二冊の本を読んで深く考えました。

  『丸山真男 音楽の対話』中野雄(文春新書)
  『アンネ・フランクの記憶』小川洋子(角川文庫)


 この二冊の本を連続して読んでみました。うーん、なんというか、少し考え込んでしまいましたね。
 何についてか。ナチス・ドイツのしたこと、つまりは、つい50年ほど前に人間が行ったこと(僕も含めて、いつでも、また人類が行うかも知れないこと)についてです。

 中野の本に、今は亡きドイツのフルトヴェングラーについて触れた個所がありまして、この100年に一人というレベルの名指揮者は、結果的に言えばナチスドイツの宣伝塔のような働きをしたと言わざるを得ないのですが、はたしてあの時代に他に何ができたか、とも考えられるわけで、中野は心情的な部分も含めて、そう言ったトーンの書きぶりをしています。

 例えば、フルトヴェングラーがナチスの政策に反発して金輪際指揮はしないと抵抗した時、ナチスは表面上彼と和解をします。久しぶりに指揮台に帰ってきた彼に、聴衆が「もうどこにも行かないでくれ」と訴えたエピソード……。

 中野はまた、トーマス・マンと比較しながら、アメリカに亡命し、なんの命の心配のないところで祖国の現状について非難するマンと、結果的に力及ばずながら祖国に留まり、亡命しようもない民衆と共に激しい空襲などに心身を疲労させながら生きるフルトヴェングラーを説きます。

 「ユダヤ人に対してナチスが行っていることを、我々が充分に知ることはできなかった」という言葉は、あるいは真実のある部分を語っているのかも知れません。

 そして次に、小川洋子の本を読みました。
 印象が、見事に異なるんですね。

 「ニュルンベルグ法」ですか、寡聞にしてよく知らないんですが、アンネの日記記述によると、ユダヤ人は電車などあらゆる乗り物に乗ることを禁止され、自分の自転車に乗ることさえも禁止されています。そして衣服には強制的につけさせられる嫌でも目に付くどぎつい「黄色い星」のマーク。

 ユダヤ人に対してナチスドイツが行ったことを知らなかったとは、やはり、どうでしょうか、うーん、読んでいて全く屈託としてしまいます。
 そしてこの歴史的事実が、1944年まであったわけですね。これはもう同時代と言って全く過っていません。ナチスドイツの狂気は、いつでも我々に向かい、我々を取り込んでしまい、そして我々も加害者として加担してしまう、まさしく同時代の狂気であります。

 なかなか重い感想を持つ読書でありました。本来ならば、もう少ししっかりじっくり、考え込まねばならないテーマでありますが……。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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