司馬氏のロマンティックな「才能」

  『司馬遼太郎が考えたこと・第4巻・第5巻』司馬遼太郎(新潮文庫)

 以前に鹿島茂という人の『子供より古書が大事と思いたい』という本を読みまして、この場でも報告もいたしました。この本の中に、「コレクターの心得」とでも言うべきことが書かれてありましたが、もう少し丁寧に説明しますね。

 荒木一郎という元歌手の方ですが、まだご存命でいらっしゃるのでしょうかね。
 確か『いとしのマックス』とかいうタイトルの歌が大昔、ヒットしたような記憶があるのですが、とにかくこの荒木氏が切手収集家で、知る人ぞ知る極めて優秀なコレクターなんだそうです。で、彼が「コレクターの心得」を述べていまして、それが引用されているんですが、こんな3箇条です。

  1.蒐集のフィールドを限定すること。
  2.一件についての購入価格の上限を設定すること。
  3.狙っているものが、向こうから現れてくるまで気長に待つこと。


 これは長期的にその趣味を楽しもうとするためには極めて有効な心得ですね。感心いたしました。

 さて、話は変わりまして、冒頭の司馬氏の随筆集であります。
 既に触れましたようにこのシリーズ本を、最初はわたくし、ブックオフで10冊見つけました。その後も気にして見ていると、やはりあるもので、100円本ではなかったですがさらに3冊見つけました。
 それ以外にも司馬氏の講演集なども2冊購入し、なるほどコレクション対象物というものは、結構自然に集まってくるものであるなーと、荒木理論の正しさを納得しました。おそらく15冊のコンプリートも時間の問題であると想像されます。

 というわけで、冒頭の司馬氏の4.5巻ですが、執筆時期は1970年前後であります。
 万博がありました。大阪でしたので私、万博、10回くらい行きました。
 三島由紀夫が死にました。朝日新聞に生首写真が載りました。でも私は、このころは三島はよく知りませんでした。
 そして70年代が始まり、72年、元日本兵横井庄一さんがグァム島から28年ぶりに帰国されました。司馬氏は名作『坂の上の雲』なんかを書きながら、そんなことに触れています。

 ひとつ、印象に残っていることを挙げますと、作者はこれからの日本はおそらく自殺者が増加するであろうと「予見」しています。この予見は、見事に的中していますね。
 司馬氏が亡くなって以降でも、ずっと年間自殺者数が約3万人から下がらない状況が続いています。

 この「予見」に至る道筋が書かれてあるんですが、小さな話題ではありますが、なるほどと納得できます。実は私が、司馬氏が好きなのはこんなところなんですね。
 思いがけない事柄に着目して、そして一種「当たり前」だが盲点となっている結論を得るという、司馬氏のこの推理力は、なんだかとても「詩的」な才能のように思え、私も含め、司馬氏に根強いファンがいる理由がよく分かります。

 よく言われる「司馬史観」も、もちろん魅力的なのではありましょうが、こういった、ロマンティックな「才能」はやはり侮れないよねーと、つくずく私は感じるのでありました。
 今のところこの辺です。まだ続きが控えています。


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その朝の気の逸りたる野分かな

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 どうも今年は台風の当たり年のようですが、
 とても大変なことであります。

 しかし、あれは気圧の関係だと聞いたことがあるんですが、
 台風の日というのは、独特なヘンな緊張感がありますね。

                             秀水


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その評価が、分からない。

  1.『働くことがイヤな人のための本』中島義道(新潮文庫)
  2.『人生を〈半分〉降りる』中島義道(新潮OH文庫)
  3.『私の嫌いな10の言葉』中島義道(新潮文庫)


 まず、(1)だけふらっと例の大型古書販売店舗で買ったんですね。タイトルに少し惹かれました。筆者については私は全く知らない人でした。哲学者だそうです。
 で、読み始めたんですが、それが、かなり「いける」んですね。納得できるんです。
 例えば、こんな感じですが。

 もうかなり前になりますが、映画監督の山田洋次が、「不登校」をテーマに映画を撮っていました。その映画の批判に、不登校の子供を持つ母親がこんな内容のことを言っていました。

 「不登校児が旅に出ていろんな体験をして、そして最後には学校に行くようになるという映画は、もう私には沢山なんです。うんざりです。」

 これを聞いて、私は「まー、気持ちは分かるが」といった程度の感想を持ちましたが、このお母さんの言葉は結構長く私の中に残っていました。
 要するに、不登校で悩んでいる本人・保護者などに、「あれこれあっても最後は登校を始めるようになる」という趣旨のものは、あまり参考にならないんだろうなということです。
 しかし、ではどんなのがいいのかと言われると「うーん、わからないな」と、非力な私は全く見当がつきませんでした。

 それが、今回の読書(1)の途中まで、4分の3くらいまでは、「この本はひょっとしたら私の積年の疑問に答えを与えてくれるかも知れない」と、がぜん面白く読みました。

 ところが終盤、「あれー」「えー」「なに、これ」になっちゃったんですねー。
 なぜなら、「哲学しなさい」とか、書いてあるわけです。
 私は、それはないだろーと思いまして、わけわかんなくなりまして、この3連休またブックオフで探してそして(2)(3)を買ってきて読んだんですね。
 で、分かりました。

 この筆者は「エゴイスト」なんです。少なくとも筆者のスタンスは「エゴイスト」的思考にあると思いました。
 でもねー、さらに(3)なんかを読んでいきますと、どうもそれも本を売るための「演技」であるような気もしてきて、とにかく私は、「だまされた」という気持ち→腹立たしい気持ち→そして「この人はコメディアンか」ととうとう微笑ましい気持ちへと変化していったのでありました。

 いろいろお聞きしますに、この筆者はなかなかファンのたくさんいらっしゃる方である、と。とすれば、私の読み方が全く見当はずれである可能性も、大いに(めちゃめちゃ)否定しがたく、そういえば、まー、(1)の終盤くらいまでなら結構なかなかよかったと確かに思ったんですがねー。
 どなたかまた、お教えをいただけますなら幸甚の至りであります。


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虫の音の薄く聞こゆる齢かな

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 うちの女房は田舎の人で、
 田舎言葉を今でも時々口にします。
 なかなか、味があって、それもいいんですが、
 「目が薄い」
 などと言います。

 前後の文脈を考えれば意味は分かるのですが、
 これもなかなか素朴な物言いだと思います。

 ……えー、加齢でしょうねぇ、
 虫の音が、歳々、薄く聞こえるんですが……。

                             秀水


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私のダチの「遼ちゃん」

  『司馬遼太郎が考えたこと・第1巻~第10巻』司馬遼太郎(新潮文庫)

  先日、いつも行く家のそばの大型古書店にふらりと寄りました。本当は本を見に行ったのではなく、何か掘り出し物はないかとクラシックのCDを見に行ったのですが、それについては大した物もなく、ぶらぶらと100円棚を見ていますと思いがけないものを見つけました。

 新潮文庫から出ている司馬遼太郎のエッセイ集全15巻のうち10巻が105円であるではありませんか。思わず全部買ってしまいました。全部買っても1050円ですから知れたものですが、10冊もざっとまとめて買うのって、なんかすごい贅沢をしているようで、少しどきどきしました。
 と言うわけで先週来これを読んでいます。

 例えば、土日なんかこの本をずっと持って、寝ころんで読んだり、音楽を聴きながら読んだり、エアロバイクに乗ってペダルを漕ぎながら読んだり、さらには便所の中でも読んでいたりずっとそんなことしていると、ちょっと変な感じになってきます。

 司馬氏とすごい知り合いであるような気になってくるんですね。昔からの気心の知れあった友人みたいに思ってくるんですね。

 こういう読書感覚って、昔なんか体験したような気がして、思い出してみたら、かつて梶井基次郎全集を、習作から日記から書簡から全部読んだときにやはりそんな感じになったのを思い出しました。

 しかし新潮文庫も変な企画のシリーズを出したもので、15冊もこんな本をまとめて読む人がいるんでしょうかね。文庫本って、何万部かくらい売れなければペイしないって聞いたように思うんですが、やはり採算取れる見込みがあって出版しているんでしょうね。

 というわけで、まだ3冊読んだだけですが、司馬遼ちゃんは私の「ダチ」みたいになってきています。

 この本は編年式になっていまして、現在読んでいるところは1969年で、彼は今、『龍馬がいく』を一生懸命書いています。
 私はあの本、確か大学時代に8冊本のうち4冊を読んだところで「ケツ割り」しましたが、遼ちゃんは頑張っているみたいです。陰ながら私も応援しています。

 ただ一つだけ気になることがあります。
 それは、この先この本の読書ばかり一月くらい続くのかなーと思うことで、まー、別にそれでもいいんですがー、ちょっとだけ困ったものだなーという気持ちも、なぜか持っております。
 そんな読書でした。


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初秋と袖あるシャツを 手に取りぬ

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 おとつい、長袖シャツを着て出勤できたのに、
 昨日、同じく長袖シャツが、暑くってとっても往生いたしました。

 なかなか、スムーズには、いかないものですね。

                               秀水


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まずその音楽を聴いてみたい

  『意味がなければスイングはない』村上春樹(文春文庫)

 本を読むことが好きで、音楽もわりと好きなものですから、別に意図しなくても音楽がらみの本を結構読んだりします。
 音楽のジャンルでは、いわゆるクラシック音楽と呼ばれるものを中心に聴いていますので、音楽がらみの本も自然その方向のものになります。

 しかしそんな本を一定量読んでいると、いわゆる「違和感」を覚えることが、結構あったりします。(過去のブログ記事にも少しまとめて書いています。)
 それは一言で言うと、書かれてあることの客観性がよく分からないと言うことですね。
 そしてこの私の感じ方についても、異論のあることは、まー、一応存じ上げています。
 「そもそも音楽鑑賞に客観性などあるのか」という考え方ですね。

 冒頭の本書にこんな事が書かれてありました。

 言い訳をするのではないが、音楽について感じたことを文章のかたちに変えるのは、簡単なことではない。それは食べたものの味を、言語的に正確に表現することの難しさに似ているかもしれない。感じたことをいったん崩し、ばらばらにし、それを別の観点から再構築することによってしか、感覚の骨幹は伝達できない。そのへんの困難さをどのように処理し、解決していくかというのが、文章をなりわいとする僕にとっては、一つの挑戦でもあった。

 どうですか。
 「感じたことをいったん崩し、ばらばらにし、それを別の観点から再構築することによってしか、感覚の骨幹は伝達できない。」という部分は、音楽を文章に表す方法について触れている個所ですが、とりあえずこの説明自体がとっても上手に書かれていると、私は感じるんですね。(実は、この説明内容をさらに具体的に書くには、これは並大抵ではないとも思うんですが。)

 私は、こういった書きぶりこそが、小説を含めて村上春樹の文章のとっても魅力的な部分だと思います。
 とりあえず誰もが理解できそうな言葉で説明してしまおう、と書くと、少々皮肉的にも聞こえてしまいそうですが、このことがいかに難しいかは、他の凡百の音楽評論家(だけではない評論家・文章家全般)の文章を読めば一目瞭然であります。

 「俺がこう聴いたからこうなのだ」としか書いていないような文章ばかり読まされていると、ほとんど人間不信にまで陥ってしまいそうなんですが、この度本書を読んで私は、今まで密閉されていた部屋の天窓が開かれたような、大いに救われた気がしました。

 そして、さて本書の具体的な楽しい内容につきましては、読後感として、その音楽をとっても聴きたいと思わせるものであるというにとどめまして、先にちょっと、アンプのスイッチをいれてみますね。……では。


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糸瓜咲いて蔓のゆくえを尋ねけり

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 実は私は、こんな「惚けた」ような句が、

 ちょっと好きだったりして……。
 
 まー、許してやってください。

                           秀水


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