人を待つ時間の切ない幸せについて

 先日こんな文章を読みました。
 科学は加速度的に進んでおり、例えば小中学生が普通に持つケータイは地球の裏側といつでも繋がっているが、そんな状況はつい最近まで想像もつかなかった、と。

 なるほど小中学生がケータイを当たり前のように持っているという状況は、十年ほど前にはとても考えられなかったなー、とつくづく思いました。
 十年前といえば、高校生あたりが「ベル入れるね」とか、言っていなかったですかね。

 ポケベル。こうして書くだけで、懐かしいですねー。
 でも僕は持っていませんでした。よく考えたら、どんな物であったのかという記憶すら、今では定かではありません。あれって、どんな仕組みで、どんな機能があったんでしたっけ。
 確か、ベルが鳴って(ポケベルだから当たり前か)なんか、文字も少し送ったり送られたりがありましたよね。なんか森永チョイスビスケットたいな外観を持っていたような記憶があるんですが、……うーん、忘れたなー、よくわかんないですねー。

 今の高校生は、ケータイのない生活なんて想像もつかないんだろうなと思いますが、かつての恋人たちは、例えば前日の夜の電話であったり、例えばその前のデートの別れ際であったり、そんな時に、次に会う場所と時間を決めましたよね。
 しかしいろんな都合や突発的な出来事が持ち上がって、待ち合わせの時間に遅れるという状況が生まれたりしました。
 でも、そのケータイがないために起こる待ち時間が、相手のことを考えながら過ごす5分、10分、30分という時間こそが、極めて演劇的な時間であり、よかれ悪しかれ、まさに恋愛の粋であったような気がします。

 そういえば確か太宰治が『待つ』という小品で、人を待つ時間の切ない幸せというものを描いていました。
 ……うーん、でもやっぱりこんな思いは、高校生にはきっと通じないんでしょうねー。
 ほとんど「もうろく」の前哨戦のようなものですかねー。……。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

コメント

Re: 待てませんでした...。

 深玲さん、コメント有り難うございます。
 「昔は」「昔は」なんて言い出しますと、精神の硬直、老化の始まりかなとは思います。
 だって、子どもは、そんなこと言いませんものね。
 でも、まー、たまには、少しは、許していただけたらと、思うのでありました。

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