なぜブルックナーは感動するのか。

 今月初旬の話ですが、クラシック音楽のコンサートに行って来ました。
 メインのプログラムは、「ブルックナー・交響曲第7番」であります。

 オーケストラの紹介とかにつきましては、私などは元もと音楽については好き勝手に聴いているだけで見識もなければポリシーもなく、また細かなところを聴き分ける耳も持っていないという、ないないづくしで聴いているものですから、細かな情報はパスします。
 なに、パスしたところで困るような、そんな「通」のお話ではまるでありません。

 そもそも交響曲が好きなもので、もちろん交響曲はクラシック音楽の花ですから、多くの方が同じであろう思いますが、そんな中でも、私のフェイバレットのブルックナーであります。

 しかし、ブルックナーをライブで聴く機会というのは、案外に少ないものですね。
 ほとんど無いとまでは言いませんが、まー、中程度にしかないような気がするんですが、そんなことないですかね。

 ブルックナーの作った交響曲全部をライブで全て聴きたいものだと思っているのですが、いかんせんなかなかバランス良くコンサートのプログラムに入ってきません。
 仕方がないのでライブのコンプリートはともかくとして、出会った曲をぽつぽつと聴いてきて、今回7番も、ライブでは初めて聴きました。

 7番と言えば、ブルックナーがこの曲を作曲中ワーグナーが亡くなったということで、追悼の意も込めたワーグナーチューバの使用ですね。2.4楽章でやってました。

 ところで、あのワーグナーチューバの吹いているポジション、なんか変で、音が、管の中をぐるぐる回ってちょうど正面から見て演奏者の頭の左側に、ラッパの口が開いているんですね。
 今回、4人のワーグナーチューバ演奏者がいましたが(1.3楽章はホルンに持ち替え)、その4人の左側に普通のチューバ奏者がいまして、その間に透明なアクリル板のようなものが、脚をつけて立っておりました。
 なるほどねー、耳の真横であんな大きな音がしていたらたまりませんものねー。
 しかし、ワーグナーチューバの奏者同士はそんなことないのでしょうかね。一番右端の人ならいいでしょうが、それ以外の3名についてはやはりそれぞれ耳の真横で音がするんですがねー。
 そんな風に考えていくと、管楽器演奏者というのも大変ですね。難聴は職業病と言いますものね。

 しかし、このコンサートはなかなか良かったです。ブルックナーは、やはり盛り上がりますねー。
 なぜ盛り上がるかと言いますと、今回でも、この一曲だけで75分です。
 終盤になってくると演奏者も大変だろうけれど、あんな狭い椅子にずっと座らされている観客も結構大変なわけで、腰痛持ちの私などは、狭い椅子の中でビミョーに姿勢を少しずつ変えながら聴いています。大変です。

 そんな演奏者の大変と、観客の大変が一緒になって、カタストロフに向かってお互い固い共同感覚・団結意識が生まれます。そして、あの、耳も砕けよと鳴り響く金管楽器の集団催眠のような効果の中で、75分が終わったとき、もー、わーーーーーっと、拍手の嵐ですわ。やっと、終わったーーーーっっっ!!

 ……やー、ブルックナーは、やはりええですなー。
 ……観客も2/3くらいはオッサンばっかしですしー。

 と言うことで、感動的なコンサートでした。
 また次もブルックナーを探したいと思います。


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娘のメールテンション高く秋の空

SD秋の空②




 しかし、空は秋のものですね。
 少し、ほっとしますね。

              秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

たまには話そう映画の話を(その2)

 ビデオやさんの棚で見つけたので、つい借りてしまった作品が一つありました。
 『博士の愛した数式』です。
 これももう、少し前の映画ですね。どれほどヒットした映画なのかは僕は全然知らないのですが、小川洋子の原作はなかなかの名作です。

 僕は、原作を3回読みました。じつは読むほどに、少しアラが見えてきたりしたのですが、しかし近年の僕の読んだ小説の中では、明らかに上位にランクされるものでした。
 だから、割と期待して借りたんですね。
 で、つくづく感じたのですが、良い悪いではなくて、小説と映画は、当たり前ながら全く別物だなーということです。

 このビデオは、夜に女房と一緒に見ました。女房もこの小説を読んでいるんですね。
 一緒に見終わって、女房が言うには「これ小説読んでなかったら、わからへんのとちがう?」という感想でした。
 僕は、あ、そう言う感想も、ありかー、と思いました。

 僕は、そもそも映画は基本的に全体で2時間前後しか時間がないものだから、その中に納めてしまうためには、原作に比べるとどうしても種明かしのような説明が出てくるのもやむなしかと、感じていたんですね。
 そしてその「種明かし」が、小説に対する映画の理解・解釈スタンスであり、その映画評価の基準ともなる、なんてことを思っていたわけです。
 で僕は、中盤から入ってくる原作にないエピソードのせいで、やや散漫に流れたんじゃないかという感想を持っていたんですが、いや、それでもなかなか面白かったですね。

 映像というのは、やはりいろんな力を持っていますね。放っておくと、のめり込みそうになってしまいますね。
 僕でも、次は何を見ようかと思ってしまいますものね。


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テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

前栽の古仏さやけし嵐山

SD嵐山




 この句は、少し以前の句で、拙ブログでも一度載せました。
 今回は、ちょっと筆で書いてみました。
 座興であります。

 季語は「さやけし」
 そろそろそんな季節になって、……いや、まだまだでしょうねー。

                               秀水


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あっと驚くモーツァルトの寿命

  『モーツァルト99の謎』近藤昭二(二見文庫)

 モーツァルトのエピソードについて書かれてある本です。
 はっきり言って、少し「キワモノ」じみた感じの本ですね。だってタイトルがそんな感じであります。
 でも以前にもこれと同シリーズですかね、『金田一耕助99の謎』って本を読んだんですが、僕は金田一耕助ファンなんですが、とっても面白かったです。

 我々素人は、何かについて、自分では割とよく知っているつもりでも、なかなか集中し纏まってその事について調べたり学んだりしませんから、結局、それに関する知識もそこらじゅうに穴があいているんでしょうね。(まー、だからこそ素人で、同時にその気楽さも我々は十分満喫しているんですが。)

 というわけで、「キワモノ」なんて、ちょっとひどい書き方をしてしまいましたが、僕はこの本もとっても面白く読むことが出来ました。
 モーツァルトのエピソードを挙げていけば切りがないんですが、一つだけ取り上げてみますね。

 我々は、モーツァルトが35歳で亡くなったことについて、しばしば彼の短命を嘆き、「神の嫉妬か」とさえ口にしたりします。
 しかし、本書によると、このころのドイツの平均寿命は、なんと、35歳前後だと書かれてあるではありませんか。

 医学の充分発達していないこのころのヨーロッパの話であります。乳幼児が圧倒的にばたばたと死んでいくんですね。
 事実モーツァルトの兄弟も、7人いた中で成人まで生きたのは彼と姉のナンネルだけでしたし、モーツァルトとコンスタンツェ夫妻間の子供6人も、生後6ヶ月以上生きたのは男の子2人だけでした。
 首尾よく成人しても、感染症が猛威をふるう時代で、抗生物質もなく、よって平均寿命は35歳前後だと推定されるといいます。

 えっ?
  ……とすると、えーっと、とするとですね、仮にモーツァルトが現代の日本人男性だと仮定しまして(すっごい大胆な仮定ですが)、そうするとモーツァルトは日本人男性の平均寿命の80歳まで生きたってこと? (日本人女性なら86歳!)

 これって、なんか、「立派に天寿を全う」って感じになりません?
 もちろん長寿は素晴らしいことではありますが、モーツァルトについての、感覚的なものとしては、「ええーーっ!」という感じでありますねー。

 うーーーん、こんな驚きがあるから、読書ってやめられないんですよねー。


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伸び悩み伸び悩みして雲の峰

雲の峰文字入り




 うーん、もう少し迫力のある写真が欲しかったですなー。
 伸び悩みですなー。

                              秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

日本列島猛暑に、少年の日の長い午後を思う。

 日本列島連日猛暑が続いていますが、いやー、たまらんですなー。
 しかし、年を取ってくると、なぜ今年の夏はこんなに暑いのだと、考えれば毎年思っているような気がするんですがー、そんなことないですか。

 夏の暑さって、本当に年々強くなっているんでしょうかね。異常気象が世界中のあちこちで言われて久しいですものね。
 うーん、これって、一体なんなのでしょうね。

 思うに、これはきっと夏の楽しさが、毎年少しずつ少なくなってきているせいではないでしょうか。
 子どもだった頃、ころころと転がって生きていたような頃、夏はきっと、今よりもずっとずっといっぱい楽しいことがありましたよね。
 プール、海水浴、虫取り、スイカ、夏祭り、縁日、盆踊り、昼寝、花火、その他その他その他……。

 小さかった頃の夏は、もちろんそれなりにいっぱいいっぱい暑かっただろうけれど、それをしのぐ楽しいこと(今考えればほとんどが、なぜあの頃はあんなに楽しかったのだろうと、考え込んでしまうようなつまらないものでしかなかったとしても)が、本当に夏の一日中、目が回るくらいに、いっぱいあったんですよね。

 それが今はないとは言いませんが、例えば僕の子どもが小さかった頃のことなんかも思い出すんですが、夏休みに子どもと一緒に行った海水浴も、思い出してもとても楽しいものでした。
 でも、そんな海水浴に、自分が子供としていくのと、大人として行くのとでは、個人の中の楽しさの度合いが、それはもう、全然違うんじゃないでしょうかね。
 子供が感じる全身全霊を使っての楽しさは、もはや、大人である我々には、残念ながら望べくもないのでしょうね。

 話はいきなり飛んでしまうんですが、漫画『鉄腕アトム』の中に、アトムの両親ロボット夫婦が、今度ロボットとして生まれてくる時はきっと子供のロボットでありたいと、しみじみと語り合う場面がありましたが、それを思い出しました。
 全く我々に、子供であった経験がなければ、大人なんてやっていたくないものですよね。

 猛暑に、ふっとそんなことを考えていました。


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人倫を熱く語りて麦茶かな

麦茶




 この句は、わりと気に入っています。
 何というか、この結句の「立ち位置」が、わりと好きです。

                             秀水


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