芸術とスポーツについて・その①

 太宰治の名作『お伽草子』の冒頭に、なぜこんな小説を書くに至ったかといった内容の、序文のような文章が付いています。
 もちろん、小説については海千山千、「すれっからし」のような太宰治ですから、その内容をそのまま信用するわけにはいきませんが、ともあれ、戦時中、空襲警報が出て、防空壕に長く隠れていると、「もう出たい」とむずる幼い娘がいて、それをなだめるために父は絵本を読むのだとあります。
 そしてさらに、原文はこのように続いています。

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 桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、間の抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醸せられてゐるのである。


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 この文章の最後の所なんですがね、「胸中には、またおのづから別個の物語が醸せられて」という個所。
 ここ、いいでしょ。実は私も、始終こうなるんですね。

 と言ってももちろん、私の場合は「天才」太宰治とは違って、素晴らしい物語がみるみる湧き上がってくるわけでも何でもありません。(そうであったら、どんなに素晴らしいでしょうね。)

 「妄想癖」

 一般的、世間的にはこういうんですよね。
 しかし、胸中になにやら自ずから別個の物語が醸されて、そしてその中にどっぷりと、波にたゆたうように全身を浸らせる「快感」、これはちょっとやめられませんね。
 まるで、麻薬のようであります。(って、私は麻薬の感覚は寡聞にして未経験なんですが。)

 さて話はそんなところから、始まります。
 といいつつ、次々回に続きます。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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