お習字とアルコール中毒の話

 先日、知人から久しぶりにメールが届いたのですが、奥さんが病気で3ヶ月入院していたのが、やっと退院するということでした。
 しかしその3ヶ月はなかなかハードであったようで、日々の生活に加え、奥さんのいろいろな世話もあり、すごいストレスで「仕事したくない病」に罹ったそうであります。

 しかし「仕事したくない病」は、私もすでに罹患いたしております。(もちろんその時の友人とは、重度が違うのでしょうが。)
 私はこの病気対策として、とにかく家に帰ったら仕事のことは一切考えないようにする(といっても、払っても払っても寄ってくるハエのように仕事のイメージは脳内にやってくるのでありますが)ことにしています。

 そんな時、かつてならとにかくひたすら酔っぱらっていました。午後7時を過ぎますと、うーん、三日に一日はすでに呂律が回らない状態であったですかね。
 でも、わりとあっさりと酒とタバコをやめたもので(現在は、酒については少しは飲むのですが)、そのかわりとして、読書はまぁ、私の生き方のベースですから特に新しく始めたわけでもないですが、俳句をひねったり、俳画を書いたり、お習字をしたり、クラシック音楽を聴いたり、自転車をこいだり、筋トレをしたりと、まー、そんなことをしています。

 しかし考えてみれば、酒を飲んでうだうだしているというのは、半分死んでいるのと同じ状態ですから、かつてはほとんど毎日4、5時間ずつ死んでいたわけです。
 全く無駄な日々でしたねー。
 それだけでなく、酒をやめてから、アルコールの害について書かれた本などを読んで改めて気が付いたのですが、やめる1、2年前から私は右手に一種の麻痺がきていたということが分かりました。

 中島らもの小説『今夜、すべてのバーで』の中に、アル中で緊急入院した主人公が診断を受ける場面で、医者が、主人公の足の指をあちこちさわって、触れているのが判るかと尋ねるシーンがあります。
 かつての私は、そのシーンを何気なく読んでいたのですが、酒をやめて再読したとき、程度としてはまだそこまでの麻痺はなかったと思うのですが、この個所に非常に納得した思いを持ってしまいました。

 今、お習字の練習なんかを、自分でお手本を見ながら時々やっているのですが(まぁやっていることはもちろん知れてます)、なぜそんなことやっているかと言いますと、手首が自由に動くんですね。
 当たり前じゃないかとお思いかも知れませんが、かつては力を入れると変な具合に突っ張ったりして、自由に動きそうで動かなかったんですね。
 だから今、字を書いていて、とても気持ちがいいわけです。えらいもんですな。

 しかし人生って、人とだけではなく、全く不思議な出会いの集まりだと、本当に思いますね。


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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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