『網走番外地』を見る

 先日内田樹さんのブログを読んでいたら、映画について触れられた一文がありまして、そこにこんな事が書かれてありました。

 詰まらない映画とは、そんな映画を見たことを忘れてしまいたいという映画ではなくて、そんな映画を見たことが思い出せない映画のことである、と。

 ……うーん、なるほどねー。流石に上手に説明なさるものだなーと、わたくしはとても感心いたしました。

 実はわたくし、ここんところの古い日本映画鑑賞マイブームの許、けっこうあれこれとDVDで過去の日本映画を見ています。
 先日は『網走番外地』という、言わずと知れた高倉健主演の映画を見ました。

 この映画がまた、何と言いますか、まとまった一作品として考えますと、前後半が分裂している如くなんですね。
 いえ、少なくとも私はその様に感じてしまったんですが、そんなことありませんかね。

 後半が、やけにぶっ飛んだ感じになって、いわゆるリアリティに難があるように思いました。そしてなにより高倉健演ずる主人公の性格設定が、前後半で統一感のないものになってしまったように思いました。

 本当は最初から後半のような、少々人間性に難のある主人公の設定にしておいたらよかったのかも知れませんが、前半は「健さん」のストイックイメージに乗っかかっちゃったものだから、後半との乖離がヘンになってしまったのかも知れません。
 後半中心の、少し小ずるい感じもある主人公像で冒頭からやっていただいたほうがきっともっと面白かったろうになどと思いました。

 ……と、そんなことを考えていたら、先日の文化の日に、高倉健さんが文化勲章をお貰いになりました。その時のご感想に、私は撮ってきた映画の半分以上が前科者の役であった、というニュアンスの表現があったように聞きました。

 これはきっと巧まぬユーモアというものではなくて、充分に考えられた発言なんだとは思いますが、たまたま私は極めて初期の高倉健の映画を見終わったところであったものだから、とても説得力のあるユーモラスな発言だったと実感しきりでありました。


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テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

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