去年今年 つましき生を 求めばや

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 なんか、この季節は確かに
 こんな思いにはなるんですが…。

 背筋をぴっと伸ばしたいものです。

                             秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

芸術の功徳

 先日久し振りに演劇鑑賞をしてきました。比較的お若い役者さん達が、劇作家・別役実の作品を上演なさっていましたが、あれは児童劇なんでしょうかね。

 そもそも大概ものを知らない私ではありますが、今書いた「児童劇」という言葉は正しいのでしょうか。また「児童演劇」と言う言葉も聞いたことがありそうですが、これは正しいのでしょうかね。

 「児童劇」とは、一方で児童が演じるお芝居のことを言っているような気もしますが、私の見てきたものは、大人が児童のために演じている劇でありましょう、たぶん。
 (ついでの話しながら「児童文学」という言葉は、こんな混乱はあまりもたらしていません。なぜなら児童自身はあまり優れた文学作品を作れないからです。)

 実はわたくし、この度本演劇が「児童劇」とは知らずにチケットを買って見に行ったんですね。で、上演場所に行って、観客として子どもが大人の2倍くらいの人数で(わいわいがやがやと)いることに、そして大人というのも、そのほとんどが若いお母さんであることに気が付いて少々びっくりし、はっきり言って、自分が場違いである感じが大いにしたのであります。

 しかし劇が始まってしまうと、そんな児童劇と普通の演劇の違いはほぼ感じなくなりました。
 というのも、これは評価の仕方によるとは思いますが、ある一面で言いますと、現代演劇はかつての演劇からどんどん「意味」が剥がされていって、「感覚」や「現象」だけのようになってきている気がするからです。

 舞台上にあるものが「意味」ではなくなり、「現象」になってしまえば、それを見る側にはほぼ年齢による理解度の差(そもそもこんな言葉自体がそぐわなくなっているようですが)はなくなっていきます。ちょうど、今年あった天体現象「皆既日食」の鑑賞のように。

 ともあれ、そんな感じのするお芝居でした。
 元々が『不思議の国のアリス』を「本歌取り」した作品でありましたので、日本不条理演劇の元祖のような別役実の台本でなくても、言葉遊び・ナンセンスなどが充ちています。
 実は私、先日来仕事上のことで、どうも面白くない事がありましたもので、こんな現実世界から見事に浮遊した作品は、ある意味とてもありがたく、なかなか楽しいひとときを過ごすことが出来ました。

 これはやはり芸術作品のありがたさですね。
 昔「ピカソ展」を見に行った時のことを、私はお芝居の帰り道に、ふっと思い出したのでありました。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

軒下を 彩る年の設けかな

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 早いもので、もう12月ですものねー。

 『季寄せ』を読んでいたのですが、
 「設け」は「もうけ」で
 「年の設け」は「お正月準備」ということで、
 よろしく。
                               秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

人類の希望の姿

  『ベートーヴェンの生涯』山根銀二(岩波ジュニア新書)

 『ベートーヴェンの生涯』といえば、何といってもロマン・ロランの同名の作品が有名でありますね。私は確か大学生の時に読んだ気がします。そんなことをよく覚えているのは、同じくロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を一巻目でケツ割りしてしまって、その代わりにせめて『ベートーヴェンの生涯』くらいは読んでおこうという、今考えたらよく分かるような分からないような読書動機であります。

 さて、冒頭の「べ氏の生涯」ですが、ジュニア文庫ということで、とても読みやすかったです。考えれば「ベ氏の生涯」といった本は、わたくしは既に何種類か読んでいて、今回は内容の確認を改めてしたようなものですが、それでももちろん、新たな(忘れていた)発見はありました。それはベートーヴェンが、その人生のいろんな時期にこのように事を言っていた(手紙に残していた)ことです。

 苦しんでいる貧しい人たちに私の芸術をもって奉仕しようという熱意は、幼い子どもの頃からのものですが、それに反する妥協は決してしたことがありませんし、また、貧しい人たちに奉仕することにいつもつきまとう内心の満足感以外に、私は何物も求めはしませんでした。

 しかし、こういった音楽理解は、優れた音楽家はすべて持ち合わせているものなんでしょうか、それともベートーヴェン特有のものなんでしょうか。
 例えばモーツァルトなんかは、こんな事考えなかったような気もしますし(完璧なバイアスの掛かりようですかね)、一方で、芸術は突き詰めていけば必ずこの境地に到達するという気もします。

 ところで、太宰治は私のフェイヴァレットな小説家のひとりなんですが、彼の作品に『畜犬談』というとっても出来のいいお話があって、そこにこんな一節があります。

 「(略)芸術家は、もともと弱い者の味方だった筈なんだ。」私は、途中で考えて来たことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。(略)」

 この部分はいわゆる太宰文学の「泣かせどころ」なのかも知れませんが、ベートーヴェンと異口同音に述べられる真摯な思いのほとばしりは、やはり偉大な芸術が共通項として持っている「人類の希望の姿」を示してくれているようでありませんか。

 この度「べ氏の生涯」を読んでいて、思いがけなく発見されたこの符帳の一致は、私にとって、とてもとても心温かくなるものでありました。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽