明治という時代の日本人

 寒くなりましたね。お元気ですか。

 正岡子規の雪の俳句、有名なやつ、

   いくたびも雪の深さをたずねけり

 この俳句には「病中雪」という詞書きがついています。
 明治29年の冬です。この年の子規は、自ら作品『寒山落木』に「二月ヨリ左ノ腰腫レテ痛ミ強ク只々横ニ寝タルノミニテ身動キダニデキズ」と書いています。

 例えば僕らは、梶井基次郎を読むとき(例えば『冬の蠅』)、描写の背後に、彼自身の、そう遠くない時期にあるであろう死の自覚を感じ取り、そこに強い感動を覚えますが、その梶井でさえ、子規の如く「身動キダニデキズ」という病状には至っていません。
 (最晩年の『のんきな患者』の時はどうであったか、ちょっと失念しました。)

 それを考慮しつつ改めてこの俳句を読んでみると、子規のこの精神の強靱さは、現代ではもはやほとんど理解不可能に近いほどで、なんだか「眩暈」に近い感覚に襲われます。

 それは、子規の個人的な資質なのでしょうか、それとも、いわゆる「明治という時代」の社会や日本人の一般的な姿なのでしょうか。

 「痛み」という一点だけで考えても、いわゆる時代による違いがあるのだと、そんな、生身の肉体と共に生きる人間の姿を、ふと考えさせられる一句であります。

 しかし、この「いくたびも」は、いかにも哀切きわまりない表現でありますね。


にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

コメント

Re: いくたびも・・・

 深玲さん、コメント有り難うございます。
 こちらこそ本年もよろしくお願い致します。

 さて、子規の里よりのコメントでありますね。嬉しいなー。
 子規って、やはり愛媛県では英雄なんですか。特に、『坂の上の雲』もテレビでしていることですし。(でもあのお話しで子規は途中で消えてしまいますよね。亡くなってしまうからです。)
 司馬遼太郎の「子規本」は、『坂の上の雲』も面白いですが、『ひとびとの跫音』も面白いですね。(拙ブログ「メジャーのマイナー」で、少々触れさせていただいています。)

いくたびも・・・

秀水小田敦 様 寒中お見舞い申し上げます。
年末年始のご挨拶ができませんでした。 ご無礼を恥じております。
改めまして、本年も どうぞ よろしくお願い致します。

NHK 「坂の上の雲」でも、子規の存在は大きいですよね。
精神の強靱さは、幼い頃から培われたものでしょうか?
良家のご子息として育った環境も、独特の感性を生み出した一因だと感じています。
もちろん、明治という時代背景が与えた影響も多分にあると思います。

四季の移ろいと共に、思い出される俳句も違ってきますよね。
常夏の国では、「いくたびも」 という表現は用いられなかったのではないでしょうか?

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)