三島由紀夫の天才性について

 永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い、しまいには自分がからかわれているのかと思って、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。それがたまたま馴染みの浅い客の前で言い出されたりすると、白痴と思われかねないことを心配した祖母は険のある声でさえぎって、むこうへ行って遊んでおいでと言った。

 上記の文は、三島由紀夫の『仮面の告白』の冒頭であります。
 とっても有名な書き出しで、なぜ有名な書き出しかというと、さすが三島由紀夫くらいの天才になると、書かれているとおり、やはり生まれた時から人とは違っているんだなー、生まれた時の記憶があるくらいだから、とみんなに思わしめるような記述であるからであります。(まー、それほど単純でもないでしょうが。)

 しかし少し前ですか、私はネットで、母親のお腹の中にいた時の自分の状態や、聞こえた音や声、周囲の状況などを覚えているという人は、結構たくさんいるという記事を読みました。

 記事によりますと、こうした「胎内記憶」を持つ日本人は、成人では1%程度、未成年では7%程度、幼児になるとその数字は跳ね上がるとあります。

 長野県の保育園児へのアンケート結果によると、胎内記憶があった園児は33%、生まれ出た時の「誕生記憶」のある園児は20%いまして、さらにそのうち、自ら「記憶」を語ったのは9%、残りの大部分はこちらから聞いたら答えたというケースだったという、なかなか興味深いものであります。

 しかし、えー、とすると、何ですか、生まれた時の記憶があるというのは、さほど珍しいものでも何ともないと言うことですかね。
 うーん、困ったものですねー。(別に困りませんか。)

 三島由紀夫の天才性の「証拠」が一つ減っちゃったような気がして、……いえ私は別に三島由紀夫の小説のファンと言うほどのものではないんですが、なんとなく自分が若い時に凄いなーと思っていた人は、やはりいつまでも凄いままでいて欲しいという、ちょっとしたノスタルジアゆえであります。

 ただ、冒頭の文の少し後に描かれる表現は、さすがに三島由紀夫らしいとっても明晰な描写であります。

 が、私には一箇所だけありありと自分の目で見たとしか思われないところがあった。産湯を使わされた盥のふちのところである。下したての爽やかな木肌の盥で、内がわから見ていると、ふちのところにほんのりと光がさしていた。そこのところだけ木肌がまばゆく、黄金でできているようにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかった。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入っていたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合せをしているようにみえた。

 どうです、目の前に見えるが如くとっても上手に書いてありますよねー。
 なるほど、当たり前ながら、彼の天才性は「誕生記憶」故のものではなく、この抜群の筆力故のものでありました。

 一方、上記のネットの記事によりますと、「おなかの中のことを覚えている」と答えた幼児の見た色は、「赤だった」というのが一番多いそうです。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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