁の人々(我が家のホームスティ顛末記)

 すでに「国際化」という言葉が言われて久しい時代です。
 とは申せ、我が家には日本海溝も日本海も越えた家人が、いまだに一人もいません。
 「国際化」という言葉に掠ったような経験は、わずかこの一件だけであります。

 ……それは、かつて、娘がまだ高校生だった頃のことでした。

 一泊だけでしたが、ホームスティで日本に来た韓国の高校生の女の子を、家に泊めたことがありました。
 なんでも、娘の学校に国際交流うんぬんという授業があって、その一環と言うことでホームスティをお願いされてしまったのであります。

 家に泊まる予定の女の子は、全く日本語が分からない。そのかわりに英語ができるということでした。
 しかし、女房はこの話が降ってわいた時から、意志疎通はお父さんの仕事と逃げをうち、娘は、英語の成績がきわめてよくない。うーん、全く困った家族であります。

 仕方なく僕は、明日ホームスティに来るという前日の夕方、ブックオフに行って、『初めての韓国語』という本を買ってきました。

 しかし覚えたのは、アンニョンハセヨ・オソオセヨだけ。
 後は、何十年ぶりかの英語。といっても、韓国の女子高生と身振りと(これがほとんど)、英単語の羅列(文法めちゃくちゃ)。
 例えば僕が翌朝に彼女に言った英文を、仮に日本語に直すと、

 「お前昨日夜取る可能寝る弛緩良い時間良いか

みたいなもんだったでしょうね、きっと。ははは。

 僕は、昔、教科書か何かで読んだ、金田一京助がアイヌ語を最初に子供から習うというエピソードを思い出しました。
 あるいは、野坂昭如の『アメリカひじき』とか、小島信夫の『アメリカン・スクール』なんてのも頭に浮かびました。

 次の日、バスで京都に出かける彼女達一行に手を振って見送った後、私はドッと疲れを覚えました。

 世間では、「国際化」という言葉に、すでに「垢」がつき始めている時代と聞きます。
 しかし世の中にはまだ、このような「世間知らず」の、「日本民話」のような家族がひっそりと、静かに静かに暮らしているのでありました。




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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

柿好きの娘と語る文学史

柿好き色紙①SD




 これは俳句を作り始めた頃の色紙です。
 今となってはとても恥ずかしい。
 (ひどい柿ですねー。)
 でも「文学史」ってところが少し面白い気がしています。
                              秀水

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『音楽の基礎』芥川也寸志

 『音楽の基礎』芥川也寸志(岩波新書)

 僕がこんな本を読むとは、僕自身、数年前は想像もつかなかったですね。
 バッハやベートーヴェンとかの作家論や作品論ならまぁ、判らないでもないですが、これは五線譜とオタマジャクシのある本です。

 しかしこの本の作者は、極めて丁寧に書いてくれています。ただし、僕の理解が及ぶ前半については。いやこの書き方はおそらく間違っていますね。きっと後半も丁寧に書いてくれていらっしゃるんでしょうが、いかんせん、もはや私の理解が及ばないわけです。

 例えば冒頭にこんなことが書かれてあります。

 「音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境を必要とする。たとえば、鐘もしくはそれに類似する音が鳴り響いているなかで、鐘の音を素材とした音楽を演奏しても、その音は環境に同化してしまうので、音楽としては聞こえない。ちょうど、赤い紙に赤色のクレヨンで絵を描こうとするのと同じである。
 しかし、程度を越えた静けさは、連続性の轟音を聴くのに似て、人間にとっては異常な精神的苦痛を伴うものである。」


 これは、お父上譲りの異色の文才の発露でしょうかね。
 前半部の取り上げた事例のオリジナルな諧謔みに加えて、あらずもがなの後半部。このアンサンブルは極めて上質なユーモアを創り出していますね。

 さらに続けて、こんなことが書かれます。

 「作曲家は自分の書いたある旋律が気に入らないとき、ただちにそれを消し去ってしまうだろう。書いた音を消し去るということは、とりもなおさずふたたび静寂に戻ることであり、その行為は、もとの静寂のほうがより美しいことを、自ら認めた結果にほかならない。
 音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことの中にある。」


 上質で明快で見事な説明ですね。
 こんな書き出しの本は、この後の内容に対して大いに期待できますよね。
 ただし、しっかりと五線譜の読める人にとってなら。

 しかしどうして、僕には五線譜が読めないんでしょうか。
 これは例えば、もはや僕に三角関数が理解できそうもないのと同じなんでしょうかね。

 実際、人生には、何気ない分岐点が星の数ほどありますね。
 きっと僕は、何を認識・予想することなく、そんな曲がり角の一つをすっと曲がったんだと思います。そして僕は、いつの間にか五線譜を理解できる街から、大きく隔たった人生の街角にひとり佇んでいます。

 もしも人生をリセットし直すことができるならば、そんな大きなことでなくても、この五線譜の読める街へ続く小道を改めて見つけ出すというのも、なんだかとてもステキそうな気がしますね。




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