「弱肉強食」は本当か。

  『日本語のできない日本人』鈴木義里(中公新書ラクレ)

 上記作品紹介の第三回目になります。
 なかなか考えさせるいろんな事が書いてあるという報告を、過去二回いたしました。それ以外にもいろいろ書いてあるんですが、残りは本書を手にとって直接お読みいただくとして、後一つだけ紹介いたしますね。
 前々回の最後に少しだけ触れました、「平等」についてです。
 筆者はまずこんな風に書き出します。

 だれでも、自分が他の人間よりもともと劣っているかもしれない、などということは認めたくないのだろう。人間の能力は潜在的には同一なのだが、それが家庭環境や教育などの違いによって開花できる人とそうでない人とに分かれるだけで、本当みんな同じなのだと思いたいように見える。

 と、まぁ、ここまではもっともといえばもっともで、でもよく聞くような論調ではないかとも思いますよね。ところが筆者はさらにこう続けていきます。

 だが、これはどう考えても理不尽なことだ。人間も生物の一員である限り、優れた資質をもつものと、そうでないものとが混在しているはずだ。重要なことは、(生物学的に)優れた資質をもつ人間と劣った資質しかもちあわせない人間とが、人間という点ではまったく対等な資格があるという、ある意味では不思議な、しかし、すばらしい思想をもったということだ。
 これは、決して投げ捨てるべき思想ではない。この思想がなぜ大事なのかと言えば、少数の優れた(生物学的な)資質の持ち主が、圧倒的多数のそうでない人びとよりも「人間として」優れているとは限らず、そのような少数の恵まれた資質の人びとが、そうでない人びとを見下すことができないということを教えてくれるからだ。そして、少数の恵まれた資質の人びとのほうが、そうでない人びとよりも充実したすばらしい人生を送れるとは限らない、という事実は、私のような人間にとっては福音のようにさえ感じられる。


 この引用の、前半の終わりから後半の冒頭にかけての認識は、私はとても貴重なものだと思います。
 そしてこの後、この章の最後にはこんな興味深い指摘があります。

 とは言うものの、これは、ある意味では自然に逆らうことかもしれない。たぶん、他の生物では、(生物学的に)優れた資質をもつ個体が劣った個体より幸福な人生(人間じゃないから「人生」というのはちょっと変かもしれない)を送ることができるのだろう。もっとも、他の生物でも実はそうでもないということを生物学者の池田清彦氏は述べており、そうだとすると、優れた資質が幸せにつながらないということは人間に限ったことでないということになる。池田氏によれば、「弱肉強食」が自然界の掟だ、などというのは実は生物の世界では事実ではないのだそうだ(詳しくは氏の『科学教の迷信』、洋泉社、一九九六年、『正しく生きるとはどういうことか』、新潮社、一九九八年などを参照)。

 どうですか。もはやくどくどとは述べませんが、こんな風に書かれておりますと、次はこの池田清彦氏の著書を読まないわけにはいかないではありませんか。

 ……ということで、次はこの本を探しまして、また後日報告できる時を楽しみにします。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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