格闘技とわたし

 最近やっと分かってきたんですが、我が娘は、どうも格闘技オタク的な所があるようであるな、と。合気道も、週一回で習いに行っていますし、先日近隣の空手道場についてネットで調べておりました。

 まぁ物騒な世の中ですから、女性が肉体格闘技的にも我が身を自分で守れるようになるのは、大切なことだとは思うのですが、しかし、軟派な父親となんと遙かに違うことでしょうか。
 なんか今まで一緒に並んで立って眺めていたはずの人生の地平が、尋ねてみるとまるで違うものを見ていたようで、少し圧倒される思いなんですがー、えー、不思議なものであります。

 そう言えば、私の従兄弟に柔道と空手の有段者が1人おります。確か、二段とか三段とか言っていたように思いますが、そんなやつです。
 そいつは、若い頃海外をあちこちうろうろしていたやつなんですが、年に何度か、親戚同士で集まって食事をする折なんかに、そいつは常々「格闘技は男の保険である」などと言っておりました。

 そんな「男の保険」が一つもなく、色男でもないのに金も力もない、文弱軟弱者の私といたしましては、そのような話題の際には、自分でおでこの一つもぴしゃりと叩きながら、「へへっ、どーも恐れ入りやすでげすな」と、まるで『坊ちゃん』の「野だいこ」のように卑屈な幇間ぶりを示しまして、内心は少々苦々しくも、しかし今考えるとかなりうらやましいような感想を抱いておりましたですな。へへっ。

 そいつは今も、モンゴルで日本人学校の先生をしているとかですが、うーん、そう言う生き方も、今もって少しうらやましくあります。


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カタカタとPC虫の音の中に

SDPC2入句




 虫の音が小さいのは、季節の変わり端だからでしょうか。
 まー、これからでしょうね。

 虫の音が大きくなってくるほどに、心の静寂が深まっていく。
 秋はそんな季節ですね。

                              秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

学生オペラ歌手の実力や如何に

 ある芸術系大学のオペラを、先日見てきました。
 以前その大学の文化行事の招待券を貰って見に行って以来、なかなか面白かったものだから時々ホームページを覗いていて、それで知りました。学生による舞台です。

 そもそも芸大学生によるオペラというものは、どの程度に芸術性があるのでしょうかね。なかなか一概には言えないものでありましょうが、今日の公演の帰りにこんな風に考えていました。

 まず楽団、つまりオーケストラについて考えてみます。しかし、比べるといってもウィーン・フィルとかベルリン・フィルとかと比べるのはいくら何でも酷というものだろうから、とりあえず国内の一応プロのオケを比較の基準としてみます。

 野球に例えて考えてみると、オーケストラについては、まぁ、プロ野球と実業団チームくらいの違いでしょうかね。個人的にはなかなか聴ける感じがしました。

 しかし「オペラ歌手」について。これはちょっと実力差が歴然という感じがしましたね。
 プロ野球と高校野球くらいかもしれませんね。いや、もう少し差があるかも知れません。
 「一生懸命のプレーですから、エラーは仕方ありません」という、高校野球のアナウンスの、あの感じですかね。

 そう言えばモーツァルトほどでなくとも、ピアノやバイオリンの神童というのはよく耳しますが、歌唱の天才少年(少女)ってのはあまり聞きませんね。(特に少年は、変声期という大きな「試練」がありますから。)それこそ美空ひばりくらいなモンですかね。

 学校唱歌みたいな曲を単純に歌うだけならともかく、オペラとなると、表現力とか説得力なんかにやはりキャリアが必要になってくるんでしょうね。
 と、まぁ、そんな風に考えていたのですが、でもなかなか面白かったです。

 また、今回のオペラでは、日本語翻訳の歌を歌っていましたが、でも思っていたよりも違和感は感じなかったです。
 そもそも歌詞なんてものは日本語であっても、一度聞いたくらいでは隅々まで分かるものではありませんので、ドイツ語イタリア語の場合とかなり似通った感じで聴けたんじゃないかなと、「瓢箪から駒」に思いました。

 小林秀雄は『モーツァルト』の中で、木管も声帯も同じだと、かなり極端なことを書いていましたが、いくらなんでもそこまではいい過ぎとしても、音としてのすばらしさだけでかなりいいんでしょうね。

 しかし本当は、今回のオペラについて、何よりこっそりすばらしかったのは、料金が全席自由席で「激安」だったことにあります。おかげで僕は、前から十列目あたりのど真ん中で見ていました。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

山並みの果てまで見えて鰯雲

SD]鰯雲




 やっと、やっと、らしくなってきましたねー。
 いやー、よかったよかった。
 さー、これから遊ぶぞー。

 って、何の話?

 ところで、この色紙は少し前のです。
 その頃は、真っ当に季節が代わっていたんですかねー。

                           秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

終わりよければ全てよし、ってことかな。

  『新・シングルライフ』海老坂武(集英社新書)

 今回上記の本を読んだのは、少し前に、関川夏央の『中年シングル生活』というよく似た感じの本を読んだんですね。するとその本がなかなかに面白くって、そんなことを覚えていたものだから、またこれもと選んだんですが、うーん、前半から中盤くらいまでは、なんともうじうじしたシングルライフの理論武装(なにゆえに自分はシングルであるのかといった)が書かれてありました。
 それがまた、非常にショボイ。こんなこと書いているからシングル者は気楽なものだと思われるんじゃないかと、思いつつ読んできました。

 ところが、終盤、俄然面白くなってくるんですねー。
 なぜかというと、そもそもこの筆者は1934年生まれなんですね。これくらいの年齢の人が、半生をシングルで通すというのは、何というか、時代・世相的にはかなりの抵抗があったわけですね。
 シングルであることのマニュフェストを発表するということは、いわば一つの世界に対する断固たる「拒否」の意志を示すことに他ならなかったわけです。

 ところが、もうおわかりのように、時代は移り、この筆者が半ば命がけで拒否しながら少しずつ広げてきた地平を、なーーんも考えない連中が、チュウインガムなんかを噛みながら、アイポッドなんかを聞きながら、すーーーと横を通り過ぎていくんですね。
 いわばそれに対する「鼻白む」様、それの書かれるのが終盤で、これがなかなかおもしろかったです。

 そう言う風に見ていくと、中盤までのうじうじとした展開も、実際、現代において伝統的な夫婦生活や家族生活が崩壊の時を迎えつつあることはやはり間違いのない事実でありますし、新しい時代を作るのはいつだって、現在に激しい抵抗を感じている人々に他なりません。そう考えると、そんなことをうじうじ考え続ける理性というものにも、あるいは新しい方向性が、生まれるやも知れないではありませんか。

 ということで、終わりよければすべて良し、後半の良い本は読後感も悪くないんだなと言うことが分かった一冊でありました。なるほどねー。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

暑気残る中も華やぐ柝の音かな

SD暑気①




 大阪は上本町に新歌舞伎座が新開場しまして、その「柿葺落(こけらおとし)」興行を見てきました。
 実は、歌舞伎なんて見たのは、えー、生涯3度目、くらいかな? 
 そんな「ド」素人でありまする。

 しかし、特にお芝居が始まる前って、わくわくと気持ちが高ぶりますよねー。
 それも新しい劇場で。
 そんな気持ちを詠んだのですがー、なかなか、難しいですね。

 もう一つ、書いてみますね。

 涼ひとつ柿葺落の得かいな

 これは、関西弁が入れたくて作りましたが、うーん、これもねー。
 
 ともあれ、上品な関西弁(テレビなんかにはまず出てきません)を使われる年輩の御婦人も、たくさんいらっしゃいましたよ。

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音楽的天才とは何なのか

 『カラヤンとフルトヴェングラー』中川右介(幻冬舎新書)

 うーん、しかしこの本はどういうんでしょうね。
 まー、一気に読んでしまいましたから、面白かったのは確かだと思いますが、ちょっと、後味の悪いものが残ったという感じがあるんですがー。

 作者は「あとがき」に「『人柄のいい人』の『お上手な演奏』など、聴きたくない」と書いています(そもそもこの書き方には問題があると僕は思います)が、そして芸術家は芸術的才能のみでは通用しないとも書いてますが、もちろんそれについては僕もある程度納得できますが、でもねー、そういうのって、芸術的才能についても所詮二流レベルの話じゃないんだろうかという気がしませんかねー。

 本文中にあるんですが、カラヤンについては少しおくとしても、フルトヴェングラーといえば、人類の生んだ音楽家・指揮者の全歴史の中でも一等賞級の才能なわけですよね。そんな才能の持ち主が、人格的完成を成すことがまるでなかったというのでは、僕としては、そんなトップを持つ「音楽」という芸術ジャンルそのものの存在意義について、どうしても疑義を持ってしまうんですが、僕が間違っているんでしょうかねー。

 本書は、カラヤンとかフルトヴェングラーという、人類の生んだ一等賞級の才能の持ち主同士が、ベルリン・フィルの指揮者の席を巡って、実にドロドロとした競争を繰り広げるという話なわけです。

 しかし才能と人格の関係と言っても、じゃあモーツァルトはどうだったのだ、映画『アマディウス』を持ち出すまでもなく、モーツァルトに人格的完成など端から期待なんかできないじゃないかと言われればそんな気もしますが、うーん、モーツァルトは、ちょっと違うんちゃうかなー、なんか、フルベンとは、違う気がしますー。

 とにかく僕としましては、二流三流の才能ならともかく、その分野での全人類的規模の第一級の才能が人格的完成とほとんど連動しないのが「音楽」という芸術の属性であるのなら、はたしてそんな「芸術」に、本当に尊敬に値する・愛着を持つに値する価値があるのかということが、よくわかりません。

 もっとも僕自身の中でも本当のところ、僕の上記のような疑問が、芸術とはあまり関わりのない極めて趣味性の高い倫理観から出ているんじゃないかと言う感じは持ってはいるんですが。

 あなたはこの辺の所どう考えますか。音楽的完成と人格的完成は、本当のところ全く関連を持たないものなんでしょうかねー。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

うんざりと秋扇八面六臂かな

SD秋扇句入り




 しかし、えー、
 何とかなりませんかね、この暑さ。

 ったく、うんざりですねー。


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たまには話そう映画の話を(その3)

 今年の僕の「夏休み」中のお話しです。
 何をしていたかといいますと、それがまー、聞いてください。
 実は僕以外の家族は、僕が夏休みになったというのに、依然として、各自職場や学校に行っておるんですね。いかんですねー。協調性がありませんねー。

 先日も娘が朝、すでに女房が出勤した後に部屋から出てきて「お母さんは?」と聞くから「もう仕事に行った」と答えますと、今度は「お父さんは何で仕事に行かないの?」なんて言います。
 そう言われて、思わずなぜ私は仕事に行かないのだろうと考え込んでしまいましたが、娘に言った答は
 「お父さんは、仕事が、嫌いやーっ。」でした。

 「自分のアホををそんなに自信持って言わんでもええ」と、娘からは軽くいなされてしまいました。ははは。
 正確に言いますと、そんなに仕事が嫌いなのではなく、仕事以外のもっと楽しいことを、単にしていたいというだけのことなんですがね。まぁ、同じようなものですか。

 というわけで、私はいよいよ夏休みに突入したのですが、上記の理由で家族は遊んでくれません。
 えー、一人遊びをしろということで、しかし一人遊びは、もともとわりと好きなんですね、わたくし。

 「読書」。これは僕の生活のベースですから、まぁどう転んでも馴染んでいるんですが、それに加えて週末にかけて、レンタルやさんでDVDの類を幾つか借りてその鑑賞に励んでおりました。
 先週も、横溝正史の金田一耕助シリーズを、何冊か原作本を読んだ後DVDも見ていました。

 『八つ墓村』を2種類、『獄門島』、そして『本陣殺人事件』と見ました。
 どれも原作の小説をまず読んでそれから映像を見たのですが、まぁ娯楽作品でしょうから批評というような感想もないのですが、金田一耕助を渥美清・豊川悦次・石坂浩二・中尾彬などの俳優さんがやっていました。それぞれなかなかに個性的な金田一でしたが、僕は石坂浩二が最もいいなと思いました。
 たぶん多くの人の感想に準じるものと思います。

 そんな、いつもと同じの「一人遊び」の夏休みでした。(残念ながらもう終わってしまいましたが。)


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