シューマンって、どうなんですか。

 秋はブラームス、と何となく思い続けておりました。いえ、別に、基本的には今でも思っているんですが。
 そう言えば、もっと極端になって、「午前中はシューベルト、午後はブラームス」なんて思っていた時もありました。
 ようするに、なんだ、考えるのがじゃまくさいからではありませんか。

 というわけで、ちょっとは考えてみよーと思いまして、シューマンの交響曲を聴いてみました。
 これがまた、うーん、何というか、目鼻立ちのはっきりしない、どこがいいのかよくわからない交響曲なんですねー。

 そこで、クラシック音楽については、僕の「お師匠様」である友人にメールで尋ねてみました。
 「シューマンの曲って、どこがいいんですか。」

 その返事が来ました。こんな内容でした。

 ---------------------

 シューマン。パッとしないね。
 仮に、4曲以上交響曲を書いている作曲家を対象として、評価するとしたら、

  A   ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス
  B   ハイドン、チャイコフスキー、シューベルト
  C   ブルックナ-、マーラー、ショスタコーヴッチ、シューマン
  D   メンデルスゾーン、ヴォーン・ウィリアムス、グラズノフ

 こんなもんだろうか。
 あなたの好きなブルックナーの評価が低い! とお怒りかも知れないが、この人、こんなもんだよ。「B」の三人に比べると、落ちるでしょう。もしかしたら、マーラーの方が上ではないかとも思う。曲の好き嫌いは、もちろん別として。
 シューマンは、Cとした。でも、シューマンも悪くはない。4曲ともに、たまに聴くとわりといい。
 メンデルスゾーンに比べれば、ましと思う。というよりも、けっこう好きかな。シューマンの音楽には、ドイツ的なものを感じる。「ドイツ的ロマン性」がある。簡単にいうと、これはドイツの音楽以外の何物でもない、と感じるのですね。メンデルスゾーンには、あまり感じないね。

 シューマンの演奏としては、
  ①フルトヴェングラー
  ②ヴァント
  ③クーベリック
あたりが、いい。特に、ヴァントのはよかった。あなたが聴いているというバーンスタインもよかったよ。
 こんな風に書くと、シューマンを聴きたくなりましたね。

 ----------------------

 という内容でした。
 シューマン、ねぇ。
 しかし、ブルックナーの評価の低いのが実に怪しからんと、やはり僕は思いました。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

初炬燵何か良きことあるごとく……炬燵の話・その2

 さて、前回の続きです。
 大好きな「おこた」の話です。

 太宰治が、炬燵のことを「炬燵は人の眠り箱」と、確か『女生徒』だったかで、書いていたと思いますが、イメージは明らかに炬燵の中に微睡む猫ですよね。

 「猫は炬燵で丸くなる」ってのは、雪やこんこんでしたっけ、でも炬燵と併せて、一日の三分の二ほども寝ている猫の生き方にも非常に憧れますね。

 中島らもが、そんな飼い猫の様子を見ていて奥さんに「これこそが人間の生き方や」と言ったら、奥さんから「それは猫の生き方であって人間の生き方とは違う」と切り返された話を、どこかで書いていましたが、うーん、炬燵付き猫の生き方には、究極の理想的人生像があると愚考する今日この頃の私なんですが、いったい何の話でしたっけ。

 今となっては、昔の話であります。
 息子が大学生だった頃、ちょうど今頃の季節に下宿先から帰ってきたんですね。
 しかも、彼女と一緒に。
 で、その年の一番目の炬燵の俳句はこんなんになってしまいました。

   初炬燵子とその彼女座りおり

 ほんとうはもっとわくわくした俳句を考えていたのですが、それは二番目になってしまいました。件名のこれです。

SD初炬燵800

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大好きな炬燵の話・その1

 僕はそんなに寒がりって訳ではないんですが、炬燵が好きで、実は二週間ほども前から、炬燵出してくれ炬燵出してくれと女房にねだって顰蹙を買っていたのですが、とうとう先日炬燵が出ました。

 ふっふっふっ。
 おたくは、もう炬燵、出てます?
 でもうちも、やはりまだ早かったですねー。私の住処は関西であります。

 スイッチをつけて、炬燵の中にすっぽりと入ってますと、てきめん汗が出てきて、我慢できなくなります。仕方がないから、スイッチを切ります。しばらくして炬燵の中の空間が冷たくっぽくなってくると、またスイッチをひねります。また汗が出ます。の繰り返しです。

 おい、そんなことまでやって炬燵つけてどうすんねんとお思いかも知れませんが、かつて僕はこんな俳句を作りました。

    うっすらと汗かきつつも春炬燵
   裸にて居れどありたき春炬燵


 春の炬燵なんですが、こんな俳句も作りました。

       幼時懐旧
    泣きながら炬燵塞ぐを押さえたり
   春炬燵小言懐かし母の声


 炬燵って、やはりいいですねぇ。
 色っぽいことなんかもあったりして。

   若き日に握る手のあり春炬燵

 この手は誰の手なんでしょうねぇ。なんかよくわかりませぬ。私は一体何をやってたんでしょうねぇ。

 でも、炬燵はいいですよねー。炬燵、好きですか?
 僕は大好きなもので、この話題、次回も続きます。

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利酒や曇天押して集いけり

SD曇天利き酒




 うーん、俳句も写真も、どちらももう一つでありますなー。
 写真についてはともかく、俳句はこちらの方がよいように思います。

   杉玉もかしこに見えて早稲の酒        秀水



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 ほれぼれとした「潔い生」を読む。

  『聖の青春』大崎善生(講談社文庫)

 年を取ってきまして、いろんな身体のパーツが不自由になってきました。
 ただ、これは不自由なのかどうかよく分かりませんが、老眼がひどくなってきたのと前後して、涙腺がきわめて緩くなってきたような気がします。

 あるいは涙腺の緩さはもともとだったのが、若い頃はそれが恥ずかしくて必死に我慢していたのを、年を取ってきて外聞を構わなくなったのと同様に、涙腺のゆるみについてもムリをしなくなっただけかもしれません。
 いろんなものに面白いくらい、ぽろぽろ涙がこぼれます。

 さて、この本は十年ほど前に、29才で死んだ天才棋士・村山聖のドキュメントです。
 何回か、泣きました。

 そもそも僕は、スポーツ・ドキュメントについてはフェイバレットでありますが、実は将棋の本も好きです。
 といっても、将棋そのものはヘボなもので、だから専門的なことはほとんど分からないのですが(だからあまり専門的すぎるのはダメ)、なぜか将棋の本については、読んでいてなかなか面白いと感じます。
 
 でもこの本は、将棋の本だから面白いという内容では決してありません。
 (女房にも薦めましたら、やはり読んで感動していました。女房は、将棋のルールなどほとんど知りません。)

 この将棋指し村山聖の生き方の中には、間違いなく、金もいらない名誉もいらないという、ほれぼれとした「潔い生」があります。
 「潔い生」というものが、将棋に全人生を賭けてとことんそれを追求する彼の生き方の中に、手に取ることのできるような具体的な一つの形となって現れています。

 ただ、そういった「潔い」生き方が、往々に「早すぎる死・惜しまれる死」などというものに裏打ちされているということについて、もっと言えば、その「死」があるがゆえに我々は感動しているのかも知れないということについて、ある種の後ろめたさを伴う残念さがあります。

 人間とは、本来、利己的ではかない存在ではありますが、「病」とか「死」に彩られてしまわない、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ」という潔い生き方と感動は、やはりなかなか得難いものなのでしょうか。

 ともあれこの本は、大いにお薦めの一冊であります。

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利酒へ三十石で馳せのぼり

SD利き酒三十石




 利き酒会に参加してきました。
 伏見といえば、京大阪を結ぶ、かつての水運の要衝です。
 なかなか情緒深いものがありました。

                         秀水


 (このテーマ、次々回も続きます。)

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久しぶりのマーラー

 久しぶりに、マーラーを聴いています。
 この人の交響曲を聴く度に、なんていうか、「この人は本当に偉い人だな」という気がします。
 だって、20世紀にこんなの書いた人、いませんよ。
 (ショスタコービッチは、まぁ、僕は良く知りませんので。)

 クラシック音楽の僕の「師匠」である友人がいるんですが、
 「マーラーの何番が好きか」と聞くので、
 「1番と4番」と、答えると、「へへん」と笑って、
 「なんだその素人選曲は」と言いました。

 なるほど、僕の好きなのは、マーラーの中の極めてポピュラーな曲ばかりですかね。
 「じゃ何番ならいいのだ」と、僕が聞き返すと
 「マーラーは何といっても『大地の歌』だ」と、友は答えます。

 うーん、1番僕の苦手なヤツじゃないか。
 カッコー1番とシャンシャン4番が、聴きやすくっていいんだけどなー、と僕は思います。

 「誰の振っているマーラーを聴いているのか」とまた友が尋ねます。
 「DGのバーンスタインの、一番高い全集だ」と答えますと、
 「生意気な選択だ」と、今度は認めてくれたようです。

 昨日、1番と2番を続けて聴きました。
 「復活」もいいですね。
 今度友人にあったら、「復活」を話題にしてみようかなと思っています。

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とっても素晴らしい赤瀬川原平氏の「絵画評論」・その3

 上記テーマの第3回目の報告、今回が最後です。
 赤瀬川原平氏の「絵画評論」を紹介していました。今回は、この本です。

  『名画読本・日本画編』赤瀬川原平(知恵の森文庫)

 フェルメールの絵画鑑賞をした文の紹介でも触れましたが、赤瀬川氏の絵画の解説文を読んでいると、なぜこんなに心地よいのかなと思います。
 今回は読んでいて、思わず言葉にしてしまったのですが、
 「この人は鑑賞のプロだなー」と。

 どうなんでしょうか。私の貧しい知識故かとは思いますが、実作者でかつ、このように素人相手に、とても丁寧に「名画鑑賞」の解説を書いてくれる人は、極めて少ないんじゃなかろうか、と。
 それはやはりこの人が、一方で芥川賞なんか取っている文人だからでしょうか。

 鑑賞の「ツボ」としか言いようのないような個所を、まさにピンポイントで指摘されると、思わず早口の関西弁で、

 「ほんまやぼくもそれがいいたかってんぼくといっしょや」

的感動が、一瞬のうちに快感と共にわあああっと脳内に広がっていく、そんな着眼と表現の素晴らしさであります。(なんかよーわからん言い方ですみませんがー。)

 その快感の原因は、なんといってもこの「名文」のせいでしょうねー。素晴らしい文章力だと思います。
 もう少し具体的にそんな部分を指摘してみます。


葛飾北斎


 葛飾北斎は、まー、これしかないと思われる作品『富嶽三十六景神奈川沖波裏』であります。
 ジスイズウキヨエ、有名中の有名浮世絵ですね。
 この絵について、赤瀬川氏はこんな文章を付けています。

 「とくに右の船が怖い。船体の後ろのほうが高々と波の上に上がって、そこまではまだ砕けた波が行っていないので、そこのところはしんとしている。その静寂が恐ろしい。それが左側のざっぱり立ち上がった大波の次の瞬間を、よけいに大変なものに仕立て上げている。」

 「めちゃめちゃうまいやんけー」と、やはり私は関西弁で叫んでしまうのでありました。
 これは勿論、富士山の左側に描かれた大波の凄さ(並びにその大波の真下の船の恐怖)について語っているわけですが、右側の船と海面のふくれ具合に着目してそれを説明した「鑑賞のツボ」が、まさに絶妙ですね。

 こんな鑑賞が、取り上げた全作品にわたって付けてあります。いかさま赤瀬川原平氏は「鑑賞のプロフェッショナル」ですね。読んでいてとても心地よかったです。

 というわけで、赤瀬川氏は恐るべき「見巧者=表現者」でした。
 すごい人って、実際にいるものですね。

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テーマ : 絵画 - ジャンル : 学問・文化・芸術

遠き日の薊咲きける広場かな

万博




 息子が二十歳、大学在学中で下宿生活をしてよった頃の事です。
 大学のサークルの友達、男子2名女子3名をつれて、「蕩児の帰宅」をしよりました。
 大阪万博跡地のエキスポランドに行くいいます。
 「エキスポランド? USJの間違い違うんか。エキスポランドは、若者の行くとこ違うやろ。」
 「いや、ガンダムのフェアやってる。」
 「ガンダム? 大学生の見に行くもんと違うやろ。」

 ということで、翌日昼前からガンダム見に行きよりまして、夕方帰ってきよりました。晩飯を軽く食って、
 「お父さん、この辺で安い飲み屋どこ?」というもんやから、
 「飲みに行くんか、よし、ワシが案内したる。かあさん、こいつら飲みに連れてったるから。」
 「連れてったるから、何?」
 「いや、7人は大変やな、と。」
 「あんたが飲みたいだけちゃうのん。しゃーないなー、はい。」
 軍資金を手に入れて、ふふふふ、あっぱれお父さんの貫禄。なんせ、私はかつて、「御近所飲み屋探検隊」を結成した実績がある。
 みごとに、一日の長を示しました。

 ……二十歳、ですわ。
 若い娘さん(若い息子連も、もちろんいたけど)と飲むと、華やかですね。始終、きゃぴきゃぴと甲高いところで声の空中戦を展開してる。なかなか、よろしおまんな。

 でも、その内、きゃつらめの言うてることが、何やわからへんようになってきます。
 これ、正しい日本語なんやろか。単語のわからんこともさることながら、なんか、全体の文の構造が、現代日本語文法と違うような気がする。
 わー、だんだん頭が痛なってきた。わー、やかまし、やかまし、やかまし、……。

 ……もう、20代は、たぶん、キツいですわ。
 若いおなごがええ、いうても、われわれと日本語が通じるのは、ぎりぎり三十路あたりにならんとあかんのと違うやろか。

 翌日、きゃつらめが昼過ぎに帰りまして、なんや、がくっと疲れました。
 昼寝をしましたら、2時間ほどストンと眠りに落ちました。なんやしらん体がだるい。しんどい。
 いろんなこと考えさせられた「蕩児の帰宅」でございました。

 上記俳句は、息子がエキスポみやげに買ってきた絵はがきに直接書いてみました。
 筆が滑らず、とても書きにくかったのを覚えています。

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とっても素晴らしい赤瀬川原平氏の「絵画評論」・その2

 前々回の続きであります。赤瀬川原平氏の「絵画評論」を紹介していました。
 この本です。

   『赤瀬川原平の名画探検・フェルメールの眼』赤瀬川原平(講談社)

 今回取り上げる絵画は『牛乳を注ぐ女』、これですね。↓

牛乳を注ぐ女


 赤瀬川原平氏は、『牛乳を注ぐ女』についてこんな風に書いています。

 「壺から流れ出る牛乳は地球重力を適確にあらわしている。それは垂直に垂れる牛乳の描写だけで可能だったのではなく、その重さを支える腕の筋肉、腕を保持する人体の緻密なバランス、それらをコントロールしながら牛乳を見守る女の眼差し、そういうすべての微細な力のネットワークがあってこそのものなのだ。
 (中略)
壁の一端に留められた籠が、その編み目をやんわりと斜めにずらしながら下に傾く。そのわずかな重力を見つめるフェルメールの眼差しに、自分の心の底まで見透かされていくようだ。」


 この説明文は絶品ですね。読んでいて、思わずシビレてしまいます。
 上記文後半の、絵を説明する言葉の選び方の的確さと、その絵が鑑賞者の心情に与えた影響を解説する際の、地上から一瞬浮かび上がるような見事な詩情が、特に素晴らしい。

 こんな文章が、赤瀬川原平=小説家・尾辻克彦氏の真骨頂なんですねー。
 もはや改めて詳しくは触れませんが、生活の中の(人生の中の)細やかな出来事に対する愛情のこもった且つ的確な眼差しこそが、画家であり、小説家でもある作者の魅力の源泉であることを、こんな文を読むと、改めて感じさせられるのでありました。

 フェルメールの絵にいかにも相応しい、細やかで暖かい文の力であります。
 よかった。

 では次は、見巧者・赤瀬川原平が浮世絵を読み解く本を、紹介します。また。

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