「後世への最大遺物」とは何か(その4)

  『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三(岩波文庫)

 上記の本の読書報告の四回目になってしまいました。いくらとても面白い本でありましても、そろそろ終わりにしなければ、いつもながら顰蹙ものであります。
 がんばって終わらせます。

 さて、若き日の内村鑑三氏が、悲嘆を繰り返した後手に入れた考え方はこういうものでありました。整理して書いてみますね。

 まず内村青年はこう考えます。
 今まで挙げた「後世への最大遺物」は、実は「最大遺物」ではなかった。
 その理由は、まず、これは誰もが残すことの出来るものではないこと、次に、確かに有益なものではあるが、害も同時に伴っていること、の二点である。

 そして、このように続けます。原文を引用してみます。

 それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりがあって害のない遺物がある。それは何であるかならば「勇ましい高尚なる生涯」であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。


 ……うーん、この辺の展開が、感動的といえば感動的であります。
 が、しかし、なんかいきなり闇夜で鼻を摘まれたようだとも感じちゃいますねぇ。

 ともあれ、この考えの基、内村青年は「勇ましい高尚な生涯」を送り、なるほど、後世に立派な名を残したのでありました。

 ……あのー、すみませんが、もしもお暇なら、この話題の第一回目に戻ってみてくださいませんかね。
 そうすると分かりますが、なんだか、「ねずみの嫁入り」、メーテルリンクの「青い鳥」みたいな話でありますね。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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