幸福な彼等達

  『ロマン派の交響曲』金聖響+玉木正之(講談社現代新書)

 前々回の文章の続きであります。前々回、上記の本の読書報告をしていました。
 その時私が引用していたのは、こんな部分でした。

 ふつう作曲家というのは、年を経るとともに円熟した作品を残すものですが、感受性の強すぎた永遠の青年ベルリオーズは、青年時代の『幻想』をついに越えることができなかったようにも思えます。

 ここを読んで私は、「そーなんだー」と思ったと記しました。そしてさらに読んでいて、今度はこんな表現に出会いました。

 ベートーヴェンの存在と格闘して完成させた『第一番』、それが世間に受け入れられて大喜びして気分の赴くままに書いた『第二番』、そこから6年の間隔を置いてつくった『第三番』、最後の交響曲となった『第四番』と、すべての交響曲を連続して指揮してみると、そこにはあきらかに( A )の人間的成長、音楽的(作曲技法的)成長とともに、彼の人生というか、自分の人生に対する自問とか、死への諦念といったものが感じとれます。

 問一・文中の( A )に作曲家の名前を入れよ。

 ……って、思わず設問を付けてしまいました。こんな設問を付けるのが目的ではなかったのですが、でもこの設問はあまりに易しすぎましたよね。

 というわけでブラームスについての記述ですが、ここにも、作品(交響曲)と年齢の関係が書かれています。私はここでも、作曲家はそうなんだ、という感想を持ったのですが、いわれてみれば、なるほど、ほぼその通りですね。

 シューベルト、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、などはみんな最後の交響曲作品がベストと評価されていますし、モーツァルトは最後の一作品とはいわないまでも終わりから三作をもって「三大交響曲」と言われています。

 ベートーヴェンは? ……これもたぶん9番をベストといって大過ないと思います。(金聖響氏は前作『ベートーヴェンの交響曲』の中で、音楽性で言えば完璧なのは5番と書いていたようですが。)
 ブルックナーは? ……これも8番か、ちょっと好みで5番辺りがベストでしょうか。9番は未完ですからやはり最終作品となります。
 マーラーは? ……うーん、これはちょっと私にはよく分からないですね。マーラーの場合は、なんか横に比較しにくい感じがします。

 というふうに挙げていくと、まさしく作曲家が年を経ると共に、作品の完成度が上がっているではありませんか。
 ……でもこれって、わたくし、少し考えてみたのですが、もしこのことが一定の規則性としてあるならば、芸術家としての作曲家とは、なんと「幸福な人々」ではないでしょうか。

 今私は、作曲家を「幸福な人々」と書きましたが、彼等のことをなぜそう言っていいのかは、他のジャンルの芸術家と比較してみれば明らかだとは思うのですが、……えー、次回、冒頭の書籍の読書報告から少し離れて、それをちょっと考えてみたいと思います。
 すみません。また、続きます。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

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