大学で日本文学史の講義を聴いてきました。

 先日、ひょんな事から僕は市内のT大学に行って、日本文学史の講義を聴いてきました。そもそもの話を述べると少々面倒なんですが、要するに保護者の代わりに、まー、小学校のように「授業参観」に行ったというとですね。
 しかし、昨今は何でも大変ですよねー。大学でもこんな事をしているんですから。

 大学の講義なんて四半世紀以上前に聴いたきりであります。近代日本文学史の、萩原朔太郎の説明をしていました。
 1年生対象の授業と言うことで、100人くらい教室にいたかなと思いますが、文学部の国文科ですのでやはり女の子が圧倒的に多いようでした。
 そしてその女子大生だけでなく少数派の男子大生も含めて、ほとんどの学生が茶髪で、服装もいわゆる「流行」のファッションをしていました。

 教壇ではわりとご年輩の先生が、とてもフレンドリーな感じの話しぶりでした。
 『月に吠える』の詩と本の装丁・挿絵についての話題でしたが、なんて言うんでしょうか、私の聴講体験が四半世紀ぶりのせいでしょうが、なんかすっごい違和感を感じました。
 この違和感は、要するにこんな茶髪の現代的な若い子でも、朔太郎とか『月に吠える』のこととかを聴いて面白いんだろうかという、まー、大きなお世話と少々傲慢な感想のものでしょうか。

 あの茶髪のお嬢さんや青年達も、朔太郎、好きなんでしょうね。なんて言い方がそもそも傲慢なんだろうと自分でも少々思いますが、まじめに一生懸命聴いて十分理解している茶髪青年淑女達も一杯いるんでしょうね。きっと私の違和感が間違いであるのでしょう。

 でも90分講義の最後の方になると、私もだんだんいろんなことを思い出してきまして、
 「あー、そーやったなー。こんな浮世離れしたよーな日々を、私もかつて送っていたんだよなー。講義をさぼって雀荘とか喫茶店とかよく行ったよなー。喫茶店に行ったら、ちょうどコンピューターゲームが喫茶店のテーブルに出始めた頃で、インベーダーゲームや、その前のブロック崩しなんかやってたよなー。毎日が眠りこけそうないいお天気ばかりだったような気がするなー」
 なんて思い出しておりました。
 
 ともあれ文学研究なんてものは、そもそもこんな浮世離れした中で行われるものなんでしょうねえ。
 忘れかけていた懐かしいことをあれこれと思い出して、ちょっと嬉しかったです。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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