人類の希望の姿

  『ベートーヴェンの生涯』山根銀二(岩波ジュニア新書)

 『ベートーヴェンの生涯』といえば、何といってもロマン・ロランの同名の作品が有名でありますね。私は確か大学生の時に読んだ気がします。そんなことをよく覚えているのは、同じくロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を一巻目でケツ割りしてしまって、その代わりにせめて『ベートーヴェンの生涯』くらいは読んでおこうという、今考えたらよく分かるような分からないような読書動機であります。

 さて、冒頭の「べ氏の生涯」ですが、ジュニア文庫ということで、とても読みやすかったです。考えれば「ベ氏の生涯」といった本は、わたくしは既に何種類か読んでいて、今回は内容の確認を改めてしたようなものですが、それでももちろん、新たな(忘れていた)発見はありました。それはベートーヴェンが、その人生のいろんな時期にこのように事を言っていた(手紙に残していた)ことです。

 苦しんでいる貧しい人たちに私の芸術をもって奉仕しようという熱意は、幼い子どもの頃からのものですが、それに反する妥協は決してしたことがありませんし、また、貧しい人たちに奉仕することにいつもつきまとう内心の満足感以外に、私は何物も求めはしませんでした。

 しかし、こういった音楽理解は、優れた音楽家はすべて持ち合わせているものなんでしょうか、それともベートーヴェン特有のものなんでしょうか。
 例えばモーツァルトなんかは、こんな事考えなかったような気もしますし(完璧なバイアスの掛かりようですかね)、一方で、芸術は突き詰めていけば必ずこの境地に到達するという気もします。

 ところで、太宰治は私のフェイヴァレットな小説家のひとりなんですが、彼の作品に『畜犬談』というとっても出来のいいお話があって、そこにこんな一節があります。

 「(略)芸術家は、もともと弱い者の味方だった筈なんだ。」私は、途中で考えて来たことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。(略)」

 この部分はいわゆる太宰文学の「泣かせどころ」なのかも知れませんが、ベートーヴェンと異口同音に述べられる真摯な思いのほとばしりは、やはり偉大な芸術が共通項として持っている「人類の希望の姿」を示してくれているようでありませんか。

 この度「べ氏の生涯」を読んでいて、思いがけなく発見されたこの符帳の一致は、私にとって、とてもとても心温かくなるものでありました。


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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

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