ごゆるりとくつろぎめされ梅ばやし

SD山羊梅ばやし




 この、なんとなく、付かず離れずのところが、
 個人的には気に入っているんですがね。

                             秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

「我が青春の京都」

 (僕は今、兵庫県に住んでいます。京都府にご在住の方は、そんな他府県人が外にもたくさんいるだろうと、微笑ましくお読みいただければなぁと思っております。)

 これも、今となっては昔、息子がまだ大学に入り立ての頃の話です。

 息子が土曜日の夜に、「お父さん、金閣寺にはどう行けばいい?」と聞いてきました。
 日曜日、京都でデートらしいんですね。
 「息子が京都で彼女とデート」
 んー、なんていうか、一種の感慨がありましたね。

 それは何かというと、まず我が半生を振り返ってみるに、僕にとって「青春」という時期はたぶん大学に入学してから始まったんじゃないかという気持ちが強くするということなんですね。中学校・高校時代もあったじゃないかとも思いますが、そのあたりは、あれこれ事情がありまして、要するにあまり主体的に「青春」していた感じがありませんでした。
 だから僕にとって、自分が若かった頃ということで一番にイメージする時代は、大学時代だということになったわけです。

 今更言うまでもありませんが、大学時代はやはり楽しかったですね。
 お酒と麻雀と、そして夜中にも関わらぬ大声での議論であります。
 まずあの頃は、お酒を呑むと言うことは、吐くことと同義語でした。みんなが律儀に順番に吐いていくといった感じでした。麻雀もよくやりました。そして議論は、文学論。

 甘っちょろい文学青年ですよねー。天下国家を語るように文学とは何かを語るのが、とても楽しかったし、充実しているように感じていたんですねー。
 今になって思い出してみると、そんなありふれてもいましょうが、絵に描いたような青春時代でした。そして、その背景にあったのが、学生街・京都でした。

 僕にとってそんな思いの京都の街に、この度は息子が彼女とデートに行く。
 んー、客観的に見ると、いよいよ選手交代なんだなーという感じがしますが、いや、まだまだ息子には負けない(って、別に何かを競っているわけではないんですがー)というわけのわからない感情と共に、土曜日の夜は、京都のデート・スポットを息子に教えました。

 しかし、よく考えてみれば、僕の知っている京都のデート・スポットとは、すでに四半世紀以上も前のものでありまして、あんな知識が今時役に立つんでしょうか。
 いえ、まぁそれで息子が彼女から笑われたら、それはそれで、ザマーミロであります。

 ということで日曜日の夕方、帰ってきた息子に、どこに行ったのかと尋ねると、金閣寺に行っただけだと答えました。
 まぁ、家を出た時刻も遅かったようですが、よく考えれば、きゃつらにとっては、どこに行っても、あるいはどこにも行かず、単にぶらぶら歩いているだけでも、きっとそれなりに楽しいんでしょうね。そんな頃なんでしょうね。

 うーん、なんというか、うらやましいような、その無知が愚かしいような、うーん、困ったものです。(別に困らへんって。)


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

重齢の日に重なりて雨水かな

SD雨水誕生日②




 前々回に「啓蟄」を取り上げたのに、今回は「雨水」ですか。
 逆でしょうが……。
 ……うーん、なんとも、みっともないことになってしまいましたなー。

                            秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

「シェーネン ファイアー・アーベント」

  『ドイツ語・はじめの一歩まえ』矢羽々崇(株式会社DHC)

 なぜドイツ語なのかというのは、またいずれどこかで。
 さて、この本の中に、ドイツの日系企業に勤めている人が半分笑いながら言った言葉として、

 ドイツ人は終業時間になったとたん、持っていたペンを書類の上にポタッと落とし、書類を閉じもしないで帰ってしまう。

とありました。そして、その説明として、

 彼らにとって仕事そのものは人生の目標ではなく、人生を可能にするための一つの条件で、終業後や休日、休暇中に家族と過ごしたり、自分のやりたいことをするためなのです。(略)彼らは仕事が終わると、『楽しい仕事後の時間を!(シェーネン ファイアー・アーベント)』と同僚に声をかけて帰宅します。(略)『楽しい夕べを!』と声をかけた瞬間に、大げさに言えば、『公の時間』と『私の時間』が切り替わるのです。

と、ありました。
 うーん。……いいですねぇー。

 私も明日から「シェーネン ファイアー・アーベント」と叫んで、飛ぶように職場を離れたろかしらんと思いましたね。

 家では職場のことをできるだけ考えないという私の基本ポリシーは、世界的に見ましてもやはり正しいのだと、改めて思いました。

 というわけで、わが意を得たりと思った私は、さっそく先週の土日は、終日夜もすがらだらだらと過ごすに至りました。
 (あー、あんまり関係なかったですかね。)


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

啓蟄や微睡み足りぬこともあれ

SD啓蟄つくし




 この俳句は私としては、わりと好きです。
 これは「ゆるキャラ」につながっているものなんでしょうか、
 よく分かりません。
                           秀水


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永遠に元気で、そして永遠に本物の安吾

  『堕落論』坂口安吾(新潮文庫)

 たぶん、今まで3回以上は読んでいると思うんですね。安吾のエッセイのたぐいはわりと好きですし。ただ、今までは、角川文庫で読んでいました。

 先日ブックオフに行ったら、105円で売っていました。新潮文庫版は、今まで読んだことがなかったので、買ってみました。
 でも、何というかー、えー、ちょっとこの本、編集があまりよくないような気がします。
 まとまりがないです。ひょっとしたら編者はわざとバラバラな文章を載せて、安吾の作品の幅みたいなものを分からせようとしたのかも知れませんが、うーん、こんな編集はどうなんでしょうかねー。
 僕としては、もう少し、テーマを絞った方がいいと思うんですがね。

 読み終えまして、安吾は相変わらずの安吾でした。
 本物なんだろうけれど、相変わらず少し荒っぽいです。

 本当に必要なら、金閣寺をぶっ潰してバス停を造ればいいとは『日本文化史観』の一節ですが、そしてそれはきっとその通りなんでしょうけれども、でもその通りにやっていたら、人間は生涯落ち着くところというものを持つことができません。
 もっとも、それこそが安吾の主張であったのかも知れませんが。

 ともあれ永遠に安吾は元気で、一方読むほうの僕はかなりガタが来はじめていて、ついていくのに少し疲れる主張に、なんというか、少し寂しさを覚えました。はい。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

浅春やかしら小さき魚料理

SD浅春魚料理




 魚が、子どもの絵みたいですね。
 ぼんやりと春霞のごとし、と、思っていただければ……
 ……ムリかな。
                             秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

人を待つ時間の切ない幸せについて

 先日こんな文章を読みました。
 科学は加速度的に進んでおり、例えば小中学生が普通に持つケータイは地球の裏側といつでも繋がっているが、そんな状況はつい最近まで想像もつかなかった、と。

 なるほど小中学生がケータイを当たり前のように持っているという状況は、十年ほど前にはとても考えられなかったなー、とつくづく思いました。
 十年前といえば、高校生あたりが「ベル入れるね」とか、言っていなかったですかね。

 ポケベル。こうして書くだけで、懐かしいですねー。
 でも僕は持っていませんでした。よく考えたら、どんな物であったのかという記憶すら、今では定かではありません。あれって、どんな仕組みで、どんな機能があったんでしたっけ。
 確か、ベルが鳴って(ポケベルだから当たり前か)なんか、文字も少し送ったり送られたりがありましたよね。なんか森永チョイスビスケットたいな外観を持っていたような記憶があるんですが、……うーん、忘れたなー、よくわかんないですねー。

 今の高校生は、ケータイのない生活なんて想像もつかないんだろうなと思いますが、かつての恋人たちは、例えば前日の夜の電話であったり、例えばその前のデートの別れ際であったり、そんな時に、次に会う場所と時間を決めましたよね。
 しかしいろんな都合や突発的な出来事が持ち上がって、待ち合わせの時間に遅れるという状況が生まれたりしました。
 でも、そのケータイがないために起こる待ち時間が、相手のことを考えながら過ごす5分、10分、30分という時間こそが、極めて演劇的な時間であり、よかれ悪しかれ、まさに恋愛の粋であったような気がします。

 そういえば確か太宰治が『待つ』という小品で、人を待つ時間の切ない幸せというものを描いていました。
 ……うーん、でもやっぱりこんな思いは、高校生にはきっと通じないんでしょうねー。
 ほとんど「もうろく」の前哨戦のようなものですかねー。……。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

石鉢を覗きて春と知らせけり

SD白梅と石鉢




 寒い寒いといっているうちに、梅はちゃっかり春を知らせて廻っていますね。
 人間の負けです。
                           秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

すごく風通しのよい爽やかな国

  『草原の記』司馬遼太郎(新潮文庫)

 これはモンゴルの話なんですね。特に主人公はいません。同作者の『街道を行く』シリーズみたいなもので、歴史と風土の関係性、いわゆる「お国柄」を書いたものです。

 読み終えて、僕はモンゴルについてほとんど知識がないので、バイアスの懸かった見方をしているのかも知れませんが、「モンゴル」ってすごく風通しのよい爽やかな国、国民、と想像してしまいました。
 なんかとってもいい感じなんですね、僕としましては。
 その感覚の分析が、さらに本書に書いてあります。

 それは、国家に対しては「負」の方向に働いてしまいましたが、まれにみる人種としての美質、すなわち「寡欲」がその正体であります。
 信じがたいような「寡欲」の例がこの本に書いてあるのですが、作者はこの「財産が何であろう、金銭が何であろう、この世にあるものはすべて過ぎゆく」というモンゴル人の感覚を、「透明な厭世主義」と呼んでいます。
 そしてこの人種的属性は、中国にはまれで、東アジアの中では、むしろ極東の日本に文化の底流として息づいていると説いています。
 うーん、さすがに司馬遼太郎は上手に書きますね。(司馬氏は大阪外国語大学の蒙古学科出身であります。)

 この辺に、僕のモンゴルに対する好感の源があると思いました。
 もっとも、少し前の朝日新聞に、モンゴルも今や激しい貧富の差に直面しており、国全体がぎくしゃくしているといった記事が載ってありました。

 モンゴル出身の、一アスリートの話題に思ったことなど。


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