「解決編」のない人間性の暗部は「面白い」

   『津山三十人殺し』筑波昭(新潮OH文庫)
   『八つ墓村』横溝正史(角川文庫)


 この昭和の初めに岡山県で起こった、一夜にて三十名ほどの男女の命を奪った実際の事件については、なぜか僕は少し連続的な興味を持っておりますが、この事件が、横溝や松本清張、別役実などによって、その時代ごとに断続的にぽつぽつと文章にされるのは、やはりそこに、語るに足る魅力ある何かが存在するからだと考えます。

 で、今回もそんな一つとして読んだのが、まず上記中の上の本なのですが、上の本を読むと下の本もぜひとも読みたくなり、我が家を探しても見つからないので、自転車で走って近くの図書館で借りてきて読んだのが、下の金田一耕助シリーズの名作であります。

 言うまでもありませんが、下の本は、上の本に取り上げてある題材をモデルとしつつ、横溝正史が金田一耕助シリーズに仕立て上げたんですね。

 そもそも僕は、時々無性に金田一耕助シリーズが読みたくなる時があります。4、5年前に少し腰を据えて金田一耕助はまとめて読んだのですが、いまだに時々読みたくなります。
 やはり作品のできがいいんでしょうね。横溝ミステリーは、本邦では極めてできのよいものとの定評がありますし、僕もそう思います。

 さて、二冊を連続して読みましたが、当たり前といえば当たり前ですが、この二冊は、かなり別物でありました。そんなことにまず、今更ながら気が付きました。
 で、さらに、どちらが面白かったかというと、上の方が面白かったんですね。ノンフィクションのほう。
 なぜなのかということについては、すでに僕なりの考えがあります。
 それは、『津山…』のほうには「解決編」がないということです。

 推理小説には最後に「解決編」の部分があります。本格ものであるほどに、きっちりとした「解決編」を持ちます。それは推理小説が知的遊戯であるからです。
 ところが、現実の人間の行動には、完璧な論理的必然性がありません。いわゆる「心の闇」と言う部分でありますが、一夜で二十九名の人間を惨殺し自らも自殺した実在人物の心は、当たり前ながら完全解明できるわけがなく、そしてそこに我々は、人間性の暗部・深部を読み、改めて人間性の多様性に、思いを遙かにするわけであります。
 これはやはり、読んでいてかなり面白いですね。

 一方、相対的に「面白くない」と言ってしまった『八つ墓村』です。
 そうは言っても、この本の面白さについては言わずもがな、僕自身何回めかの読書であり、すでに読み始める前から犯人は分かっておりながら、それでも一気呵成・一瀉千里の読書でありました。

 つまり、上記の表見を撤回して書き直しますと、かなり内容の異なる二冊でしたが、どちらも充分面白かったってことですね。どうも失礼しました。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

コメント

Re: No title

 コメント有り難うございます。
 別に、金田一シリーズをテーマにしているブログではありませんが、だいたいこんな事をあれこれと綴っています。
 よろしければ、またおいでください。
 ありがとうございました。

No title

初めまして。
ランキングから参りました。

「金田一シリーズ」は高校の時はまりまして、懐かしいです。
「八つ墓村」はシリーズ内で初めて読んだ本なので、特に印象に残っています。

「事実は小説より奇なり」と言いますが、仰るとおり解決しないからこそ底知れぬ恐怖があり、深遠な謎が滓のように心に残るんですね。
なんだかまた、横溝さんの作品を読んでみたくなりました。

ありがとうございました。

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