父の日やパステル色の七分袖

父の日




 この間まで、
 ネットの市場のキーワードは「母の日」でしたが、
 今は「父の日」です。

 でも「父の日」って、
 どのくらい購買意欲の高まるイベントなんでしょうかね。
 「父の日」がらみの俳句をいくつか作ってみたんですが、
 まーなんと、
 景気の悪そうな俳句ばかりになってしまいました。
 そんな中では、
 この句は相対的に
 「前向き」な「父の日」になっております。

                              秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

のび太くんから出来杉くんまで

  『子どもがニートになったなら』玄田有史・小杉礼子(生活人新書)

 上記新書の読書報告の後半であります。
 前々回は、この本の第一刷発行年度が、2005年であるという、その数値について、社会科学分野の資料としては、ビミョーなところにあるということを言うつもりが、あっちに行ったりこっちに行ったりして、なんかよくわかんないな、というところで投げ出してしまいました。
 (まー、わたくしにはよくあることであります。)

 さて、筆者の一人、小杉礼子さんという方ですが、たぶんこの方は、日本で最初に「ニート」という言葉を紹介した人でありましょう。
 同じく著者の玄田有史氏は、この小杉さんと一緒に、そんな研究をしていた人であります。

 この本の内容は、始めに「ニート」の実態と経過報告みたいな部分があって、残り2/3くらいが「対談」です。以前にも触れたことがありますが、私はおよそ「対談」というものを読んで感心したことがありません。お互いを褒めあって、お茶を濁して、はい、おしまい、という印象が抜け切れません。

 しかし、この本の対談は、わりと面白かったです。小杉・玄田両氏が順番に社会学者やジャーナリスト、カウンセラー、教師、精神科医などと対談をしています。いろんな角度からの現状分析があって、とても面白かったです。

 読みながら、この本の内容がなぜ面白いのかということを考えたのですが、それはやはりタイトルにあるように「ニート」の子を持ってしまった親向けという基本的コンセプトがよかったんだと思います。
 つまり、いろいろアドバイスはしつつも、基本的に「ニート」ならびにその親を責めない、というスタンスですね。

 そもそも何事についてもそうですが、ある一つの対象をいったん「責めよう」と思えば、大概のことは言えるものです。ましてや、いまだに誤解されることの多い「ニート」ですから。
 本の中で、「ニート」に関わっている精神科医がこんなことを言っています。

 「ひきこもりやニートのことをよく知らないで、独断的な批判をしている人は黙っていてくれ、関心を持つな。関心を持つのであればちゃんと理解してくれ。」

 全くその通りだと、私は思うものであります。

 もう一つ、カウンセラーが面白いことを言っていました。
 
 「ニートの問題で言うと、私が最近、すごく大きな変化があると思うのは、就職のためのセミナーを呼びかけると、以前は対人関係に対してすごく弱い子たちが多く集まっていたのです。ジャイアンとスネ夫とのび太だったら、のび太が集まるわけです。ところがこの二年ぐらいは、スネ夫、ジャイアン、出来杉くんも来るのです。」

 こういった現状を、社会問題と捉えないのならば(個人の「自己責任」であるという捉え方に固執するのならば)、いったいどこに社会問題というものがありましょうや。

 そして、このような時代を作ったのは、このような若者を作ったのは、間違いなく「大人」の世代であり、そして「大人」とは、誰のことでもない私自身・あなた自身であるのだと思うことなく、この問題に興味を持つことはするまいと、私は改めて思う次第でありました。
 (うーん、わたしって、少し、えらい。)


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密やかに薔薇の芽濡れし季となりぬ

薔薇の芽①




 このしっとりとした季節は、じめじめとも思えますが、
 まー、よいように考えると、
 それはそれで、楽しくもあります。

                            秀水



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まずは、古本を巡る徒然話から

  『子どもがニートになったなら』玄田有史・小杉礼子(生活人新書)

 例の、全国展開なさっている大型古書販売店に行きますと、105円で実にたくさんの書籍が販売されています。
 中には、見たところ新品同様の書籍なんかもいっぱいあって、うーん、こんな本を105円で販売されたんじゃ新刊書は売れないだろうなぁと、自分は大型古書販売店のお世話におおいになりながらも、少し心配したりします。

 私のよくお世話になるのは、主に文庫本と新書本なんですね。
 (それ以外の本はめったに買いません。もはやこれ以上、家に一般書籍を置くスペースがないということもありますが、実感的なところで言えば、本当に文庫本と新書本だけで、私の書籍的興味がほぼ満足されているということがあります。しかしこれは、あまり褒められたことではないような気もしますが……。)

 ともあれ、大型古書販売店における文庫本と新書本についてですが、それでも割とよくできたもので、やはり本当に新しい本は105円にはなっていません。
 だいたい定価の半分くらいの値段が付いていますかね。(それでも50%引き!)

 (でも、文庫本に関する私の好みは、古い小説ほど好きという天の邪鬼なものですので、やはり105円本のお世話になることが多いのですが。)

 私は、文庫本では、もっぱら小説をはじめとした文芸書を買い、新書では、これはまー、知識や教養を高めるといいますか、知識教養関係で興味を覚える本を買います。
 もっぱら人文科学・社会科学系の本ですね。

 で、当たり前の話でもあるのでしょうが、知識教養系の本というのは、小説なんかとは違って、あまり古い本だと扱っているデーターが古すぎてしまうという「弊害」が起こります。
 自然科学関係の本なんかはその典型的ですね。

 昔聞いた話ですが、大学の先端科学なんかの話だと、大学の先生が学生に対して、
 「一昨年授業で言っていた説は嘘でしたー。」
みたいなことを、ざらにおっしゃる、と。
 要するに二年くらいも経つと、新しい事実が発見されたりしてしまうというわけですね。
 つまりかつて○であったことが、×になってしまうという、と。

 でもそれが書籍の話なら、古くなっても「古典」なんて呼ばれて、また別の価値の出てくる場合もあったりなんかします。
 先日新聞を読んでいましたら、若者に勧める本として、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が挙げられているのを見ました。
 この本は環境破壊について書かれた本ですが、たぶん今となっては「とっても古い本」だと思います。しかし、「古典」として今でも現役なんだなーと、私は少し感心しました。
 あ、もちろん、とってもいい本です。

 えー、何の話をしようとしていたのかと言いますと、今回読書報告をするつもりの冒頭の新書の第一刷発行年度が、2005年であるという、その数値についての考察であります。

 この年度数値は、ビミョーに古いと言えば古いですが、例えば夏目漱石の絶筆となった小説『明暗』の、初版発行年よりは遙かに新しい。(当たり前やんか。)

 また、私のCDの愛聴盤である、ギュンター・ヴァントがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団を相手に演奏した、ブルックナーの『交響曲第九番』の録音年度1998年よりも、やはり新しい。
 (ついでの話しながら、クラシック音楽の世界の録音年度も小説本に準じるようなところがあって、1980年代くらいから先は、「あ、これ新しい録音や」と思わせるようなところがあります。)

 で、話を戻しまして、冒頭の新書についてですがー、……ああ、もう十分に話が長くなってしまいました。
 今回はこれくらいにして、次々回に、続きます。
 毎度毎度、すみません。


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ガーベラと働く妻と誕生日

ガーベラ①




 「と」は「の」じゃないかとは、思いますがね。
 少しいたずらをしてみました。

 このつましいガーベラは、女房の希望です。
 誕生日にこんな「貧相」なお花なの?

 いえ、まぁ、結局出ていくのは同じところからだって、
 女房も知っているからじゃないでしょうか。

                             秀水


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実に恐るべき「古武道」の実力!?

 『自分の頭と身体で考える』養老孟司・甲野善紀(PHP文庫)

 前々回の続きであります。
 上記の本の読書報告をしようと思っていたのですが、著者ご両人の紹介をカルくしていたら、終わってしまいました。
 というところで、続きですが……。

 実は少し前の話になりますが、甲野善紀氏の講演会に、私は行ったことがあるんですね。
 その時の日記を、少しごそごそと紐解いてみますと、こんな講演会でした。

  「身体性の教育-舞踊と武術:神戸女学院大学の実験」
         甲野善紀 客員教授
         内田 樹 文学部総合文化学科教授
         島 徹 音楽学部音楽学科教授


 内田樹氏がまだ神戸女学院大学で教授をなさっていた頃ですから、少し古いですかね。(今調べてみたら、内田氏の定年御退職その後の名誉教授御就任は、去年度末でした。)

 御出演の三人目の先生は、この方もまた知る人ぞ知る「コンテンポラリー・ダンス」界でカルティーな人気を誇るお方であるそうです。(「現代舞踊」の舞踏家ですね。)

 で、甲野善紀氏ですが、冒頭の本の中にこんなことが書いてあります。
 互いに刀を持っている。しかし自分の顔のすぐ前に、相手の刀の切っ先が突きつけられている。そんな状況から相手と立ちあう。そして、こんな説明が続きます。
 
 「わたしはそこでドッと尻餅をつくような状態を作って身体を宙に浮かせると同時に、その浮いた体の各部分がなるべく細かく割れるようにして、その割れた身体をちょうど泳いでいる魚の群れが瞬時に全員が方向転換しているような感じで体じゅうを同時に使うんです。」

 えー、お分かりになったでしょうか。
 えっ? 何? 何があったの? 狐につままれたの? 

 「体を細かく割る」とか、「魚の群れのように瞬時に全員が方向転換する」とか、さーーーーっぱり分かりませんなー。

 そこで、そういえば講演会で、かつて甲野氏がなんだかそれに近いことをおっしゃっていたような……と、思い出してみたんですね(日記の旧記事を参考にしつつ)。

 私の日記には、その時の甲野氏の言葉としてこう書いてあります。

 「空からぽつりと水滴が落ちてくる。『あれ、雨かな』と思って顔を上げる。その時のような体の動きである。」

 私の日記によると、「なるほどよく分かった」と書いてあります。
 ……うーん。あほ、ですかね。(もちろん、わたくしが、であります。)
 なんか、集団催眠にでもかかっていたんじゃないかしら。

 しかしその時は、何となく分かるような気がしたんですかねー。
 「なるほどそういう感じか」と、何となく納得できた気がしたんでしょうなー、その日のあんぽんたんのわたくしは。

 ところが今になって思い出してみても、そして今回の本を読んでみても、なぁぁーーーーんにも、さぁぁーーーーぱり、分からないんですね、これが。それが当たり前といっちゃ、当たり前な気もしますがー。

 うーん。これが、恐るべき「古武道」の実力なんでしょうかー。
 (なんか、ちっとも読書報告になっていないような気もしますがー、なんせ「集団催眠」なものでー、えー、すみません。)


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切れ切れの休みも終えて麦の秋

麦の秋②句入




 たぶん、今、日本中のいろんなところで
 見ることのできる景色かなと、
 いろんな思いを込めながら、
 私としても、思っております。

                           秀水


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恐るべき「ナンバ歩き」!?

 『自分の頭と身体で考える』養老孟司・甲野善紀(PHP文庫)

 えーっと、まず養老孟司氏ですが、この方は最近ますます「天下のご意見番」といった感じの人になってきましたね。
 以前の「天下のご意見番」は司馬遼太郎氏だったように思うのですが、すでにお亡くなりになって久しいです。(ついでに、小さな声で、ポスト養老孟司の「天下のご意見番」は、私見によると内田樹氏あたりではないかと思うのですが、いかがでしょう。)

 ともあれ、今を時めく養老孟司氏ですが、いろんな人と対談をなさっていますね。
 そもそも僕がこの人の本を読み出したのは、これも以前に触れたことがありましたか、小説家・安部公房亡き後、いかにも公房らしい文章を書いていたのがこの人であったわけで(冒頭から司馬遼太郎亡き後とか安部公房亡き後とか、そんなことばっかり書いて、えー、どうも、すみません)、知的で高踏的な書きぶりがなかなか面白かったです。

 (ついでに、公房・養老両氏とも、東大医学部のご出身ですね。もっとも、養老氏はその後母校の教授になられた方で、一方安部公房は、医者にならないという条件で医学部卒業を認められた方と伺います。なんでも、人間の胎児の妊娠月数を尋ねられて、二年とお答えになったとか、ならなかったとか。)

 一方の甲野善紀氏ですが、このお方は、ご存じでしょうか。
 実はこのお方も、一部ではとってもカルティーな人気を誇るお人です。

 「ナンバ歩き」って、聞いたことありますか。
 江戸時代、日本人は、今みたいに手と足を互い違いに出して歩く(右足を前に出す時は左手を前に出し、左足を前に出す時は右手を前に出しという、当たり前と思われている歩き方)というのをしていなかったと、喝破した人です。
 じゃあどうやって歩いていたかというと、同じ側の手足を同時に出して歩いていたそうです。で、この歩き方は、実は小さなエネルギーで大きな力を出すことが可能であると言った人です。

 それから、少し前の話題になりますが、かつて読売巨人軍に在籍しさらに大リーグでもプレーした桑田真澄元投手が、わりと好成績を残した時に、身体の使い方を甲野先生に学んだおかげだといっていた「古武道家」ですね。
 とにかく、力を込めたり入れたりしない教えだというようなことを桑田氏が言っていたように、ぼんやり覚えています。

 ついでのついでの話ですが、うちの娘の習っている合気道というのが、流派的には「古武道」に当たるらしいもので、たいがい何もものを知らない娘が、この「ナンバ歩き」のことだけは知っていました。
 かといって普段「ナンバ歩き」をしているわけではありませんがー。もししていたら、周囲の人は吃驚するでしょうねー、やはり。
 (本当についでのついでの話で、どーも、すみません。)

 で、さて、このお二人の対談集の読書報告なんですが、なんだか、とってもおもしろそうでしょ。
 えー、次々回に続きます。どーも、すみません。


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