鋭角に街切り取りて九月尽

SD九月尽③





 前々回と同シリーズです。
 都会の季節感は、独特なものがありますね。

                    秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

『夕顔』白州正子

   『夕顔』白州正子(新潮文庫)

 少し前、ある雑誌に、この本文の一部が載っていたのを読みました。
 確か家に1、2冊読んでいない白州正子の本がなかったかと探してみると、やはりありました。

 買っていただけでまるで読んでいません。
 冬眠前の動物達のように、ただねぐらに貪欲に集めていただけですが、たまにそんなのが後でとても面白いことがあって(本当はそんなことめったにないのですが)、なかなか本を買うのがやめられませんね。

 で、読んでみました。随筆集です。

 そもそもなぜ白州正子をねぐらにくわえ込んでいたかというと、小林秀雄・大岡昇平・青山二郎・吉田健一なんかとお友達(吉田健一なんか「健坊」でありますが、でも「健坊」を書いた随筆は良かった)ということで、いかにも、日本文学保守本流。

 筆者は、本家が薩摩閥で、知人は財界・政治家に広く、自らは文学をはじめ、いわゆる日本文化・芸能全般についてのトータル・ディレッタントといったところ。なんかそのまま国語の教科書あたりに顔を出しそうな人で、……ということです。

 しかし、教科書好みという先入観は、まぁ間違いありませんでしたね。
 じゃそんなもの、つまらないじゃないかと言われると、いや、まー、少しはそんな気もしないではありませんが、しかしこれはこれで、いかにも背筋がしっかり伸びていて、読んでいてとても快い随筆でした。
 「品格」とか言ってしまうと、ちょっと身も蓋もない感じではあるのですが、まぁそれに近いものでしょうかね。

 たとえば「文化」とか「伝統」とか言った言葉は、改まって使われると少しうさんくさい気がします。こいつ、何か政治的な意図があるんじゃないかなどと、特にきな臭い昨今は感じてしまいます。

 しかし実際、眼前の小さな作品や「物」が、実作者の意識とはおそらく無関係に、ふいにそしてさりげなく、あるいは圧倒的に、享受者・鑑賞者に迫ってくる時があるものです。そんなもの、あるいはそんな時をこそ、我々は本当に「伝統の」とか「伝統的」とかいうのでしょう。
 そしてこの本には、時にそれを感じさせるものがあるように、僕は感じました。

 なかなか、初秋に落ち着いた随筆が読めて、よかったです。
 いよいよこれからが「読書の秋」の本番ですね。
 少し、わくわくしています。では。

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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

行く秋や水の都の木立達

SD行く秋木立③




 先日、大阪に行った時に撮った写真に俳句を貼り付けてみました。
 しかし、よく考えれば、この俳句は、後ろの写真がなければ、
分かりにくくないですかね。
 うーん。
 (そのわかりにくさが、よかったりして。)
                                 秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

大長編・「音楽好き愛国者」の憂い・その4

 上記タイトルの4回目になります。そろそろ、決着をつけねばならないとは思っておりますが、依然として戦況は芳しくありません。苦戦です。

 というわけで、器楽曲の伝統では完敗でも、いやしかし、まだ「秘密兵器」がありました。
 日本には日本の美しい歌がある。唱歌がある。ドイツ・リートにも負けず、イタリア・オペラにも負けないふるさと美し・よろしく哀愁、日本の唱歌があるに違いない。いや、きっとある。
 と、まぁ、パトリオティックにそんなこと考えてた時に、こんな本を見つけました。

  『これでいいのか、にっぽんのうた』藍川由美(文春新書)

 いや、面白い本でした。いや、思いの外にためになる本でしたねー。
 例えば、次の設問を解け。

 (問1)次の4つ単語を、二つのグループに分けよ。
     ア・いつか  イ・ゆり  ウ・うみ  エ・くつ
 (問2)次の4つの単語の中に一つだけ仲間はずれがあるが、どれか。
     ア・さんぽ  イ・さんま  ウ・とんぼ  エ・きんか

 えー、おわかりになったでしょうか。
 要するに、発音と表記の問題であります。現代日本語は、発音と表記がほとんど無秩序と言っていい状態で混乱を極めていると、筆者は説きます。

 例えば、われわれでも時におかしいと思うこと。
 「中心」と「世界中」 ・ 「地上」と「地面」。
 ひらがなで書けばすぐに分かりますが、同じ漢字がひらがなで書くと表記が異なります。
 「三日月」「稲妻」。「みかづき」は「つき」でよくて、「いなずま」はなぜ「ずま」なのか。
 「仰げば尊し」は「あふげばたふとし」から来るのであろうが、それならば発音は「おう(オ)げばとう(オ)とし」にならないのはなぜか。「仰(おほ)せ」は「おおせ」であろうが。

 などと、表記と発音の矛盾は、例えば外国の歌手に日本の唱歌を教えるとき、ほとんど国辱的とも言える場面を呈してしまった経験を筆者は書きます。

 文部省唱歌『冬の夜』。「ともしび近く衣縫う母は…」。このフレーズが、
 「ともしび近く衣縫うハハハ…」。
 作者は血の気が引いてしまったと書いています。

 なぜこんなことになったか。理由はさほど難しくありません。
 とりあえず短めのスパンで考えると、明治以降の言文一致運動において、小説家・国語学者・そして有識者だれもが、表現としての日本語・読み書きとしての日本語ほどには、表記と音韻の統一と言うことに関心を払わなかったからであります。
 小学校で習う「くっつきの『を』『は』」などは、そのお気楽さの典型でありましょう。

 そしてそれは、つまりは「唱歌としての日本語」にだれも関心を払わなかったと言うことだと、作者は嘆くのであります。むべなるかな。

 ということで、著者が歌手だからこその、つまり単語の一つ一つの音について、極めて意識的に発音する職業者であるからこその、示唆に富んだ指摘が、とてもスリリングな一冊でありました。

 ところで、西洋音楽と日本音楽の比較検討は?

 もはや、そんなことを考えている時期ではありません。一つの憂いはさらに別の憂いを生み、日本の唱歌の危機が迫りつつあります。すべからく我々は、それへの対応策を考えねばなりません。

 「戦いをこえて歓喜へ」
 西洋音楽・日本音楽、共に手を携えて頑張ろうではありませんか。

 というわけで、上述の問題の答え。
 (問1)・無声音的な「ウ」を含む単語……いつか、くつ
     ・唇を前に突き出して発音する深い音色の「ウ」を含む単語……ゆり、うみ
 (問2)「sampo」「samma」「tombo」「kinka」

 ということで、うーん、日本音楽も困ったことですなー。

(あ、今回で「大長編」おしまいです。なんだ、全然「大長編」じゃないじゃないかって、言わないでくださいね。)

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大長編・「音楽好き愛国者」の憂い・その3

 さて、「音楽好き愛国者」の憂いの第3回目であります。

 西洋芸術と日本芸術を、「文学」「美術」「音楽」の三分野に於いて比較してみますと、「文学」「美術」はいい勝負をしていると思える一方、「音楽」はひょっとしたら(ちょっとくらい)劣勢なんじゃなかろうか、という分析に到達してしまいました。
 しかし、それではならじとさらなる研究へ、私は突き進んでいくのでありました。

 実はわたくしは、こんな事を思い出しました。
 「歌舞伎は日本のオペラである」
 こんな事を書いた本を、少し前に読んだことを思い出したんですねー。
 そこで、これはぜひとも比較検討をせねばならぬと、図書館に行って借りてきました。こんなCDです。↓



歌舞伎名舞台集




 ちっちゃくってよく見えませんが『歌舞伎名舞台集』です。
 例えば『三人吉三』とか、『お富・与三郎』とか、『白波五人男』とかの、さわりの部分が入っています。で、聴いて見ました。

 ……やっぱり、負け、かな?
 いくら「ご新造さんへ、女将さんへ、お富さんへ、いゃさ、お富ぃっ、ひさし、ぶりぃ、だぁ~なぁ~」とか
「知らざぁ~言ってぇ聞かせやしょぉ~~」とか聴いても、ワーグナーに勝てっこありません。
 (歌舞伎の持つ演劇性はともかく、音楽性としては、やはり、「後塵を拝する」という感じは免れないと思うんですが。)
 そこで、オペラとの勝負は諦めて、次、こんなの聴きました。↓




江戸のバッハ




 これはさっきのよりまだちっちゃいんで、もっとわかりにくいと思いますが、一番上の段に『箏-江戸のバッハ』と書いてあります。(さっき図書館で一緒に借りたCDです。)
 これやこれやこれやこれや、これです。「江戸のバッハ」です。
 そーかー(シャレにあらず)。日本のバッハは、お琴弾きだったのかと感心しつつ、聴いてみました。

 これは、けっこうおもしろかったです。
 よくテレビなどで、お正月にかかっている曲、あれは『六段』あるいは『千鳥の曲』などという曲で、ともに江戸時代の検校の作曲と知りました。この音楽そのものは、それなりにおもしろかったです。
 でも、「江戸のバッハ」は吹きすぎでしょう。身びいきのレベルをはるかに超えています。
 うーん、やはり我が国の負けでありましょうか。
 いや、待てよ。まだあった。まだ、「秘密兵器」があった。

 わたくしはさらに「聖戦」を完遂すべく、最後の戦いに立ち上がったのでありました。
 以下、次回。

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大長編・「音楽好き愛国者」の憂い・その2

 前回の続きです。
 バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの生きていた時代が、下のように、江戸時代の文化の興隆~爛熟期と重なると言うことを述べつつ、音楽好き「愛国者」の僕は、深い憂いに陥っていました。

    1685~~~1827(バッハ誕生~ベートーベン死去)
      1688~~~1830(元禄の始め~文政の終わり)

 例えば、文学ではどうでしょうか。
 ちょうど1682年に『好色一代男』が書かれています。同時代の西洋文学に比して、細かい比較は置くとしても、肩を並べきるかどうかはともかく、まぁ、たぶんそれほど離れていないところには位置していましょう。
 それにさらに遡れば、なにより日本には遙か先輩に『源氏物語』があります。
 うーん、これ一作で、文学はとりあえず「安泰」ですねー。

 次に美術はどうでしょう。
 まず彫刻は負けていません。鎌倉期の彫刻、いや、もっと遡って、阿修羅像ひとつで、西洋彫刻と十分イーブンの争いができます。全然負けていません。
 絵画はどうか。あの油絵は、確かに強敵であります。しかし葛飾北斎は1760年生まれ。モーツァルトと同時代人であります。来た来た来た来た! 負けてない。

 で、音楽です。
 まー、最初にお断りしておりますが、元々私は「偏見」と「無知」にまみれた人間でありまして、いえ、そのことを居直ろうなんて気持ちは、さらさらございません。
 私の誤った認識につきましては、是非とも蒙を開くお教えをいただきたいものだと普段より考えております。
 そんな「バイアス」のかかった私の意見とご理解いただき、以下の文をお読み下さい。

 さて、西洋音楽と日本音楽の比較です。
 ……えー、50対0で完敗(あ、言い過ぎ)、ですな。
 ベートーヴェンが『交響曲第9番・合唱付き』を書いていた頃、日本では、肩の上に鼓を乗せて、
 「いよ~~~っ」ポンッ!
ですから。
 
 もちろん、鼓の「いよ~~~っ」ポンッ! が、ベートーヴェンの『第九』に本当に劣っているとは、一概に言えないとは思います。
 ただ、西洋音楽にはこの『第九』もありつつ、例えばバッハの極めて精神性の高い『無伴奏チェロ組曲』なんかもあるということですね。この西洋音楽のジャンルの「百花繚乱」さに、日本音楽は全うに戦いができていますでしょうか。うーん。

 そこで「音楽好き愛国者」の私は、日本音楽のための起死回生を願って、さらなる研究へと突き進んでいくのですが、また次回に。

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大長編・「音楽好き愛国者」の憂い・その1

 西洋クラシック音楽を聴いていると、やはりいろいろ考えてしまいますね。
 そんなことないですかね。
 例えばー、ひょっとして、僕はとても「愛国者」なんじゃないか、とか。

 ちょっとそのへんを、「大長編」で、サンドイッチの「俳句」なしに、続けて書いてみたいと思います。
 よろしくお覚悟の程を。

 バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンだけを聴いていた時期がありました。
 (今も余り変わっていませんかね。)
 でもそんなことしていると、きっとそんな誰もが(というかとりあえずは日本人が)思うであろうことは、この世界の巨匠達が存命中の日本はどんな時代であったか、日本の音楽はどんな具合であったか、ということでありましょう。

 でしょう?
 案に違わず、やはり私も少し、調べてみました。

  J・S・バッハ→1685~1750
  W・A・モーツァルト→1756~1791
  L・V・ベートーヴェン→1770~1827


 少しずつずれながら、結局この御三方の存命中というのは、1685~1827となり、それは日本史で見ると、江戸時代は貞享二年から文政十年となり、江戸文化の最初の開花時期の元禄が1688年から、江戸文化の爛熟期、文化・文政が1830年までと、並べて書くと、

    1685~~~1827(バッハ誕生~ベートーヴェン死去)
      1688~~~1830(元禄の始め~文政の終わり)


 というように、見事に江戸文化の発生から爛熟までの期間と重なっています。

 で、この二列の数字をじっと見ていると、音楽好きの「愛国者」なら、誰もが深い憂いを感ぜずにはおれないと思います。
 
 うーん、憂いつつ、次回に、続きます。

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絵日傘や末摘花の笑みに似て

絵日傘




 この句も個人的には好きなんですが、僕の間違った知識の上に成り立っているような気もしています。
 「末摘花」は例の『源氏物語』のその人なんですが、彼女ってそんなに醜女なんでしょうかね。
 この句では、可愛らしいイメージで、絵日傘の色が赤く顔の上に乗っています。

                                               秀水

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『生物と無生物のあいだ』福岡伸一・その2

   『生物と無生物のあいだ』福岡伸一(講談社現代新書)

 さて、上記の本を前々回の拙ブログで紹介しておりました。その続きです。
 えー、この本に書いてあることの「その1」は、

  「科学的に事実を解明することの難しさ」

であります。(ちがっているかしら。)

 で、「その2」は、そんな科学的発見をめぐる研究者間の競争についてが書かれてあります。そしてこの競争が、大層熾烈なのであります。

 それは一言で言えば、「オリンピックで金メダルしかない状態」

 わかりますか、銀メダル・銅メダル、なし。2等賞・3等賞なし。5位入賞なんて、洟も引っかけられません。これは相当にキツそうですよねー。

 そんな研究者の人間群像がどんなに強烈なものか、我々には想像もつきませんが、一番になれなかった人達は、実に、自らの人生をことごとく疑問視するというレベルの悔しさに陥るんですね。
 「オレの人生は無意味に終わってしまった」という。

 うーん、読んでいるとこれが、そんな挫折した研究者に感情移入しちゃって、非常に「ムナシク」なってきちゃうんですねー。
 そしてさらに、僕の思考はそこから、どんどん厳しい状況を夢想していくのであります。

 つまり、そんな研究者間の熾烈な競争というものを元にいろいろ考えていくと、むしろ現実には、金メダルだけしかないという分野・領域・業界は、、結構多いんじゃなかろうかと。

 音楽のコンクールなんかでも、2位、3位なんてあっても、実際は1位以外は「スカ」みたいなものだとも聞きますしねー。

 うーん、暗くなっていきますねー。

 でも、まー、当たり前ながら、それはレベルの問題でありまして、そんなこと言い出すと、会社では社長だけが金メダルで、それ以外はみんな「スカ」かいーっ、てなことは、まー、ないわけですね。

 とにかくそんな研究者の競争は、なかなか大変なものが書かれてありました。
 うーん、研究者になんてなれないアバウトな頭の構造で、よかったですね、みなさん。

 では、今回はこのへんで。

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なつならば許しなされよ漱石忌

漱石忌



 個人的には気に入っている句なんですが、俳句として体を成しているかどうかには不安があります。
 えー、少し語句解説を。
 「なつ」とは、「一葉樋口なつ」です。
 創作年月は、2005年の5月で、お札の「お顔」が変わった年です。
 えー、季語の使い方も含めて、これはいったい俳句になっているんでしょうかね。
 (漱石は一葉の才能を絶賛し、その若き死を深く悼みました。)
                                         秀水

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