『音楽の基礎』芥川也寸志

 『音楽の基礎』芥川也寸志(岩波新書)

 僕がこんな本を読むとは、僕自身、数年前は想像もつかなかったですね。
 バッハやベートーヴェンとかの作家論や作品論ならまぁ、判らないでもないですが、これは五線譜とオタマジャクシのある本です。

 しかしこの本の作者は、極めて丁寧に書いてくれています。ただし、僕の理解が及ぶ前半については。いやこの書き方はおそらく間違っていますね。きっと後半も丁寧に書いてくれていらっしゃるんでしょうが、いかんせん、もはや私の理解が及ばないわけです。

 例えば冒頭にこんなことが書かれてあります。

 「音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境を必要とする。たとえば、鐘もしくはそれに類似する音が鳴り響いているなかで、鐘の音を素材とした音楽を演奏しても、その音は環境に同化してしまうので、音楽としては聞こえない。ちょうど、赤い紙に赤色のクレヨンで絵を描こうとするのと同じである。
 しかし、程度を越えた静けさは、連続性の轟音を聴くのに似て、人間にとっては異常な精神的苦痛を伴うものである。」


 これは、お父上譲りの異色の文才の発露でしょうかね。
 前半部の取り上げた事例のオリジナルな諧謔みに加えて、あらずもがなの後半部。このアンサンブルは極めて上質なユーモアを創り出していますね。

 さらに続けて、こんなことが書かれます。

 「作曲家は自分の書いたある旋律が気に入らないとき、ただちにそれを消し去ってしまうだろう。書いた音を消し去るということは、とりもなおさずふたたび静寂に戻ることであり、その行為は、もとの静寂のほうがより美しいことを、自ら認めた結果にほかならない。
 音楽は静寂の美に対立し、それへの対決から生まれるのであって、音楽の創造とは、静寂の美に対して、音を素材とする新たな美を目指すことの中にある。」


 上質で明快で見事な説明ですね。
 こんな書き出しの本は、この後の内容に対して大いに期待できますよね。
 ただし、しっかりと五線譜の読める人にとってなら。

 しかしどうして、僕には五線譜が読めないんでしょうか。
 これは例えば、もはや僕に三角関数が理解できそうもないのと同じなんでしょうかね。

 実際、人生には、何気ない分岐点が星の数ほどありますね。
 きっと僕は、何を認識・予想することなく、そんな曲がり角の一つをすっと曲がったんだと思います。そして僕は、いつの間にか五線譜を理解できる街から、大きく隔たった人生の街角にひとり佇んでいます。

 もしも人生をリセットし直すことができるならば、そんな大きなことでなくても、この五線譜の読める街へ続く小道を改めて見つけ出すというのも、なんだかとてもステキそうな気がしますね。




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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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