あの事件から、もうすぐ半世紀になるんですねぇ……

   『木橋』永山則夫(河出文庫)

 永山則夫ってのは、例の永山則夫ですね。1968年、四件の連続ピストル射殺事件の永山です。
 ……うーん、事件からもうすぐ半世紀になろうとしているんですねぇ。
 1997年に東京拘置所で永山の死刑が執行されてからでも、もうすぐ20年なんですものねぇ。

 えーっと、わたくし、何となくこの作者には興味がありまして、今となってはほぼ昔になりますが、かつて同作者の『無知の涙』とか『人民を忘れたカナリアたち』とか、はたまた確か佐木隆三だったと思いますが、永山の事件のドキュメントなんかを読んでいます。
 今回は、ブック・オフ108円本ではありますが、なかなか興味深く読めました。

 とはいえ、この小説集を純粋に文学作品としてのみ読むことは、まー不可能でしょう。殺人犯作者の作品という予備知識を外すことはできません。でもそう言った思いで読むと、それはそれでまた興味深いものがあります。
 それは、かつて誰の文章で読んだ言い回しか、よくわからないんですが、こんな趣旨の言葉。
 
 「子供が15歳になるまで社会がその子を守ってやらなければ、その次には、その子から社会を守らねばならなくなる。」

 この言い回しの意味するものが、永山の生い立ちを読んでいるとそのまま描かれていることがわかります。
 永山少年が、徹底的に社会から保護されることのない少年期を送っていたことが、これらの作品から痛々しいほど読みとれます。全く、一人の人間をスポイルすることは、ひょっとしたらぞっとするほど簡単なことなのかも知れません。

 そんな人間としての尊厳を徹底的に認められなかった少年の記録は、或る意味、永山則夫のような存在にしか書けない部分が確かにあると思われ、いろいろと異論はあるとは思いますが、永山の死刑執行にはやはり「惜しい」ものがあったという思いを、この度の読書で改めて確認しました。

 1983年、本短編集の総題になっている小説『木橋』で、永山則夫は第19回新日本文学賞を受賞しています。
 そんな本でした。なかなか面白かったです。




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ひさしぶりに俳句について書いてある本を読んでみた

  『子規のココア・漱石のカステラ』坪内稔典(NHKライブラリー)

 ぼそぼそと俳句めいたものを作りつつ、十年くらいになります。
 一方で、本を読むことも好きです。
 じゃあ、俳句に関する本を読むかと言えば、あまり読みません。読めば役に立つ、あるいは楽しいだろうとは思いながらも、何となく、あまり読みません。
 まぁ、そのうち読むだろう。後の楽しみ、と考えています。

 と、振ったところで、上記の本を読みました。坪内稔典氏といえば、上記の理由で現代俳人についてほとんど知らない私でも、こんな氏の俳句を知っています。

   三月の甘納豆のうふふふふ
   桜散るあなたも河馬になりなさい
   睡蓮へちょっと寄りましょキスしましょ


 実に何とも説明し難い俳句ではありますが、しかし、爽やかな風がふっと吹き過ぎるのを感じますね。
 この「爽風」こそが、この俳句の価値なんですねー。これはなかなか誰にでもできる芸ではありません。

 と言う俳人の楽しいエッセイ(ほとんどが俳句に絡んだエッセイ)を読みました。
 とっても楽しく読んだのですが、少し気になるところなんかもあったりして、例えば、こんな部分です。
 正岡子規の有名な句「いくたびも雪の深さを尋ねけり」に関して、このように書いてあります。

 もっとも、子規は、はっきりと病人の俳句としてさきの句を作った。彼の句集では「病中雪」(病中の雪)と前書きがついている。だが、そんな作者の意図を離れて、スキーを気にする俳句だとか、雪国に心づかいをする俳句だとか、ともかくいろいろに読めるところにこの俳句の魅力があるのではないだろうか。もちろん、私の俳句だってどんなふうに読まれてもいい。

 どうですか? なるほど、芸術鑑賞の自由さという意味では、大いに納得できそうな論ではあります。
 ただ、少しだけ私が疑問に思うのは、自由に解釈していい部分というのは確かに芸術鑑賞にはありますが、作者の書いたことを無いことにして解釈するというのはどうなんでしょうかね。「この俳句の魅力」とは、そんなところにあるのでしょうか。

 ……まー、それくらい、ええやン、とも思いますし、……でもそこまではなぁ、とも思います。
 いかがでしょうか。


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