本当に、葬式は、要らない!?

  『葬式は、要らない』島田裕巳(幻冬社新書)

 やはりこんな本は、そんな年代の人が近い身内(自分も含めて)にいる人が読む本なんでしょうね。
 いえ私も、自らの人生最後のセレモニーを念頭に置きながら読んだんですがね、でも思ったほど、さほど「過激」ではなかったという印象でした。

 この自問に加えて、こんな本を読もうかという人は、やはり現在の葬式のあり方に対して、どちらかといえば否定的な疑問を抱いている人でしょうね、たぶん。
 いえ、私もそうなんですが。

 でもさほど「過激」でない本書を読んで、私は少々反省させられてしまいました。
 例えばこんな部分。

 檀家になるということは、自分の家の死者を弔ってもらう檀那寺を持つということである。寺の住職は、毎日勤めをし、本尊の前で読経などを行う。その際には、寺の檀家になっている故人たちの冥福を祈る。檀家にはそうしてもらっているという意識や自覚がほとんどないが、檀家になることで、私たちは先祖の供養を委託しているのである。
 寺における毎日の勤めのなかで、供養の対象になるのは檀家の先祖の霊だけで、そこに属していない人間の霊は対象にならない。その点で、檀那寺を持ち、供養を委託できるということは特権的なことである。
 その点で、檀家になるということは、平安貴族が味わっていたのに近い境遇にあることを意味する。昔なら上層階級だけが実現できたことを、一般庶民である私たちも経験できている。(中略)
 その特権を護るためには、それ相応の負担をしなければならない。それは、当たり前の話である。ところが、私たちは、こうしたことを明確に意識もしていなければ、自覚もしていない。いないがゆえに、高額の戒名料を支払わなければならなくなると、強い不満を感じ、寺や住職を批判する。本当にそれでいいのか。檀家の側もその点について考え直してみる必要がある。私たちは贅沢を享受しながら、その自覚が十分ではないのである。


 ね。反対に「過激」でしょ。あ、「過激」じゃないと言っていたんでしたっけ。
 「本当にそれでいいのか。」なんて、まさに魂の叫びのようではありませんか。

 しかし、にもかかわらず、にもかかわらず、この本はタイトルのように葬式は要らないんじゃないかという本なんですね。なかなか捻れています。

 でもそんな本だと思えば、なんだか読みたくなってきませんか。
 仏教や葬儀の歴史なんかにも触れた、結構まじめな本です。
 我々の社会は、そんな一点突破的に簡単に進んでいるんじゃないんだと言うことが、なるほどと実感されて、その意味でもなかなか面白い本でした。
 お薦めします。ぜひ。はい。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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