『去来抄』を読んでみました。

 俳句の本を読んでいると、やはり芭蕉がちらほらと顔を出すわけで、せやせやと思って図書館で借りてきました。
 『日本古典文学全集・連歌論集・能楽論集・俳論集』(小学館)その中から、『去来抄』、これ、頑張って読んでみました。

 とはいえ、実は、そんなに感心しませんでした。
 (確固たる古典作品を「感心しませんでした」ってのは、ちょっとまずいですかね。まー、読み慣れていないから、でしょうかねー。)
 しかし相手も、300年以上の作品であり、すでに歴史的役割は果たし終えているのかも知れませんね。例えば、こんな話。

 (問一)次の空欄に適当な語句を、後の選択肢から記号で選べ。

      鶯の舌に( 1 )花の露    半残
  ( 2 )、といはば風情あらじ。( 3 )、といはば句なるまじ。てやの文字、千金なり。半残は実に手だれなり。

  (選択肢) ア・乗するや    イ・乗せてや    ウ・乗せけり

 ははは。問題形式にしてしまいました。高校の古典の試験みたいですね。

 (1)は、ヒントがあるからすぐ分かるとしても、(2)と(3)は、まぁ普通は分かりませんよね。わからんのが普通です。

 原文では(2)→ア、(3)→ウとなるようです。『古典文学全集』では、頭注に簡単にその説明が付いているのですが、まぁ、ほとんど無意味です。
 こんな、身内の芸事についてのトリビアリズムが、書かれているわけです。

 いや、そうじゃない、いわゆる、芸術の本道といったことも、もちろん書いてあります。
 例えば、なんか高校の古典の授業で習ったような記憶のある、例の「岩鼻やここにもひとり月の客」って句(有名な句だ)の出てくる文章。

 あの話は、「月の客」のことを、作者である去来は、岩鼻にいるのを見かけた猿のこととしてこの句を作ったのだけれど、先師芭蕉はいわゆる「自称」、つまり猿に向かって私もここにいますよと語りかけたのだと理解する方が、格段に句のできが良くなると説明し、「誠に作者その心をしらざりけり」とまとめている、そんな話ですよね。

 僕も初めて読んだときは、うーん、全くその通りだ、さすがに、芭蕉はすごい、と思いましたね。で、今回も、やはりここは、わりと感心して読めました。

 あわせて、当たり前かも知れませんが、この人達、ほんとに本気です。本気で、必死で、俳諧についてあれこれ考えていらっしゃいます。僕のように一杯機嫌じゃないです。
 あー、当たり前か。

 「舌頭千転」だそうです。
 千回舌先で転がして俳句は作れということだそうです。千回も転がしていると、僕の場合わけわかんなくなりそうなんですがー。

 というわけで、頑張って日本古典に手を出してみましたが、なかなかに、古典を古典として理解するのは、なんていうか、やはり難しそうですね。




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テーマ : 読書記録 - ジャンル : 小説・文学

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