思わず大いに蒙を開かれて

  『日本語のできない日本人』鈴木義里(中公新書ラクレ)

 奥付によるとこの本は、2002年の初版印刷となっており、くるくると売れ筋が変わる現代日本の出版業界の中では、今となっては既に「過去の本」という感じでしょうか。

 筆者である鈴木義里という方についても、わたくし寡聞にして全く存じ上げず、この新書には筆者の写真が載っているのですが、なんか生意気そうな、いかにも世を拗ねている感じの「おっちゃん」の顔であります。

 おまけにこの本は、わたくし、先日の日曜日、自転車でぶらぶらと散歩していたらいきなり雨が降り出してきたもので、雨宿りのつもりで入った大型古書店舗で、まー、一冊も買わないで出ていくのも何だろうと手に取った105円の新書でありました。

 というわけで、ほとんど期待も何もせず読み始めた本でありましたが、いやー、えらいものですねー、私にとってここ数年何となく気になっていた事柄について、大いに蒙を開かれる記述が(それも何カ所も)、書かれてありました。

 タイトルからも分かるように、この本はトータルには日本語論でありますが、教育論にもなっており、もっと大きな日本人論・日本社会論にもなっています。
 まず、そのうちの一つを紹介してみますね。

 さて、日本の国際競争力が落ちると日本の社会が困るのだとよく言われているが、しかし、最先端の科学についていくことが、本当の日本の未来に有益なのだろうか。日本国家が落ち目になると、普通の人間の暮らし向きが、耐えられないほどひどく悪くなるのだろうか? 自動車やらコンピュータの製品が海外の市場で売れないからといって、本当に困るのだろうか? 資源のない日本が他の国と戦えるのは技術力のみだ、と言う人たちの言葉は事実なのだろうか? たぶん、それは本当なのだろう。だが、その危機感が増幅されているという点もあるに違いない。グローバリゼーションの結果、世界的な競争の中で、日本社会がとんでもないことになってしまうというイメージは、何度も繰り返して語られることによって、まるで絶対的な真理のようにさえ見なされている。
 エリートの予備軍の学力低下を恐れている人びとは、実は日本国家、あるいは日本企業の国際競争力の低下を恐れているにすぎないのではないか。人びとが幸せに暮らすとか、平等で公正な社会を実現するために必要だから、と考えているわけではないような気がしてならない。


 どうですか。
 ただ、私はここに書かれていることこそが正しい、といっているわけではありません。こういった視点で、柔軟に多角的に物を見ることの必要性を強く感じているのであります。
 「常識」と思われている事柄こそ絶えず疑ってかかることが必要だと、私は考える次第であります。
 この本の紹介、もう少し、続けてみますね。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

コメント

Re: No title

>お夕さん、コメントありがとうございます。
 当たり前といえば当たり前ですが、まだまだおもしろい本って、いっぱいありますよねー。
 そんな思わぬ本を見つけるのも、読書の楽しみですね。

No title

ご無沙汰しておりました。

なかなか含蓄のある書籍のようですね。
このあとのレポートも楽しみにしています。

私も常々、企業の業績や経済界の繁栄が、国民の幸福であるという風潮には閉口しておりましただけに……。

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