母校にて学び直しの皐月かな

母校①




 そばの大学生協の蕎麦でも食べに行こうとしたら、
 キャンパスはやたら御高齢者の方の列。
 すぐ横に「オープンセミナー」の案内板。

 ははぁ、母校で学び直しですか。
 社会人講座ってのも、なかなかありがたいものですよね。

                          秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

「我がゴミ屋敷」について

 読むべき本は、すでにあります。
 我が家に何冊かあります。いえ、とってもたくさんあったりします。
 よく考えてみたら、それはもう20年近く前に買ったきりになっている全集だったりしています。
 うーん、恥ずかしい。

 しかし、こんな感じで、かつて「全集」としてまとめて買って、ドンと本棚の中心にありながら、なかなか手が出せないでいる本って、ありますよね。ありませんかー。

 この手の全集って、ちょっと、いえ、かなり、しっかりした切っ掛けがなければ、思い切って手を出しにくいって所がありますよね。
 で、ぐずぐずとして、読まないまま現在に至る、という。
 うーん、本当に困ったことですね。

 実は先日、そんな読まないまま持っていた全集本10冊程度を、古書店に持っていったんですね。
 その顛末を一つ。

 以前にも確か報告したと思うんですが、我が家のそば(といっても歩いて行けば15分くらいは掛かるでしょうか)に一年ほど前に古書店ができたんですね。

 そこは近来まれに見る、ブックオフみたいじゃない、古本屋らしい古本屋さんで(「古書店」というよりは、昔なつかし「古本屋=ふるほんやさん」ですね。以下表記をこう変えます)、何度か足を運びました。

 少し前に私はその店で「ここは買い取りもなさいますか」と聞いていたもので、それで持っていったわけです。

 大学時代に買った『岩波講座・文学』です。あれ12冊でしたか。
 売る前に最後にもう一度じーとにらんだんですが、私ももはや遙か昔に人生の折り返し点を曲がりきって、やはりどう考えてもこの先この全集を読むことはなかろうと何度めかの同じ結論に達し、持っていったわけです。

 上記にもありますように、最近まれに見る、例えば京都の百万遍なんかにかつてあったであろう(少し前に、久しぶりにあのあたりに行ってみたのですが、やはり大きく変わっていましたねー)、そんな感じの古本屋さんです。

 古い哲学書や歴史の本や、和綴じ本なんかが積まれてあって、文学書なんかも(確か久保田万太郎や永井荷風や他にも全集なんかが)あったんですが、そこで「買ってもらえますか」と出したら、きっちりあっさり断られました。「瞬殺」ですな。

   (1)文学の本は売れない。
   (2)岩波の本は売れない。
 以上ですわ。

 まー、さもありなんとは思いますがね。
 店内に並んでいる文学書について御亭主は、「ここにある文学本はまー、飾りみたいなモンですワ」と言ってはりました。古本屋らしい古本屋さんでも、こうですからね。
 まー、しゃあないんですかねー。

 しかし、ということは、現在私の部屋にあるほとんどの単行本や全集本は、ほぼすべて無価値ということですかね。
 つまり私はそんな「ゴミ」に囲まれて住んでいるということになりますか。
 うーん、そうか。私の部屋は「ゴミ屋敷」だったのか。

 追記・後日友人とこの話をしていのですが、むしろブックオフなどのほうが極めて廉価ながら「買い取ってくれる」事があるという話でした。
 何といいますかー、……まー、……うーん、言いようがないですね。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

しとしとと春闌く頃や朝の雨

SD朝の雨句入




 それが週末で、
 前夜の天気予報で明日は雨、なんていわれて、
 朝起きてみると、その通りのお湿りで、

 とくれば、終日だらだらするしかないですよね。
 実は、そんな日が、とても好きだったりするのですが……

                        秀水


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制海権も制空権もなんにもない。

 『戦艦大和ノ最後』吉田満(講談社文芸文庫)

 えー、上記の本の読書報告について、前々回からの続きであります。
 むかーし部分的に読んだ記憶のある本書を、この度全部読んだということを前々回に述べていました。
 今回は、もう少し内容的なことについての続きであります。

 さて、本書は、内容的には、二つの部分に分かれていると思いました。
 前半は、往路だけの燃料を積んで囮として沖縄方面に出発し、半分も進むや否やで、米軍戦闘機の総攻撃の許、大和が沈もうとするところまでです。

 ちょっと脇道にそれますが(まー、どうせ私の報告はいつも脇道だらけでありますがー)、今回読んで少しあっけにとられたことがありました。

 それは、昭和20年の4月頃には、呉の軍港から瀬戸内海を西に進み、豊後水道から太平洋に出るか出ないかあたりになると、もう制海権も制空権も日本にはなかったということであります。

 落ち着いて考えると、さもあらんとは思いますが、しかし右手にはまだ九州が見えているあたりで、米軍の潜水艦を側に見つけたりしているわけですね。
 これで本土決戦なんて言っていたのですから、なにをかいわんや、であります。

 さて、閑話休題。

 「傾斜復旧ノ見込ナシ」

 という、傾く大和に対してもはやどうしようもないと言う「副長」のせりふが象徴的ですが、ここまでが前半です。
 ここまでは、なかなか迫力のある緊密な感動的な部分でした。

 で、その先からが後半になります。
 それは当然玉砕を予想していた作者がどうして助かるに至ったかという部分で、これは少し考えたら判りますが、なかなか書きにくい部分です。

 すでに大量の同僚の死があり、その中を己が生きんがために行動するわけですから、これは書きにくく、結果的にやや思索的・抽象的になっています。この部分は、どう評価するのか。つまり事実に対する評価ではなく、作品に対する評価として。
 なかなか難しい部分でありますね。

 というわけで、僕はこの度この本をわりと興味深く読みましたが、うーん、はっきり言うとそれ以上のものではなかったです。
 それはなぜかと考えると、やはりこれもなかなか難しいものがあるんですが…。

 大和が沈んで60年を過ぎ、確か数年前「大和沈没60年」という、ちょっとした「ブーム」めいたものもあったように記憶します。
 ここから先は私自身まだうまく自分の中で整理されていない理屈なんですが、ごく感覚的なものとして、その周りから少しうんざりしそうな「風潮」が予感され、そしてそれに少し不安なものを感じるのだという次第でありました。

 えー、今回はわたくし、わりと真面目でしたね。


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見上ぐれば葉桜路に錦かな

hazakura句01




 なんかこんな風に分かち書きをすると、
 自由律俳句のように感じますね。

 咳をしてもひとり  とか。

 あ、失礼しました。
 これは放哉の絶唱でした。
                       秀水


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あれは戦争ノスタルジー?

 『戦艦大和ノ最後』吉田満(講談社文芸文庫)

 中学生か、高校生の時、たぶん教科書にこの話の一部が載っていたんじゃないかと記憶するのですが、この文体はとりあえず「和漢混淆文」というんですかね、そんなに難しくはないですが一応古文で書かれているので、うーん、中学校の教科書にはこんなの載らないでしょうから、やはり高校生の時かなと考えるんですがー。

 この本の最後の方に、「著書目録」というのが付いていまして、それを見ると、『少年少女世界のノンフィクション……戦艦大和のさいご』というのがあって、ひょっとしたらこれかなとも思ったのですが、とにかく昔、この本の一部を読んだ記憶がありました。
 そしてそれは、結構おもしろかったという記憶であります。

 あれはいったい、どういった社会の風潮だったのでしょうかね、私くらいの世代のものが小学校あたりの頃、例えば漫画にもいわゆる「戦記物」というのがけっこうありました。

 ちばてつや『紫電改のタカ』とか『あかつき戦闘隊』園田光慶とか、『ゼロ戦はやと』というのは誰の作品でしたっけ、とにかくそんなのが結構あった気がしますが、戦後も20年以上が過ぎて、あれは戦争ノスタルジーだったのでしょうか。

 なんか変な気がしますが、またそれが、ピタッとなくなった(と思うんですが)のはなぜでしょう。これもまたどういう社会の風潮だったんでしょうか。
 どなたかご存じですかね?
 とにかく、ひょっとしたらそんな一環で、教科書に『戦艦大和ノ最後』があったのかも知れません。

 今回、全編読んだのは初めてですから、初読なわけですが、まず文体については、キビキビしたいい文章だと思いましたが、時々ルーティーンな感じの言い回しが見られるのが少し気になりました。

 で、次に内容についてですが、えー、細かな内容についての感想は、次々回に続きます。


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ジャケットをためらいはおるはなぐもり

花曇り句入②




 そんな季節ですが、なんか、今年は少し違うように想うのは、
 まー、考えすぎ、でも、たぶんないでしょうけれど……。

                            秀水


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本当に、葬式は、要らない!?

  『葬式は、要らない』島田裕巳(幻冬社新書)

 やはりこんな本は、そんな年代の人が近い身内(自分も含めて)にいる人が読む本なんでしょうね。
 いえ私も、自らの人生最後のセレモニーを念頭に置きながら読んだんですがね、でも思ったほど、さほど「過激」ではなかったという印象でした。

 この自問に加えて、こんな本を読もうかという人は、やはり現在の葬式のあり方に対して、どちらかといえば否定的な疑問を抱いている人でしょうね、たぶん。
 いえ、私もそうなんですが。

 でもさほど「過激」でない本書を読んで、私は少々反省させられてしまいました。
 例えばこんな部分。

 檀家になるということは、自分の家の死者を弔ってもらう檀那寺を持つということである。寺の住職は、毎日勤めをし、本尊の前で読経などを行う。その際には、寺の檀家になっている故人たちの冥福を祈る。檀家にはそうしてもらっているという意識や自覚がほとんどないが、檀家になることで、私たちは先祖の供養を委託しているのである。
 寺における毎日の勤めのなかで、供養の対象になるのは檀家の先祖の霊だけで、そこに属していない人間の霊は対象にならない。その点で、檀那寺を持ち、供養を委託できるということは特権的なことである。
 その点で、檀家になるということは、平安貴族が味わっていたのに近い境遇にあることを意味する。昔なら上層階級だけが実現できたことを、一般庶民である私たちも経験できている。(中略)
 その特権を護るためには、それ相応の負担をしなければならない。それは、当たり前の話である。ところが、私たちは、こうしたことを明確に意識もしていなければ、自覚もしていない。いないがゆえに、高額の戒名料を支払わなければならなくなると、強い不満を感じ、寺や住職を批判する。本当にそれでいいのか。檀家の側もその点について考え直してみる必要がある。私たちは贅沢を享受しながら、その自覚が十分ではないのである。


 ね。反対に「過激」でしょ。あ、「過激」じゃないと言っていたんでしたっけ。
 「本当にそれでいいのか。」なんて、まさに魂の叫びのようではありませんか。

 しかし、にもかかわらず、にもかかわらず、この本はタイトルのように葬式は要らないんじゃないかという本なんですね。なかなか捻れています。

 でもそんな本だと思えば、なんだか読みたくなってきませんか。
 仏教や葬儀の歴史なんかにも触れた、結構まじめな本です。
 我々の社会は、そんな一点突破的に簡単に進んでいるんじゃないんだと言うことが、なるほどと実感されて、その意味でもなかなか面白い本でした。
 お薦めします。ぜひ。はい。


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学舎の唱歌ゆかしく紅李

紅李句入




  いつもの散歩道の途中に学校があるんですがね。
 先日、ウィーク・ディに歩いていたら、音楽の時間でしょう、
 唱歌が聞こえてきました。

 校庭に咲いている樹木もきっと、心地よく聴いている
 ことだろーなー、と。
                          秀水

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