芸術とスポーツについて・その4

 あやっ?
 もう、四回も同じテーマが続いているんですね。「週一」でこの話は書いていますから、もう一ヶ月であります。
 本人も含めて、もうほとんど誰も、最初はどんな話だったかなんて覚えちゃいませんよね。
 というわけで、今回を最終回にしたいと思います。なんとか。頑張って。はい。

 ……で、私は考えたんですがね(えっ? 今回はこんないきなりの「入り」であります。なんせ「忙しい」ですから)、たぶんもうこの辺は、講義を聴きながら私の頭の中はどんどん別のことを考えているという状況であったろうと思うのですが、私はこう考えました。

 まず、「勝ち」は、やはり機能美の一変形であろうと。
 機能性の限界への追求の先に機能美があるごとく、「勝ち」は勝負に対する執着の先に感動と共に現れるものであろう、と。
 だから、「勝ち」は、アラウンド「機能美」であると。

 ここまで考えまして、これはなかなかの分析ではないかと思ったんですね。
 では、今度は「負け」はどうなのか。我々はしばしばスポーツの敗者にこそ、より大きな感動を覚えるのではないかと。これをどう理解するのだ、と。

 うーん。困ったんですね。わたくし。
 しかし、なんか、ちらっと感じるものがある。「敗者」への感動と同種のものを、我々はわりと常時感じているのではないか。
 で、思いついたのは、こういう理論です。

 「負け」とは、「小さな死」ではないのか。

 つまり「負け」の感動とは、「生死の感動(死なない生命はない)」ではないかと。

 やー、我ながら凄い直感力ですね。本当に思わず感動しそうになったんですが、えっ? 何を寝ぼけたことを言っているのかって?

 というような講義を聞いてきました。
 と思うのですがね、さてどこまでが講師の先生の説で、どこからが私の妄想なのか、すでにお断りいたしましたように、もはやよく分からなくなっております。

 本当は、講義自体はさらに続きがあったんですが、私としましては、「小さな死」を発見したところで、その極めて詩的な表現に我ながらうっとりとし、以降、その言葉の周辺をたゆたい続けていたのでありました。

 いやー、なかなか、面白かったです。
 本当に二時間、十分遊べました。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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