日本音楽の本家本元(後半)

  『雅楽』東儀秀樹(集英社新書)

 上記の本の読書紹介の、後半であります。
 前半では、本書には「我が田に水引く」表現が見えて少し「違和感」、という話をしていました。
 そしてその理由について、「孤立無援の宣伝活動」という、キーワードを、わたくし、作り出しました。

 その理由に加えて、もう一つ。
 そもそも、自分がアーティストで表現者であるという方が、自らの芸術活動について紹介をするという文章であります。
 何といいますか、えー、そもそも芸術家という方々は、自分の「フォルム」に圧倒的自信を持っているという方のことですよね。

 例えば、ピカソが自分のフォルムに自信が持てなければ、あの実に独創性溢れる表現は成立しなかったはずであります。でしょう?
 だからまー、堂々と自信を持って「我が田に水引く」、と。

 しかしそんな風に考えると、表現者自身が、まじめに自らの表現について解説する本(アイドル本なんかじゃなく)というのは、案外あまりないのかも知れませんね。そんなことないですか。

 というように、結構読んでいて少々読みづらいところもありながら、しかし、伝統のある分野に棲んでいた方が、その分野について一端を語ると、ぞっとするような「凄み」のある内容が現れたりします。
 そんなところは、読んでいて、思わず唸ってしまいます。こんな部分。

 僕が宮内庁の楽師だった頃は、先に紹介した皇室行事にも毎年参加していたわけだが、皇居の賢所前で行う「御神楽之儀」は、中でも印象的な行事の一つだ。夕方の六時から深夜一二時まで、延々と歌と演奏が続くのだが、観衆は誰もいない。神殿の前に玉砂利が敷きつめられ、その中央に小さな庭火が灯っている。その庭火を絶やさないよう常に薪を補給しながら、儀式は続けられる。その火を目印に神が天からおりてきて、我々楽師とともに歌や舞を楽しみ、そして、また天に帰っていくという意味があるのだ。

 神のみを唯一の観客とし、人間は誰もいないところで延々と続く歌と演奏とは、何とも鬼気迫るものと想像するのですが、いかがでしょう。
 伝統というものは、時にこんな、人智や理論に対して有無を言わせない状況を、のっと作り出しますね。
 
 こんな内容が、この本のあちこちに散りばめられていたりします。
 これはやはり、大いに意味のある本だと、言わざるを得ないでしょう。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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