学問的な情熱について

 年末、「忙中自ずから閑あり」とばかりに何冊か本を読みました。
 とはいえ、やはりあれこれ細かく忙しくはありましたので(「あれやっといて」「ちょっと、これしといて」「えー、まだやってないの」とかいう、例のヤツです)、あまりまとまった難しい目の本は読めませんでしたが、その中から一冊報告いたします。

  『ツチヤ教授の哲学ゼミ』土屋賢二(文春文庫)

 この本は「ツチケンシリーズ」の一冊ですが、今回は大学での「ツチケン」の講義中継という形です。真面目な本です。本来の文春文庫のツチケンシリーズと言えば、多くの方がご存じのように抱腹絶倒のエッセイ集で、既に二十冊近く出ていると思います。

 本書もさほど肩の凝らない本ではありますが、大学の哲学ゼミの実況中継ということで、「あなたの顔も性格もいやだが、あなた自身を愛する」と言われたらどう理解するのかというテーマを、ツチヤ教授と大学生とが討論しています。しつこいようですが、真面目な本です。

 実際、われわれが「そんなこと、当たり前やろ」と考えている事柄のほとんどについて、いちいち立ち止まって考え、確認していくときっとこんなふうになるのだろうなぁと言うことが、分かると言えばよく分かります。そして、まさに哲学的切り込みとはこうあるべきなのだなと言うことも分かります。

 しかしまー、はっきり言うと、ちょっとしんどい。
 非学問的非文化的無教養的に言ってしまえば「そんなテーマに意味あるんかぃ」と、思わず関西弁になってしまいます。「顔も性格もイヤで、ほんだらどこにおのれの好きなとこがあるんかぃ」とどんどん関西弁になっていきます。「目ー開けて寝言ぬかしとったら、しょうちせぇへんどー」
 ……ちょっとしんどいです。

 でもこのしんどさは、きっとすべての学問について言えることでありましょうね。
 本書を読んで私は、昔、理系の研究者に、彼等が行っている実験の気の遠くなるようなマイナーチェンジの繰り返しの話を聞いた時と同じ、恐ろしいほどの膨大な時間と手間を懸けてトライアンドトライを繰り返す学問的執念を感じました。
 だから、私が「しんどい」と感じたのは、これはひとえに今の私に学問的な情熱がないせいでありまして、それは、私が悪いのであります。

   思へば遠く来たもんだ
   十二の冬のあの夕べ
   港の空に鳴り響いた
   汽笛の湯気は今いづこ


 これは中原中也の詩の一節ですが、学問的情熱に対し「思へば遠く来たもんだ」とつくずく感じる自分が、年の瀬に、少々寂しいばかりでありました。


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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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