「PISA」について、また。

  『日本語のできない日本人』鈴木義里(中公新書ラクレ)

 前々回の続きであります。
 前々回は、世の中にはまだまだ面白い本がいっぱいあるという、当たり前すぎる感想を抱いたわたくしでありました、というところまででした。

 今回はその続きです。
 前々回にも触れましたが、それ以外にも、いっぱい面白いことがこの本には書かれてあります。
 例えば、本ブログでも数回前に取り上げた「PISA」について、これは国際経済協力機構(「OECD」)の行っている学習到達調査ですが、この結果発表のある度に、マスコミはわいわいとコメントを加えています。
 (日本はもうダメになったとか、まだ少し頑張っているようだとか、あまりいいコメント、前向きの意見が出ているのは見たことがありませんが。)

 わたくし、これについても、以前より一種不信感を抱いていたものですが、これについても書かれてありました。
 本書にこんな文章を見つけました。(ただ、文脈的にはやはり日本の若者達の読解力は低下しているという文脈ではあります。)

 「読解力」とは当然のことながら、それぞれの言語に依存するものだ。そして、別の言語で表現された文章が「同一の」難易度である保証はどこにもない(内容のほうも本当に「同一」であると言えるかどうかは疑問が残る)。言語Aで表現された内容が言語Bでも同じ「難易度」で表現されるということはあり得ない。したがって、例えばフィンランド語で読んで「分かる」ことと、日本語で読んで「分かる」ことを比較することが、果たして可能なのかどうかは吟味する必要がある。

 ここに書かれてあるのは、「読解力」を国際比較することの難しさでありますね。理数系の問題とは同じように行かないということが書かれています。
 もっとも、そんなことを言いだしたら、ほとんどすべての事柄について、「比較」そのものが難解なものとなってしまいましょうが、やはりここで私が思うのは、「もの差し」を一つと考えてはいけないと言うことであります。

 さて、本書の中で私が最も唸ったのは、実は別の個所でありまして、それは、「平等」について書かれたところであります。

 えー、また次々回に。すみません。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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