様々の時 経て集う 幟かな

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 黄金週間であります。
 いい天気であります。
 よく集っております。

 風が、気持ちいい。

 ……あれ、みんな下に垂れていますね。

                              秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

ネットの記事を、今更ながら、少し考える。(その1)

 テレビで、クラシック音楽の番組はどのくらい放送されているのか、私は知らないですが、一つの番組だけけっこう見ています。
 その番組が、4月から改変されまして、司会者が変わりました。(タイトルも変わったんですけれど。)

 新しい司会者は、クラシックファンの小説家の方です。
 以前よりお名前くらいは存じ上げていたのですが、それ以上のことを知らなかったので、少々安易ながら、入門程度のことを知るにはもってこいと思っていたウィキペディアで調べてみました。

 するとその通り、入門程度のことが分かったのですが、その中にこんな文章が入っていて、私は、おやっ、と思いました。これです。

 時事問題や社会的に問題となった事件などに触発されて執筆を決意することが多く、『うつくしい子ども』は神戸連続児童殺傷事件が、『約束』は大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件が、『ブルータワー』はアメリカ同時多発テロ事件がそれぞれ執筆のきっかけとなっている。
 2012年1月1日、NEWSポストセブンの取材で「今の日本ほど、世界の中で潰れちゃってかまわない国はないかな。」「日本が無くなって世界の人が困るのは漫画とゲームが消えることぐらいでしょう。」と述べた。


 前半は、この作家の作品についての説明ですね。
 気なったのは、後半であります。

 ……どうでしょ。
 この文章を読んで、この作家についてどんな感想を持つでしょうかね。
 まー、いろいろな感想はありましょうが、私としては、

 「いらんこと、言いよんなぁ」

で、ありました。

 なまじっか、反論しにくいような部分も少しあるだけに、でもそれゆえに、なぜこんな言わずもがなのことを言うのか、という感想を持ちました。
 そして、この作家に対して、ちょっとイヤな気持ちを持ったんですね。
 きっと誰が読んでも、だいたいそんな感じではないでしょうか。

 しかし、テレビで持ったこの作家への好感と比べ、このコメントのイメージがあまりにそぐわなかったもので、私は気になって、後日もう少し調べてみたんですね。
 すると、……なるほど、ネットの記事とは(ひょっとしたらネットの記事だけではないかも知れませんが)、怖いものだなぁ、という感想を持つに至ることが分かりました。

 えー、次回に続きます。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

散る花に霞む眼老いも悪からず

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 ……さすがにほぼ散っていました。

 雨です。

 ぼんやりと、よく見えない景色も、

 さほど悪くありません。

                            秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

グレン・グールドについてのごく個人的なこと

 『「草枕」変奏曲・夏目漱石とグレン・グールド』横田庄一郎(朔北社)

 バッハについての本を、何となく続けて読みました。
 読んでいると、カール・リヒターとグレン・グールドの名前は、バッハ作品の演奏史にどうしても外せない事がよく分かりますね。そこいら中にいっぱい出てきます。

 改めて言われるまでもなく、ピアニストならずとも例えば『ゴールドベルグ変奏曲』を今後演奏してみよう(CDにしてみよう)と思ったら、よかれ悪しかれ、グールドを一つの定点観測地にせざるを得ませんものね。(と、言うようなことも書いてありました。)
 まー、勿論、どちらの方もバッハにまつわる有名人でありますから。
 でも、リヒターのバッハ関係のお話は、今回は少しおいておきます。

 ごく個人的な話ですが、そもそも私がグレン・グールドの名前を初めて知ったのは、私がクラシック音楽鑑賞を趣味の大きな部分にする以前でした。
 グールドはデビューレコードの『ゴールドベルグ変奏曲』から、一躍センセーショナルに有名になったそうですが、私はそんなことはつゆ知らず(クラシック音楽鑑賞を主な趣味とはしておらず、また年齢的に言ってもリアルタイムでは知り得ず、後年、吉田秀和がこのレコードについて書いている一文を読みました)、30年くらい前に、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を読んだ時、そこにグールドの名前が出てきて、初めて知りました。(たぶん)

 ついでの話ですが、村上春樹の『風の歌を聴け』の中の、グールドの名前の出し方がまた、とってもおしゃれなんですね。主人公の男性は、レコード店で一気に3枚(!)のレコードを買うんですが、そのラインナップが、ビーチ・ボーイズとマイルス・デイビスと、そしてグレン・グールドであります。

 というわけで、冒頭の本について、以下簡単に読書報告をしてみます。
 今回いろいろ読んでいると、なるほどグールドは噂に違わず、とても面白そうな(エキセントリックな)人物ではありますが、特に本書の主題は、グールドが後半生、憑かれるように『草枕』を読んでいたというものであります。

 かなり読み込んでいたようで、ノートを取っていたり、そもそも日本語本も含めて4冊ほど『草枕』を持っていたそうです。
 グールドが死んだ後、彼のベッドルームの枕元には、『聖書』とならんで『草枕』があったと書かれてあります。

 彼は漱石の説く「非人情」にあこがれた、いや、「非人情」にあこがれたというより、単純に言えば『草枕』の主人公の画工の生き方に自分を重ね合わせていたようであります。
 彼の理解した『草枕』の画工がどんなものであったのか、今となれば少々疑問の残るところではありますが、でもこれだけでも、グールドという人物は、なかなか興味深そうではありますね、特に日本人にとって。

 しかし、この本のトータルな感想としては、少々ベースの所にグールド・ファンの感情が強すぎる気がしました。
 だから、とりあえず私も面白かったといえますが(私も同じようなものですから)、少し下世話に言えば、女性週刊誌的興味だといえないわけではありません。
 まぁ、そんな本です。私はとても楽しかったんですが……。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

鶴首して待てる甲斐ある桜かな

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 前々回に作った句ですが、

 ……いえ、

 いつもの出来のよくない句ではありますが、

 ちょっと気になったもので、

 変えてみましたが、

 ……代わり映え、しません、か。

                          秀水


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執念深く作曲家の高い幸福度について

  『ロマン派の交響曲』金聖響+玉木正之(講談社現代新書)

 上記の本の読書報告の三回目になってしまいました。前々回の最後で、作曲家は年齢と共に作品の完成度が増してくるという本文中の個所について、これは作曲家にとってはとても幸福な特徴ではないかと取り上げました。
 そしてその「幸福な」特徴を、他の芸術と比較しながら述べようと思ったところまで書きました。

 しかし今回、いざ書こうと思った時に、私は比較の対象として、かなり見当違いなものを頭に浮かべていたんじゃないかと言うことに気づきました。
実は、私が音楽以外のジャンルの芸術家として頭に浮かべていたのは、画家の青木繁であり小説家の芥川龍之介だったんですね。
 で、この両者がなぜ「見当違い」なのかというと、それはつまり、芸術家としての「レベル」の問題とでもいうべきでありましょうか。

 前回私が例示した作曲家は、ブラームス、シューベルト、モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナーなどで、この面々といえば、人類が生み出したすべての作曲家の中で、時代と場所を遙かに振り切ったベストテンに含まれるような方々ばかりであります。

 一方青木繁は、日本では有名な画家であり『海の幸』という名作もあり(この作品を、私はベルリオーズの『幻想交響曲』に例えたかったのですが)、という方ですが、時代と場所を越えた世界史レベルの作曲家と比較するのは、いくら何でも少し無理があるのではないか、ということで、芥川龍之介についても、小説家としては青木繁以上に日本ではポピュラリティある方ではありながら、やはり同じようなものであろう、と。

 例えばベートーヴェンと比べるのなら、せめてゲーテあたりではないのかと思いついたのですが、時既に遅し。何より私は、ゲーテについては通り一遍の読書しかしておらず(読んだのは確か『ファウスト』『若きウェルテルの悩み』そして『ヘルマンとドロテーヤ』くらいでありましょうか)、比較すべき材料を持っていません。

 というわけで、何とも竜頭蛇尾なみっともない結びとなってしまいました。
 しかし、にもかかわらず、(執念深い)私は、作曲家の、画家や小説家に対する高い「幸福度」に執着いたしております。

 それはもはや、根拠を失った暴論でしかないかも知れませんが、なぜ私がそんなことを思うのかと言いますと、それは楽器技術の習得、特に極めて音楽性と拘わるピアノとヴァイオリン技術の習得の開始時期が幼年期から始まるものであり、遙かに個人の人格形成に先立っていると言うことを、今度は逆説的な根拠として取り上げたいのですが、いかがでしょう。

 そこにどんな理論性があるのかと問われれば、少々説明に困るのですが(戸惑ってずるずると長くなってしまいそうなのですが)、その一部を一言で述べますと、技術的側面の強い芸術は、それに携わっている期間の長短が作品の質と高い相関を持つ、とでも言えましょうか。
 いえ、この奇妙な理論も、十分な根拠を持たないものであるのは、わかりつつ……。


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鶴首した約束墨守の桜かな

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 ……うーん、桜は、
 本当に、綺麗なんですがー。

 句が、
 凝りすぎました。

                           秀水


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幸福な彼等達

  『ロマン派の交響曲』金聖響+玉木正之(講談社現代新書)

 前々回の文章の続きであります。前々回、上記の本の読書報告をしていました。
 その時私が引用していたのは、こんな部分でした。

 ふつう作曲家というのは、年を経るとともに円熟した作品を残すものですが、感受性の強すぎた永遠の青年ベルリオーズは、青年時代の『幻想』をついに越えることができなかったようにも思えます。

 ここを読んで私は、「そーなんだー」と思ったと記しました。そしてさらに読んでいて、今度はこんな表現に出会いました。

 ベートーヴェンの存在と格闘して完成させた『第一番』、それが世間に受け入れられて大喜びして気分の赴くままに書いた『第二番』、そこから6年の間隔を置いてつくった『第三番』、最後の交響曲となった『第四番』と、すべての交響曲を連続して指揮してみると、そこにはあきらかに( A )の人間的成長、音楽的(作曲技法的)成長とともに、彼の人生というか、自分の人生に対する自問とか、死への諦念といったものが感じとれます。

 問一・文中の( A )に作曲家の名前を入れよ。

 ……って、思わず設問を付けてしまいました。こんな設問を付けるのが目的ではなかったのですが、でもこの設問はあまりに易しすぎましたよね。

 というわけでブラームスについての記述ですが、ここにも、作品(交響曲)と年齢の関係が書かれています。私はここでも、作曲家はそうなんだ、という感想を持ったのですが、いわれてみれば、なるほど、ほぼその通りですね。

 シューベルト、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、などはみんな最後の交響曲作品がベストと評価されていますし、モーツァルトは最後の一作品とはいわないまでも終わりから三作をもって「三大交響曲」と言われています。

 ベートーヴェンは? ……これもたぶん9番をベストといって大過ないと思います。(金聖響氏は前作『ベートーヴェンの交響曲』の中で、音楽性で言えば完璧なのは5番と書いていたようですが。)
 ブルックナーは? ……これも8番か、ちょっと好みで5番辺りがベストでしょうか。9番は未完ですからやはり最終作品となります。
 マーラーは? ……うーん、これはちょっと私にはよく分からないですね。マーラーの場合は、なんか横に比較しにくい感じがします。

 というふうに挙げていくと、まさしく作曲家が年を経ると共に、作品の完成度が上がっているではありませんか。
 ……でもこれって、わたくし、少し考えてみたのですが、もしこのことが一定の規則性としてあるならば、芸術家としての作曲家とは、なんと「幸福な人々」ではないでしょうか。

 今私は、作曲家を「幸福な人々」と書きましたが、彼等のことをなぜそう言っていいのかは、他のジャンルの芸術家と比較してみれば明らかだとは思うのですが、……えー、次回、冒頭の書籍の読書報告から少し離れて、それをちょっと考えてみたいと思います。
 すみません。また、続きます。


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