見飽きけるはずにあれども桜かな

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 いよいよ満開であります。
 もうこーなると、
 なんの怖いものもありませぬ。
 はい。

                           秀水


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テーマ : 俳句 - ジャンル : 小説・文学

「喧嘩を売る」(後編)

 前回の続きです。
 前回の最後に生田長江の文を引用しておきましたが、これがとっても興味深い文章なので、前回がどんな話であったかはともかく、そこだけでも読み直してください。

 ……読み直しましたか? いいですか? では、後編を始めます。

 さて、この文章ですが、いくら何でもひどいと思いますよね。
 生田長江は、かりにも文芸評論家であります。その文芸評論家が、作家の書いた作品を読まずに作家を批評しようとする、そして、自分のそんな矛盾した行動について、完璧に居直っています。
 まるで居直り強盗の如く、または、まるで「アマゾン」書評の罵詈讒謗文章のようではないか、と。

 谷崎潤一郎も、こんな文章を読んで、さすがにそう思ったんですね。(もちろん、「アマゾン」うんぬんは思わなかったでしょうが。)
 で、谷崎は生田長江にこんな風に意見を言います。

 「あんなスキマだらけな乱暴な書き方をしないでも、もう少し書きようがあったのではありませんか」

 「ありませんか」なんてなんか谷崎らしくない(ような気がする)丁寧な言いようは、生田長江のほうが谷崎より若干年長者であったからなんですね。
 ところがその丁寧な谷崎の意見に対して、生田はこう答えたそうです。

 「いや、議論を吹ッかける場合には、わざとスキマを拵えておく方がいいんです、そうしないと敵が乗って来ないんです」

 ……うーん、なるほどなぁ、と思いましたね。喧嘩を売る時はそんな風にするのかと、ちょっと納得してしまいました。
 谷崎も、上記の文に続けて「なるほど評論家にはそう云う心得が必要なのかな、と感心したことがあった」と書いてあります。

 しかし、だとすれば、つまりあの文章が生田長江の芸のうちであるならば、あの中に再々書いてあった『お目出度き人』を自分は読んでいないというフレーズは、そのままには信じられないではありませんか。

 前回の文章の冒頭で、私は以前「罵詈讒謗を書いてみよう」というテーマの文章を書いたと書きましたが、その文章の中で「悪口」の天才として筒井康隆氏を紹介しました。
 しかし、今回の生田長江の「喧嘩の売り方」を知って、この方も筒井氏に負けない「悪口」の天才かも知れないと思いました。

 でもねー、でも、生田長江の場合は、あまりに破れかぶれではありませんか。
 表現された「芸」の姿に実も蓋もないものを感じます。このやり方は、きっとたくさん敵を作るでしょうね。

 実は、谷崎の「文壇昔ばなし」には、なぜ生田長江がかほどに破れかぶれであったかについても、一応触れてはいるのですが、今回はそれは少し別のこととして、ここまでで終わっておきます。


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「喧嘩を売る」

 少し前に本ブログに「罵詈讒謗を書いてみよう」というテーマの拙文を綴り、そして私はその文章でみごとに罵詈讒謗が書けなかったのですが、先日、谷崎潤一郎の本を読んでいたら、『文壇昔ばなし』というタイトルの随筆に、「喧嘩を売ると云えば」という書き出しで、文壇内でかつてあった論争について書かれてありました。

 そのエピソードによりますと、「喧嘩」を売ったのは生田長江という文芸評論家で、売られたのは白樺派の武者小路実篤であります。
 (今の日本近代文学史的な評価でいいますと、後者の方のほうがかなり高評価みたいですよね。武者小路実篤の小説は例えば『友情』とか、幾つか現在でも読まれていますが、前者の方は、生田長江という名前すら一部のたぶんマニアックな人を除いて、誰も知らないでしょう。)

 さて、その生田長江の喧嘩の売り方ですが、これがなかなか面白いです。谷崎の随筆に、生田長江の文章が直接引用されています。こんな感じ。

 ここに武者小路実篤という人がある。私はこの人の書いた物を、ほんの少しばかりしか読んでゐないが、その事の為めに私の非難されねばならない理由は、一もないということを確信して置いてから私の議論を進めよう。

 ……えーっと、どうですか。
 読んでまずびっくりしますよね。えっ? これって、どういうことだ? と。
 そして次に、いくら何でもこれはないだろう、って思いますよね。
 で、さらに、あっ、「アマゾン」の書評にある一部の文章はこれと全く同じじゃないか(これが少し前の「罵詈讒謗を書いてみよう」という私の文章のきっかけでありました)、と気付くではありませんか。

 アマゾンの書評の中には、「読み始めて十ページで面白くなくてやめた。この作家の小説は二度と読む気になれない」みたいな文章が、堂々と載っております。あれと、一緒じゃないか、と。
 ところがさらに、生田長江の文章は、このようにつながっていきます。

 所謂白樺派のもつてゐる悪いところとは何であるか。精一杯手短かな言葉に代表さして云へば、「お目出度き人」と云ふ小説か脚本かを書いた武者小路氏のごとく、皮肉でも反語でもなく、勿論何等の漫罵でもなく、思切つて「オメデタイ」ことである。
 再びことわつて置く。私は右の「お目出度き人」と云ふ小説だか脚本だかをまだ読んでゐない。そしてまだ読んでゐないのをちつとも悪い事だと思つてゐない。加之、あの小説だか脚本だかを読んでゐないでも、武者小路氏及び氏によつて代表されてゐる所謂白樺派の文芸及び思潮が、本当にオメデタイものであることを言明し得られると思つてゐる。


 と、まぁ、こんな感じなんですね。
 「小説か脚本か」というフレーズを三回も使って、ちょっと「いやらしい」文章ですよね。でもおもしろそうなんで、次回に続きます。


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それぞれに 盛りはあれど 梅林

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 我が家の庭の貧相な梅の木が咲いていたものだから、
 時々行く梅園はさぞ美しかろうと足を伸ばしたら、
 まだ五分咲き、ということでした。

 ……まぁ、梅の木にも、
 それぞれ事情がありましょうからねぇ。

                               秀水


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