野分来て六甲連山モノトーン

SD野分きて




 「六甲連山」というのは、日本で一番有名な野球讃歌『六甲颪』阪神タイガース応援歌に出てくる「六甲山」でありますね。

 ところで、この句は、割と気に入っている句なんですが、なぜそうなのか、どこがいいのか等といったことが、自分でほとんど語れないのが困ったものであります。

 最後に、後ろの写真は最近とったものではありません。

                               秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

自己増殖するCDについて

 例えば今はショパンなんかが流れているんですが、こんな人の音楽を聴いていると変なもので、
 「あ、こいつ、才能あるなー」なんて思ってしまいます。

 おまえ何考えてるねんと怒られそうですが、例えばバッハとかベートーベンとかモーツァルトなんかの場合だと、「こいつ、才能あるなー」とは、思ってもなかなか言えるものではないでしょう。
 だって彼らは偉大なる「人類の不労所得」なんですから。

 でも、ショパンあたりだと、何となくそんな「与太」が言えそうな気がするんですがー、えー、なんか間違っているかな。これってひょっとしたら、すごい畏れ知らずの大胆な発言なんでしょうか。うーん、そんな気もするなー。

 ショパンのことを、「こいつ、才能あるなー」というのは、仮に文学の世界で言えばどんな感じになるんでしょうかね。

 バッハを、例えばシェイクスピアに模してみるとすれば、ベートーベンはさしずめゲーテあたりですかね。この二人は実際に親交もあったようですし。
 でもやはり、この辺の連中に対しては、「文学の才能がある」とはちょっと言えませんわね、常識的に考えて。

 とすると、ショパンは、例えばアルチュール・ランボーあたりでどうですかね。
 ランボーに対して、「こいつ、詩の才能あるよなー」っていうのは、うーん、やはりかなり、かなり、まずいような気がしますね。
 桑田佳祐に対して、「この人、才能あるよなー」というのとは、やはり少し違いますものね。(いえ、なにも桑田氏を貶めているわけでは決してありません。)

 そんなことを考えて暇つぶしをしつつ、我が家のCD棚は、自己増殖するCDのためほぼ絶望的にスペースがなくなりつつあります。うーん、困ったことだ。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

瞳寄せ口突き出して鳥威し

SD鳥威句入




 どうも今年は、ばたばたあった上に、秋が短そうで、田舎に行けなさそうです。
 年を取ってくると、こんな風景が何となく身にしみてくるんですがね……。

                              秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

大学で日本文学史の講義を聴いてきました。

 先日、ひょんな事から僕は市内のT大学に行って、日本文学史の講義を聴いてきました。そもそもの話を述べると少々面倒なんですが、要するに保護者の代わりに、まー、小学校のように「授業参観」に行ったというとですね。
 しかし、昨今は何でも大変ですよねー。大学でもこんな事をしているんですから。

 大学の講義なんて四半世紀以上前に聴いたきりであります。近代日本文学史の、萩原朔太郎の説明をしていました。
 1年生対象の授業と言うことで、100人くらい教室にいたかなと思いますが、文学部の国文科ですのでやはり女の子が圧倒的に多いようでした。
 そしてその女子大生だけでなく少数派の男子大生も含めて、ほとんどの学生が茶髪で、服装もいわゆる「流行」のファッションをしていました。

 教壇ではわりとご年輩の先生が、とてもフレンドリーな感じの話しぶりでした。
 『月に吠える』の詩と本の装丁・挿絵についての話題でしたが、なんて言うんでしょうか、私の聴講体験が四半世紀ぶりのせいでしょうが、なんかすっごい違和感を感じました。
 この違和感は、要するにこんな茶髪の現代的な若い子でも、朔太郎とか『月に吠える』のこととかを聴いて面白いんだろうかという、まー、大きなお世話と少々傲慢な感想のものでしょうか。

 あの茶髪のお嬢さんや青年達も、朔太郎、好きなんでしょうね。なんて言い方がそもそも傲慢なんだろうと自分でも少々思いますが、まじめに一生懸命聴いて十分理解している茶髪青年淑女達も一杯いるんでしょうね。きっと私の違和感が間違いであるのでしょう。

 でも90分講義の最後の方になると、私もだんだんいろんなことを思い出してきまして、
 「あー、そーやったなー。こんな浮世離れしたよーな日々を、私もかつて送っていたんだよなー。講義をさぼって雀荘とか喫茶店とかよく行ったよなー。喫茶店に行ったら、ちょうどコンピューターゲームが喫茶店のテーブルに出始めた頃で、インベーダーゲームや、その前のブロック崩しなんかやってたよなー。毎日が眠りこけそうないいお天気ばかりだったような気がするなー」
 なんて思い出しておりました。
 
 ともあれ文学研究なんてものは、そもそもこんな浮世離れした中で行われるものなんでしょうねえ。
 忘れかけていた懐かしいことをあれこれと思い出して、ちょっと嬉しかったです。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

秋桜の群れて靡いて囁いて

SD秋桜群れて②




 やっとこんな季節になりました。
 しかし、少し、看板に偽りアリの写真ですかね。
 わずかこの程度の秋桜で……。

                             秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

二階建て音楽の百年

   『音楽ちらりちくり』服部公一(新潮文庫)

 例によって、大型古書店105円本であります。
 奥付を見ますと、昭和59年発行とありますから、それだけで充分古いですが、元々の内容はどうも僕が二十歳の頃の朝日新聞コラムであるようです。となるとこれはかなり古い。
 でも結構いろんな面白いことが書いてありました。

 例えば「二階建て音楽の百年」という小文は、学校教育の中の音楽教育、いわゆる音楽の時間のことが書かれてありまして、確かに僕自身の小学校中学校時代(高校は選択授業で美術を取りました)の音楽教育もこんなだったなと思い出すことしきりでした。

 タイトルからも想像できましょうが、要するに日本の音楽教育が、わが国の伝統音楽(民謡・演歌等を含む)と西洋音楽との間で完全に相関を失っているという内容です。
こんな風に書いてあります。

 「日本の伝統音楽の流れの中にある小唄や演歌を上手に歌うということが音楽的な能力の評価につながらない、また、これらの人が自ら音痴と名乗り、歌は歌えないと称する、そして、この種の歌の上手、下手は学校の音楽の成績とは全く関わりがない---これは日本以外には通用しにくい論理であり、日本特有の社会現象である。」

 この問題の根元は「西洋音楽の日本への上陸の仕方」にあるとして、それを「猿まね制度」であり音楽に「上等」「下等」を作ってしまったと多くの弊害の実態を挙げ、そしてその状況のことを章題のように「二階建て」と説いています。

 しかし最後には、そんな音楽的状況に柔軟に対応していく日本人(児童・学生)に感心を表し、さらに、「われわれが自由に楽しく、音楽を、歌を楽しむことができるようになるにはまだ少し時間が必要だと考えることもできるし、二階建てをそのまま楽しむような雑食性こそ、日本の特徴であると考えた方がよいのかも知れぬ。」と括っています。

 さて、ここに挙げられた「少しの時間」を、現在はすでに取り得たのでしょうか。
 「少し」のうちのだいぶんがすでに取り得たようにも思えるし、状況は旧のままであるとも思えます。
 しかしどちらにしても、音楽というものを考えるとき、こんな楽天性は大いに現実的な気がします。
 少なくとも、昨今の世界情勢の悲観的にならざるを得ないような現状とは比すべくもなく。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

山並みの曇れどすがし体育祭

SD体育祭②




 あさってが、体育の日なんですかね。
 なんか、近隣の小中学校はみんな体育祭はすんでいるような気がするんですが、どうなんでしょ。

 この季語も、ひょっとしたら「賞味期限」の短い季語なのかな。

                                 秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

本当に心を解放させて楽しむということ

 『父と暮らせば』井上ひさし(新潮文庫)

 戯曲です。芝居の初演自体はけっこう古いです。1994年とありました。
 昭和23年の広島が舞台です。原爆で身内を失った一人暮らしの23歳の女性が、小さな恋を拾おうとする話です。短い戯曲ですが、僕は後半、何度も目頭が熱くなりました。 シンプルな、しかし力強い、いい戯曲でした。

 で、しばらくして僕は考えました。
 先々週の土曜日に、モネとかドガとかゴッホとかの絵を見に行きました。
 先週の日曜日には、ベートーベンのピアノ・ソナタを聴きに行きました。
 そして同日、井上ひさしの戯曲を読みました。
 しかし泣いたのは戯曲だけでした。深い感動を得たのがそれだけだと言い換えることもできましょう。
 これは、一体どういう事でしょうかね。

 もちろん第一に思い至るのは、私の鑑賞能力についてだと思います。その次は、各芸術表現の違い、でしょうかね。具体性・抽象性ということですね。
 
 例えば『フィガロの結婚』の第2幕のフィナーレはすごいですよね。僕はアーノンクール指揮のDVDを見ていて鳥肌が立つような思いをしました。
 例えばゴッホの自殺する間際の麦畑の絵は、僕は現物は見たことはありませんが、画集での一見、ぞっとしました。

 いえ、少し書き方を誤ったような気がします。
 僕は、要するに不思議さと少しの寂しさを感じたということが言いたかっただけなんですが、なんか持って回った書き方になってしまいました。

 芸術作品って、やはりいいですよね。
 もっといろいろと、本当に心を解放させて楽しむことができたらなぁと、つくづく思いました。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

里よりの新米届く夜風かな

SD田句入り




 そろそろ、
 例年の、
 実家よりの、
 いろんな「実りの秋」の、
 いただき物の季節になってきました。

 ありがたいことであります。
      
                            秀水

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