制海権も制空権もなんにもない。

 『戦艦大和ノ最後』吉田満(講談社文芸文庫)

 えー、上記の本の読書報告について、前々回からの続きであります。
 むかーし部分的に読んだ記憶のある本書を、この度全部読んだということを前々回に述べていました。
 今回は、もう少し内容的なことについての続きであります。

 さて、本書は、内容的には、二つの部分に分かれていると思いました。
 前半は、往路だけの燃料を積んで囮として沖縄方面に出発し、半分も進むや否やで、米軍戦闘機の総攻撃の許、大和が沈もうとするところまでです。

 ちょっと脇道にそれますが(まー、どうせ私の報告はいつも脇道だらけでありますがー)、今回読んで少しあっけにとられたことがありました。

 それは、昭和20年の4月頃には、呉の軍港から瀬戸内海を西に進み、豊後水道から太平洋に出るか出ないかあたりになると、もう制海権も制空権も日本にはなかったということであります。

 落ち着いて考えると、さもあらんとは思いますが、しかし右手にはまだ九州が見えているあたりで、米軍の潜水艦を側に見つけたりしているわけですね。
 これで本土決戦なんて言っていたのですから、なにをかいわんや、であります。

 さて、閑話休題。

 「傾斜復旧ノ見込ナシ」

 という、傾く大和に対してもはやどうしようもないと言う「副長」のせりふが象徴的ですが、ここまでが前半です。
 ここまでは、なかなか迫力のある緊密な感動的な部分でした。

 で、その先からが後半になります。
 それは当然玉砕を予想していた作者がどうして助かるに至ったかという部分で、これは少し考えたら判りますが、なかなか書きにくい部分です。

 すでに大量の同僚の死があり、その中を己が生きんがために行動するわけですから、これは書きにくく、結果的にやや思索的・抽象的になっています。この部分は、どう評価するのか。つまり事実に対する評価ではなく、作品に対する評価として。
 なかなか難しい部分でありますね。

 というわけで、僕はこの度この本をわりと興味深く読みましたが、うーん、はっきり言うとそれ以上のものではなかったです。
 それはなぜかと考えると、やはりこれもなかなか難しいものがあるんですが…。

 大和が沈んで60年を過ぎ、確か数年前「大和沈没60年」という、ちょっとした「ブーム」めいたものもあったように記憶します。
 ここから先は私自身まだうまく自分の中で整理されていない理屈なんですが、ごく感覚的なものとして、その周りから少しうんざりしそうな「風潮」が予感され、そしてそれに少し不安なものを感じるのだという次第でありました。

 えー、今回はわたくし、わりと真面目でしたね。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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