芸術とスポーツについて・その3

 さて、上記テーマの報告の第3回目になりました。
 妄想は妄想を呼び、話はどんどん横滑りしていっているのですが、とにかく、前々回の最後に触れていたのはこういう事でした。

 「スポーツの美と芸術の美は、極めて近いところに位置している。」

 しかし、じゃあスポーツと芸術は全く同じかというと、やはりそうもいえないわけで、それは「意図する」という点においてそうだと、私はさらに考えたのでありました。

 「意図する」とはどういう事かというと、いえ、簡単な話です。こんな感じ。

   芸術→意図し、追求する芸術性
   スポーツ→結果として現れることもある芸術性


 まー極めて単純な話ですね。
 それによくこの二点を考えていくと、異なっているようにも見えますが、結果から言いますと、ほぼ同じだともいえます。なぜなら、芸術において、意図することと、結果として芸術性が現れることには、相関性があるような気もしますが、あまり無いような気もするからです。
 相関性があまり無いのなら、それは、スポーツの「結果として現れることもある芸術性」とどこが異なるでありましょうか。同じではありませんか。

 というようなことをまず、先生が言ったのか、私が勝手に考えたのか、もはや分からなくなっているのですが、まず一橋頭堡として我が「妄想軍」は進んでいきます。

 ところで、スポーツの感動について、今までの妄想分析には決定的に欠けているもののあることに、多くの方が気付いていらっしゃると思いますが、 いかがでしょう。
 それは、スポーツの感動には、「勝ち負け」の要素が強く係わっているのではないか、その要素は、上記の「肉体美」とか「機能美」では解き切れていないではないかと、そういうことですね。

 まったくそのとおりですなー。「勝負」の視点はスポーツの重要な要素です。そして、スポーツが芸術であるのなら、もちろんそれも芸術性に大きく係わっているべきであろうと。

 うーん、困った。っていうほど困りはしなかったんですが、とにかく私は、更に考えたのでありました。
 と書きつつ、また続きます。すみません。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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