何喰わぬ顔で手入れや梅雨晴れ間

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 梅雨を叱るわけにもいきませんしー、
 普段雨には充分お世話になっていますしー、
 何よりそんなことをいっている間に……

                               秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

電子ブックリーダー、その後(後半)

 ……えー、後半であります。
 前回は何を書いていたかと申しますと、まじめにしっかりと書いてみますれば、現代において一冊の本とは何かという、実に何と言いますか、深遠な哲学的テーマであります。

 そのきっかけは、タイトルにもありますように私が電子ブックリーダーを買ったことであります。電子ブックリーダーには、一冊の本という単位がないのであります。

 ……と、いうのは少し言い過ぎの感がないわけではありません。一冊という単位ではない本があふれているというべきでありましょうか。一冊という単位がないのは、もっぱら私が読んでいる、無料でネット空間にある本がほとんどであります。

 例えば太宰治の小説に『魚服記』という作品があります。
 この作品は文庫本で読むときは大抵『晩年』という太宰自身が編んだ短編小説集の中の一作品として読みます。だから、一冊の読書という単位でいえば、『晩年』を一冊読んで完了となります。

 ところが青空文庫では、『晩年』収録の15作の短編小説が、みんなバラバラでリーダーに取り込めるわけです。この例のように作品集『晩年』と一短編小説『魚服記』の関係がはっきりとわかっていれば、かつての「一冊」にこだわることもできましょうが、普通はもうこうなってしまうと「一冊」という読書単位は存在しません。
 こんな状況において、本当のところ読書記録はどうすればいいのでしょうか。

 以前、ネットをぶらぶら覗いていて、「読書メーター」なるものを見つけたことがあるのですが、そこに設定されいてた単位は、あるものは「ページ」であったり、あるものは「字数」であったりしました。

 しかし、ページについては、実際リーダーにおいては文字の大きさが可変であるため無意味ですし、「字数」というのもまた、あまりといえばあまりな単位ではありませんか。
 そんなことないですか? 

 というわけで、読書単位の崩壊に私は真実戸惑っているのですが、このような状況になって改めて分かったことが、冒頭に書いた「現代において一冊の本とは何か」というテーマであります。

 かつて「万巻の書を読む」という言い回しがありましたが、もはやこの言い回しが成立しません。
 「万巻の書」は無理としても、私は私なりに一冊でも多くの本を読みたいと思っていたのですが、ひょっとしたら、私のそんな遥か時代遅れの教養主義的文化観が、今断罪されようとしているのでしょうか。

 ……うーん、本当に、どなたかアドバイスをいただけませんでしょうか。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

電子ブックリーダー、その後

 先週に続いて、電子ブックリーダーによる読書を考えてみようと思います。
 というのも、リーダー(面倒なので、以下、「リーダー」と書きますね)による読書は、私自身に、これからの読書スタイルをどうするかという問を突きつけているような気がするからです。
 ……とは、少し大仰な書き方になりましたが、それはつまり、読書記録の単位をどうするか、ということであります。

 今も手元にあるので、いつのことか分かるのですが、私は1984年の12月から「読書メモ」を書いています。
 その切っ掛けになったのは、出版社に勤めていた友人から、新しい国語辞典の製本見本(確かそれらしい名前があったと思うんですが、忘れてしまいました)、つまり本の大きさやページ数はできあがりそのままでありながら各ページが真っ白な本を貰いまして、それを読書メモに始めたのであります。

 そののち、その分厚かった見本本も全ページ読書メモで埋まってしまい、それからはエクセルによる記録に切り替え現在に至っています。
 で、その読書記録なのですが、それが一冊の本という単位での記録になっているわけであります。

 ……でも、どうですか? 一冊の本という単位の読書記録って、もっとも一般的ですよね?

 もちろん、一冊という単位の読書記録にも幾つか「ムリ」があります。
 一冊の本の分厚さの違いはどうするのか、途中でやめた本はどう勘定するのか、と言うのがその代表的なものだと思いますが、それは私自身の中でルール化されています。

 最初の「ムリ」については、私は本のページ数は問わないと、決めています。
 例えば私の持っている『風流仏・一口剣』幸田露伴(岩波文庫)は本文99ページです。一方、『告白』町田康(中公文庫)は本文842ページです。
 私のルールによりますと、共に「一冊」にカウントされます。

 確かに、かなりムリがあるような気がしまね。
 例えばこんな事も起こります。
 菊池寛の『真珠夫人』は新潮文庫だと上下2冊ですが、文春文庫だと1冊に収まっています。さて、この場合は?

 ……えー、ちょっと面白いから、次回に続きますね。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

電子ブックリーダーを買ってみました

 新しいものとか、はやりものにほとんど手を出そうとしない、きわめて保守的な人間でありまして、まー、言ってみれば、あまり「面白味」のない人間と言うことでありましょうか。

 そんな私が、この度電子ブックリーダーを買ってみました。
 しかし考えてみれば、電子ブックリーダーも、もはや新しいものでもはやりものでもなく、おまけに私が思っていたよりも遙かに安いと言うことを知ったもので、つい、買ってしまったわけであります。

 かなり以前からそんな製品があることは私も知っていたのですが、必要性をその時はもうひとつ感じませんでした。しかし昨今、文庫本の小さな活字がかなり苦労になってきまして、以前この製品について少し考えていた、もし利点があるとすれば、字の大きさを自由に変えられることくらいだろうかというそのメリットが、改めて私の中で注目されてきたわけでありますね。

 で、買ってみまして、……うーん、かなり、違和感がありますよねー、今のところ。
 一番の違和感は、私は読書をしていて気になった個所なんかが出てくると、ちょっとページの隅を折ったり付箋を貼り付けたりするのですが、それが出来ないことです。
 電子ブックリーダーにも、それらしいことのできる仕掛けがあることはあるのですが、慣れないせいか、どうも使いづらく、不満足であります。

 私は、読書感想文めいた文章を書くことを趣味の一つにしているのですが、読書中のそんなチェックがしづらいとなると、そのための本をこの電子ブックリーダーでは読めないということで、少しどうしたものかと思案中であります。

 そのほかにも小さな「違和感」はもう少しあるのですが、今回は、そのかわりといってよいメリット部分を、以下に指摘してみたいと思います。
 今のところで、みっつくらい、これはなかなか便利だ、を私は見付けました。

 その1は、本来想像していたメリットであります。文字を少し大きくして読むと、目が一気にぐっと楽になりました。思った通りとはいえ、さすがに優れものであります。

 その2。「ながら読書」がとってもしやすいこと。
 それは、手を当てておかなければ、ページがばさっと閉じられてしまう心配が全くないことで、片手に御猪口を持ちつつ、もう一方の手にはお箸も持ちつつ、そして目は小説を追うなんて「行儀の悪い」読書が、実にとっても便利にできてしまいます。

 そしてその3。
 電子ブックリーダーで読む方の文章のことですが、インターネット内の「青空文庫」に無料の書籍がたくさんあるんですね。
 そもそも、著作権の切れたような文学者の作品が、私はとても好きでありまして、まさに宝の倉にはいったようであります。
 あれこれとそんな作品を見付けるままに取り込みまして、おかげ様で今まで読んだことのない人物の文章を、このところいろいろ読むことが出来ました。

 と言うわけで最近初めてその文章に接して面白かったのは、味の素を作った池田菊苗、料理評論家の北大路魯山人、名前を文学賞に残す直木三十五、日本SF小説の草分け海野十三などなど、おそらく、このブックリーダーがなければきっと読むことの無かった人々であります。

 これは結構、いえ「違和感」と天秤に掛けても、本当に、愉しい。


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