がつがつと食べて心地のよい暑さ

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 いよいよ、そんな時期になってきました。
 頑張って、乗りきりたい。

                           秀水



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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

幸せな高校生の話

  『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』村上春樹(マガジンハウス)

 上記のエッセイ集の読書報告の後編です。
 前々回に書いていたのは、どうすればこんな上手な文章が書けるかと言うことでありました。
 なに、答えは簡単です。

  「よい食材、優れた料理法、そしてたっぷりの愛情」

 何をふざけているのかと叱られそうですが、だって村上氏がそんな風なことを書いているのですもの。
 でも、本書にはさらに「よい食材」の見つけ方、「優れた料理法」の仕方、そして「愛情」の込め方についても、書かれてありました。

 「おまえの能書きはもう十分だから早くそれを書け」と苛立ち気味の貴兄、お気持ちはよく分かります。
 では、書いてみましょう。(って、村上春樹の文章なんですがー。)

 十代の頃は本がなにより好きだった。学校の図書館に箱入りの新刊が入ると、司書の女性に頼んで不要の空き箱をもらい、その匂いをただくんくん嗅いでいた。それだけで幸福だった。そこまでマニアックに書物に惹かれていた。
 もちろん匂いを嗅ぐだけではなく、読むこともよく読んだ。紙に活字が印刷してあれば、ほとんど何だって手にとって読んだ。各種の文学全集を片端から読破した。中学高校時代を通して、僕よりたくさん本を読む人に巡り会ったことがない。


 以上です。

 ……、これだけ? とお思いの貴兄、あなたは何をお求めなんでしょうか。
 これ以外に、優れた文章の書き方が書かれてある文章は、私は読んだことがありません。

 でも、真面目な話として、上記のお話の最後には、さらにこんな一文がしみじみと書かれてあります。「ノウハウ」なんてものが、所詮最重要なものではないことがよくわかる一文であります。

 そういえば僕も高校生の頃は目をきらきらさせて、時間が経つのも忘れて本を読んでいたな、と思い出した。
 高校時代には、自分が小説家になるなんて考えてもなかった。自分にいつかまっとうな文章がかけるなんて思いもしなかった。ただ本を読んでいるだけで幸福だった。



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カラフルになりてせわしき汗拭い

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 「汗拭い」とは、もちろんハンカチのことですね。
 私の持っている『季寄せ』にも、そう書いてありました。

 「汗拭い」を動作にして、
 「拭い」を連用終止法で読まないでくださいね。

 わたくし、あの用法、嫌いなんです。
 (でも、時々用いますがー。)

                           秀水


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村上春樹の文章の「ツボ」を探る。

  『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』村上春樹(マガジンハウス)

 今や日本が世界に誇る数少ない小説家になってしまいました村上春樹の新刊を読んでみました。
 新刊といっても、エッセイ集ですし、筆者自身も「まえがき」で書いている「気楽」な文章なんですが、でも、とっても上手ですね。

 いえ、めちゃめちゃ上手ですよ。
 一体この上手さは何なのかなと、わたくし、読みながら始終思っていました。
 例えば、こんな風に書いてあります。

 おにぎりで言えば、お米を選んで注意深く炊きあげ、適当な力をこめて簡潔にぎゅっと握る。そういう風に作られたおにぎりは、誰が食べてもおいしいですよね。文章も同じでもそれがしっかり「握られ」てさえいれば、性差や年齢差を超えて、そこにある気持ちはわりにすんなり伝わっていくものではないかと、まあ楽観的に考えています。間違っていたら申し訳ないけど。

 ここには、村上春樹の、エッセイの文章に向かう時の心構えみたいなものが書かれてありますね。
 まず、これを書いている文章が、すでにとっても上手であります。
 なかなかこうはすっきり明快に書けるものではありません。(まぁ、相手はメジャー級のプロの物書きだから、当たり前といっちゃ当たり前なんですが。)

 よく読めばこのあたりが「ツボ」ですかね。

 「お米を選んで注意深く炊きあげ、適当な力をこめて簡潔にぎゅっと握る」

 これは比喩表現になっている部分ですから、その比喩を取っ払って、「意味」だけを無味乾燥に抜き出すとこんな感じですかね。

  (1)材料の選択を、丁寧にきちんと行いましょう。
  (2)材料の取り上げ方(「構成」でしょうかねー)を、しっかり考えましょう。
  (3)ストーリーや文体など、強弱・緩急の自然な流れを心がけましょう。


 しかしこれだけで、「なるほど、文章のツボはそうだったのかっ!」と分かったわけでは、全然ないですね。
 当たり前のことが、まー、書かれているだけであります。
 これがどうしたら上手に出来るかが大切なんでしょうにと、つい愚痴っぽくなってしまいます。

 しかし本書の別の部分に、そのことについて、つまり上記の(1)~(3)がどうすればうまくできるかについて、なんと、書かれているではありませんか!

 えー、続きます。(ここで、続くかー。)


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蝉殻や七年越しの恋をせよ

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 ふと庭で見つけました。
 「七年」という数字は、昔何かの本で、
 幼虫の地下生活は奇数年間、というのを読んだような気がして、
 (違っているかもしれません。たぶん、違っていそう、かな。)
 後は「しちねん」という音、ですかね。

 かなりいい加減で、すみません。
                               秀水


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「芸術性と人間性について」

 えー、何回か前にもその顛末を書きましたが、今回もまた、近隣の大学の社会人講座に行って来た話を一つ。

 講義のテーマはなにやらありましたが、前回同様、講師の先生の話内容から私のアタマの中はどんどん離れていきまして、とうとう今回は、懸案の私の「課題」を解決してしまうに至りました。
 私の懸案の課題とは何かといいますと、例の「芸術性と人間性について」であります。

 なんやそんなことまだ考えていたんか、しつこいやっちゃなー、とお嘆きの貴兄。
 いえ、まったくそのとーりであります。しかし、今回の「ファイナル・アンサー」については、ご安心あれ、極めて常識的なところに落ち着いております。

 まず、講師の先生のこんな発言があったんですね(講義の終盤でした)。
 「かつてギリシャでは、美と善は同一であった。」
 ここからなんですね。ここから私は、こう考えました。

 かつて「同一」であった善と美は、その後異なるものになっていきます。しかし、「美」の中にはもちろん「美」があるとして(これ、ヘンな言い方ですが)、「善」の中にも「美」があることは、やはり否定できないと思います。いわゆる「倫理性の美」ですね。「人間性の美学」みたいなもんもそうでしょうか。

 つまり、二つに分かれた「善と美」はこんな風になります。
  (1)善的な美(倫理的な美)
  (2)美的な美(芸術的な美)

 そして、「美的な美」は、倫理性と交錯することはほぼありません。まして、作品と作者の人間性との間に相関は極めて薄いです。

 さらにそれらのプロセスにおいてこういう事が言えます。
 まず「善的な美」は、作者が自らの「善」を鍛えることで「美」に、あるいは逆に「美」を追求することで人格的な「善」に近づいていきます。しかし、「美的な美」は、「美」を鍛えることで、「美」のみに辿りつきます。

 さてここで、「芸術」の三大ジャンル、「文学・美術・音楽」において、実は「文学」のみが、他の二つのジャンルと大きく異なる性格を持っています。それは、「文学」は「理性」を通過して成立するということであります。(実はここから、完璧に別な結論へ導くこともできるんですがー。つまり、ひょっとしたら「文学」は「芸術」じゃないかも知れないと言う。)

 ともあれ、理性を通過して成立する芸術は、芸術性を鍛えていくことは自ずと理性をも鍛えることになるはずです。そして必然的に、理性の少なくない部分を担当する「人間性=倫理性」も鍛えられる、と。
 ゆえに、「善的な美」の本当の達人は、人格的にも傑出した者であるはずだ、と。一方、「美的な美」は本当の達人であっても、人格的完成とは無縁な者も存在する、と。(少なくとも相関性は低い。)

 どーです、ほぼ、完璧な推論ではありませんか。ところが、ここまで考えて我ながら「かんぺき」と思っていたら、ふっと、これまた以前からの私の「持論」であるところのフレーズが頭に浮かびました。

 近代日本文学史上、小説家として本当に面白い作品を生涯書き続けた作家は3名である。いわく、
   夏目漱石・谷崎潤一郎・太宰治
 ……うーん、後の二人がなー。この二人は、どう転んでも「人格者」とはいえんだろうなー、と。

 で、困って、せっかくここまで考えたのに、というより、気持ち的にはここまで考えて一応「すっきり」したからこそ、私はあっさりこう結論づけるに至りました。
 「やはり、芸術性と人間性が高い相関を示すことはまれである。」
 うーん、どうです。大兄のお考え通りの常識的なところに落ち着いたでしょう。
 わたくしも、「大人」になったものですね。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

端正に着れば和らぐ暑さかな

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 この写真、割と気に入っています。
 この句の付かず離れずが、いいような気が……。

                              秀水


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人気者のグッズをゲット!

 えー、少々前のことですが、親戚の家に行きましてぐずぐずと遊んでおりました。
 小学生の姪がいるのですが、この度修学旅行に行くといいます。
 「どこに行くんや」という会話があって、姪が出してきた行き先のパンフレットなど見ていましたら、思わぬ物が写真に写っていまして、つい私は、小学6年生の姪に向かって大声で「あー、これ! おみやげに、これ、欲しい!」と、幼子の如くねだってしまいました。

 後日、いたいけな十一歳の少女は、訳のわからんおじさんに「恫喝」されて、これを買ってきてくれたのでありました。
 (あのー、いいわけがましいですが、もちろん私は、彼女にお土産代+現地でのお小遣い代は渡していたんですよ。)
 これです。↓

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 で、さてこれが何かといいますと、えー、正式名称をご存じでしょうか。(「取説」みたいな紙に書いてあるんですが、でもこれって正式名称なんでしょうかね。)
 「竹パンフルート」と言うのだそうです。ルーマニア、または南米にも同種の物があるという民族楽器やそうです。

 なぜ私がこれを欲しがったかというと、それは言うまでもありませんね。
 モーツァルトの名曲オペラ『魔笛』中の人気者、「鳥刺しパパゲーノ」であります。

 そっと吹いてみると、『魔笛』の劇中のと同じ音がしました。
 「わー、この音やー。」と、私は感激いたしまして、ぴーぴーと鳴らし、ひとしきり姪娘と遊びました(というか、姪からはあきれられてしまいました)。

 私も例に漏れず、このパパゲーノが大好きなんですね。
 『魔笛』というのは現在でも世界中で最も多く公演されるオペラだそうですが、その理由の7割くらいはこのパパゲーノという人物設定(そしてもちろんモーツァルトの曲の素晴らしさのおかげ)ではないかと。
 それくらいにとっても魅力的な人物ですね。

 ともあれ、そんな楽器をお土産にねだってゲットし、そして現在、私の「自慢のオーディオ」(ギャグですがー)の上に飾ってあります。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

河童忌や娘無邪気にまだ笑う

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 自作ながら、
 私にはこんな俳句に対する嗜好があります。

 ただ、気になるのは、
 これが俳句として、
 体をなしていないんじゃないかという、

 ……まぁ、そういうことですが。

                            秀水


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