スリリングでドラマティックな勃興史

  『教養としての〈まんが・アニメ〉』大塚英志・ササキバラ・ゴウ(講談社現代新書)

 まんがについて私は、もう30年ほども前から、最近の話題作等についての知識が無くなってしまっているのですが、それまでは結構読んでいました。
 その頃は、ついでに「まんが評論」なんかにも時々触手を伸ばしていました。古いところで言えば、鶴見俊輔とか石子順造とかいった人たちの本ですね。これもわりと面白かったです。

 というわけで、本書につきましても、前半部「まんが史」の部分については、私自身のリアル・タイムな体験もあって、よく分かりました。
 具体的に本書の内容に合わせて言いますと、まず各章題がこんな風になっています。

   手塚治虫→梶原一騎→萩尾望都→吾妻ひでお→岡崎京子

 この内の、吾妻ひでおの真ん中あたりまでですかね、ほぼ私は、この「まんが史」と併走していました。(もちろん初期の手塚治虫はリアルタイムでは知りませんが。)だから、懐かしさもあってとても面白かったです。

 しかし、私がより感心したのは後半部「アニメ史」のほうであります。
 これはかなり感心したのですが、なぜ私は感心したのだろうと考えると、ふたつですかね、その理由らしきものは。

 (1)私のあまり知らなかった分野のことが書かれてあったから。
 (2)現在日本で最も勢いのある分野の話だったから。

 現代日本でほぼ唯一と言っていい、世界に向かってリードし、情報発信をしているメディアが、今更私が言うまでもなく「アニメ」ですね。(もちろん、「まんが」もです。)
 そのアニメの黎明期の話ですから、やはり勢いがあって面白かったんだと思います。
 上記例に倣って、各章題を挙げてみます。

   宮崎駿と高畑勲→出崎統→富野由悠季→ガイナックス

 と、こんな感じですね。どの章の内容も、アニメの「勃興史」を描いて、スリリングでドラマティックでした。
 そして、読み終えた私が何を考えたかというと、それは作家・幸田露伴のことでした。
 また何を訳の分からないことを書き出したかと、訝しくお感じの方もいらっしゃるかと思いますが、えー、すみません。実はこんな話です。

 昭和12年4月第一回文化勲章を受け、その祝賀会の席上、文学は科学とは別で、国家に厚遇されるよりもむしろ虐待されるところにすぐれたものが生まれると挨拶した。文学の本領をついてあますところなく、真正文学者の面目躍如というべきであろう。(『日本文学小辞典』)

 上記に、まんが・アニメは、ほとんど唯一日本が世界に向かって発信している文化だと書きましたが、それについて、徐々に「陰り」が見えだしているという話も聞きました。

 まんが・アニメ分野にも、国家の全面的バック・アップのもと戦略として文化輸出をはかっている国が現れ始め、個人企業がベースの日本のアニメ界は、大いに追い上げをくっているというのですね。

 しかしこの度、この「アニメ史」を読み、露伴の言葉を思い出し、私は、なるほど国挙げてのアニメ輸出戦略も悪くないのかも知れないが、こんな「在野」の文化に本当に必要なのは国家に庇護されることではなく、「反骨」なのだと改めて実感したのであります。
 権力によって保護された時、その文化がパワーもオリジナリティも失っていくという例は、まさに歴史に枚挙がありません。

 最後にもう一つ、本書のタイトル「教養のための」というフレーズは、ちょっと「反骨」とは相容れないかも知れませんが、しかしアクティブな「教養」の感じられる、実に楽しい・いい本でありました。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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