めったにしない映画の話について(その1)

 なぜか、「フーテンの寅」がマイ・ブームであります。
 いえ、厳密に言いますと、「マイ・ブームでありました。」
 ブームも今は少し、沈潜いたしております。

 そもそもなぜに「寅」? と、まー、我ながら思いはするのですが、いえ私なりに考えることもいろいろとあったんですね、これが。

 しかし普段あまり触れたことのない芸術・芸能方面について、その作品を批評するというのはけっこう難しいものですね。特にその価値判断となると、かなり難しいと思います。

 というのは結局、いろんな芸術・芸能の世界には、その世界・作品独特のいわば「文法」というものがあるということですね。
 僕がそれに気が付いたのはモーツァルトのオペラ『魔笛』を見て、それについての評論を少し読んだ時でありますが、それまで僕は、いわば、オペラを「文学的文法」とでもいうもので見ていたわけですねー。いえ、あきれられても仕方ないのですが、たぶん、まー、そうでしょう。
 でもこれはちょっと面倒な話なので、もう少し単純な例に切り替えてみます。

 いきなりですが、極めて初期の井上陽水の歌に『断絶』という作品があります。
 彼女と夜中にデートしてたら彼女の父親が突然現れて酷く怒鳴られた、という歌であります。そして大人は分かってくれないと訴える、「断絶」を説くという歌です、歌詞だけ読んでいますとね。

 でも陽水というアーティストのすごいというか、一筋縄ではいかないところは、歌詞中、怒鳴っている父親のセリフ部分のメロディ・ラインが、転がるようなピアノの旋律に乗っていて、この歌の中で最も美しい部分であるということなんですね。

 これはいったい何ですかね。
 父親のセリフに「断絶」を感じるという歌詞の主張は、このメロディ・ラインのせいで見事に覆され、客観化、あるいは「断絶」を説く主体者が批判の対象とされているという「読み」じゃないでしょうか。そしてそれを可能にしているのは、この歌の「文法」が明らかに言葉のそれとは異なっていると言うことだと思います。

 ……少し、面白いでしょ。そんなことありませんか。
 個々の作品に入る前に、もう少し、「総論」を考えてみたいと思います。
 続きます。


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テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

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