おほなゐにしをえぐられてこぶしかな

 大地震に枝を剔られて辛夷かな       秀水
    (おほなゐにしをえぐられてこぶしかな)

 『方丈記』に、元暦二年(1185年)の大地震の記述があります。

 また、同じころかとよ、おびただしくおほなゐ振ること侍りき。
 そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋づみ、海は傾ぶきて陸地をひたせり。土裂けて水涌き出で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰たちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず。家の内にをれば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけるは、ただなゐなりけりとこそ覚え侍りしか。


 私の持つ古びたこの文庫本を開いたのは十六年ぶりであります。
 阪神淡路大震災で被災した時以来でした。
 
 今回も読んでみて、鴨長明のジャーナリスティックな筆致にやはり感心したのですが、同時にあの十六年前の感想も思い出されてきました。

 長明にとって「なゐ」は、「羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけるは、ただなゐなりけり」としか書けないものだったろうが、今は、わずか、ほんのわずかの違いでしかないかも知れないが、人間はもう少し自然の牙に対して「抵抗」の意を示すことができるはずだと。

 阪神淡路大震災の時、私は、「見る・感じる・忘れない」を被災の日々を過ごす上での定点にしようと思いました。
 ただあの時は自らが被災者だったからで、この度はそれに少し「動く」を加えようと思っています。

 古典作品とはいえ、長明の否定的言辞には一概に与することなく。


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