濡れながらふくらみ初める木の芽かな

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 いかにも春雨ですねー。
 しかしそんな中、確実にふくらんでいます。

 まるで、ふくらむ音が、聞こえそうなくらいに。

                               秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

思わず気がつく読書の醍醐味

  『ロマン派の交響曲』金聖響+玉木正之(講談社現代新書)

 このコンビによる前作も読みました。ベートーヴェンの交響曲についての本でした。とっても面白かったです。
 この本の次に出版された同コンビの本も買いました。マーラーの交響曲についての本です。これはまだ読んでいません。

 というより、マーラーの本を先に見つけて、そこに書いてあったんで、今回報告のロマン派の本があることを知ったんですね。
 そこで、いそいそと本屋さんに買いに行きましてー、そして先に本書を読んだんですが、これもとっても面白かったです。

 以前にも触れましたが、私はそもそも音楽について書いてある本を読むのが好きなもので、そのせいでとってもおもしろかったと、そういうこともあるとは思います。
 「一粒で二度美味しい」ですね。(このフレーズがおわかりになる方って、ひょっとしたら、もはやほとんどいらっしゃらないんじゃないですかね。)

 いろんな記述に感心したのですが、全体のテーマに結びつくような大切な個所では全然ないのですが、何となく結果オーライ的に、最も印象に残った感心の仕方をしてしまったところ、そんな「感心」個所を、二つほど、挙げてみたいと思います。
 そういう個所こそ、読書の醍醐味ですよねー。だってウィキペディアで何かを調べている訳じゃないんですから。
 こんな表現がありました。

 ふつう作曲家というのは、年を経るとともに円熟した作品を残すものですが、感受性の強すぎた永遠の青年ベルリオーズは、青年時代の『幻想』をついに越えることができなかったようにも思えます。

 これは『幻想交響曲』で有名な、というより、我々素人にはこの曲以外に他の作品はすぐには思い浮かばない(確か、『レクイエム』とかなかったですかね。うちにCDがあったような気がするんですが)、俗に言う「一発屋」的な作曲家ですが(もちろん金聖響はこんな失礼な表現はしていません。それどころか、本書において「天才」「奇才」と、すっごく褒めています)、とにかく私が注目したのは、「ふつう作曲家というのは、年を経るとともに円熟した作品を残すものです」という個所です。

 そーなんだー、と思いましたね。
 ところが、読み進めていきますと更にこんな表現が、……と、別の個所を引用しようと思ったのですが、えー、続きは次回に。どうもすみません。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

ヴィジュアルが抽象性を明らかにする。

   篠田正浩監督、郷ひろみ主演『舞姫』

 さて、上記のDVD鑑賞報告の3回目になってしまいました。
 いつもの事ながら、ずるずると牛のよだれのごとき文を書き続けて、誠に面目もありませんが、なんとか今回で終わりにします。がんばります。

 えっと、こんな話でした。
 森鴎外の小説『舞姫』(1890年・明治23年)と、それを原作にした篠田正浩監督の映画『舞姫』(1989年)とには、作品構造に大きく関わる相違点が、三つあるという話であります。原作との違い、それはこの三つです。

  (1)豊太郎の母は死ななかった。
  (2)赤ん坊は流産してしまった。
  (3)エリスは発狂しなかった。


 どうですか。この三つは、こうして揃ってしまいますとかなり作品構造が変わってしまうと思いませんか。
 最初の豊太郎の母に関する指摘は、原作では母の死が、豊太郎と日本をつなぐ最後の糸が切れたことを見事に表しているのですが、母が死なないで生きているとすれば、明治時代の倫理観で考えれば、豊太郎は現代より遙かに「親不孝者」となってしまいます。(まして映画では、この母は、豊太郎のことが原因で自殺未遂までするんですね。)

 ところが、二つ目と三つ目の相違は何を意味しているのでしょうか。
 原作ではエリスは豊太郎に裏切られたことで発狂し、豊太郎はそんな狂女とお腹の中の子供を置いて日本に帰るということになっています。

 なぜ百年後の『舞姫』は、このように構造を切り替えたのでしょうか。
 わたくし考えたのですが、それはこういう事ではないでしょうか。
 つまり、百年間に家族関係が著しく変化した結果である、と。

 母親に対する「親不孝度」が上がることについては、さほど抵抗はない、しかし、女性を妊娠させて発狂させてさらに棄てさるなどという状況設定では、とてもリアリティが持たない、ということであります。

 どうでしょうか。
 百年離れた二つの『舞姫』に、私は日本の家族観の大きな変化を読んでみたのですが、私は全く久しぶりに一本の映画(DVD)を見て、ヴィジュアルは、むしろこういった抽象的な細部を明らかにしてくれる、という感じが大いにしました。
 やはり、映画は、あなどれませんよね。


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週末の人かげ消して春の雨

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 『季寄せ』に曰く、

 「古来、春の雨は静かで艶なものとされている」、と。

 ……なるほど、「艶なもの」、

 じょうずな表現ですねぇ。

                            秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

リザ・ウォルフは好演すれど……。

   篠田正浩監督、郷ひろみ主演『舞姫』

 さて前々回は、上記のDVDを私がとっても楽しく鑑賞しました、って所まで書きました。(ちょっとニュアンスが異なっているかも知れませんが、まぁ、いいか。)

 でも、本当にとても面白かったのですが、その鑑賞が終わった後、私はごそごそと原作である森鴎外の『舞姫』を取り出しました。
 実は、つい最近、私はこの小説を読んでいたんですね。

 例えば、鴎外は主人公「太田豊太郎」を、法学を学ぶために留学したとしているのですが、映画では医学生となっています。
 この変更は、よく理由が分からなかったですね。
 もちろん原作者森鴎外は、医学生としてドイツに留学しているのですが、それに倣う必要は特にないと思います。それどころか、医学生にしたことで、豊太郎が医学を取るかエリスを取るかの選択がやや不自然に感じられました。これが法学だと、原文に書かれてある「むかしの法令条目の枯葉を紙上に掻き寄せし」という表現(死んだ知識としての法学よりもエリス)が生きてくるんですがね。

 また、エリスの容色を捉えて鴎外はこのように書いています。

 「常ならず軽き、掌上の舞をもなしえつべき少女」

 エリス役はリザ・ウォルフという女優が演じているのですが、なかなか好演だとは思うんですが、さすがに「掌上の舞」のイメージはムリですねー。

 というより、先日私は芥川龍之介の『舞踏会』という小説を読んでいて、突然、これこそが「掌上の舞をもなしえつべき少女」だと思いました。
 それは、明治時代、鹿鳴館で行われた舞踏会にやって来たピエール・ロティが、日本少女と踊るという話ですが、彼が日本女性の人形のような美しさに感動するシーンを読んでいきなり気づいたのであります。
 「掌上の舞」とは、西洋人が日本の踊り子に対して用いるべき表現ですよねー。

 と、こんな細かな小説と映画の相違を挙げていけば切りがないのですが、私が本当に挙げたかったのは、これではありません。
 作品の世界観の根幹に関わる相違を見つけた(!)という話でありますが、……えー、次回に続きます。
 すみません。


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あたたかに寝顔くすぐる日和かな

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 まー、私の場合は、365日ずっとそうですけれど、
 ぽやぽやとまどろむのに心地よい季節に、
 いよいよ、なってまいりましたねー。
 (うれし!)
                           秀水


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久しぶりのDVD鑑賞ですが……。

 知人に八十歳を越えたご婦人がいるのですが、なかなか身体御健康で、おつむの方もお元気そのもので、趣味として洋画をご覧になります。
 といっても、さすがに映画館までいちいち足を運ぶのは、まぁ、金銭面においても少々ご負担で、要するに家でDVDをご覧になるのですが、ほぼ1日一本の割合だそうです。
 ……うーん、なかなか、やるなぁ、という感じですよね。

 一方私はといえば、映画の方はとんとご無沙汰になり、映画館に足を運ぶのはもちろん、DVDのレンタルもせず、テレビの「ロードショー」番組も見ず、といったていたらくであります。
 ところが、先日、久しぶりにDVDを見たんですね。その話を一席。

 見たのはこれです。

   篠田正浩監督、郷ひろみ主演『舞姫』
 
 なぜこの映画を見たかというと、友人に借りたからであります。
 なぜこの映画を借りたか、主語を変えますと、友人がなぜ私にこの映画を貸してくれたかと言いますと、友人と映画の原作である森鴎外の『舞姫』の話をしたからであります。

 実はちょっと前に、私は鴎外の『舞姫』を読んで(あの、擬古文ですね。高校三年生の時に現代国語の教科書で読みました。)なかなか興味深く思い、そのことと、そしてその時考えた『舞姫』に関する考察を(ってほどのものではないんですが)、彼に話したからであります。

 そこで私は彼から、実は『舞姫』のDVDを持っていると聞かされ、ぜひ貸してあげようという申し出を受け、そして私はそのDVDを手元に置いて約2週間、何といいますかー、放ったらかしておいたのであります。

 いえ、友人の好意からの借り物ですから、すぐにも鑑賞致し、感想の一つも述べねばならないところではありましたが、最近の私は以前にも増して、このー、映画の類を見るのが「大儀」になっておりますもんでー。

 まず、収録時間を見るんですね。
 ……えーっと、……約2時間。

 もうこれで私は大儀になってしまうんですね。
 つまり、今から2時間、自分はこうしてテレビの前に坐っているのかと、そう考えただけで気が重くなってしまうという、なかなか難儀な人格であります。
 全く困ったものですなー。

 とはいえ、えいやっ! と気合いを入れて一端鑑賞を始めますと、そこはそれ、作品にどんどん入り込み、それなりに楽しむ私であります。

 ということで、篠田正浩監督の『舞姫』、私は鴎外の原作と比べ、極めて本質的な相違のあることに気づき、そのことを大いに楽しんだのでありますが、その詳細は次回に。
 すみません。


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雲晴れて 弥生はじめの 陽射しかな

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 いよいよ、ですねぇ。
 うん。
 いよいよ。

 あれこれ、いよいよ。
                           秀水


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