古いアメリカ映画を見た・その2

 以前に、映画の致命的な欠点は短すぎることだという「暴論」を、わたくし、吐きました。自分で言うのも何ですが、まー、「暴論」でしょーなー。例えばこれを、「短編小説の欠点は短すぎることだ」と言い換えれば、この論の無意味さ加減は際だって見えます。
 しかし私は、もう少ししつこく考えちゃうんですね。

 「短編小説の欠点は短すぎることだ」というテーゼの馬鹿馬鹿しさは、一方で長編小説があるからですね。長編小説があるからこそ、馬鹿馬鹿しいのなら長編小説を書くなり読むなりすりゃいいじゃないかという運びになるのであります。
 でも映画の場合は、いくら長い映画だといっても長編小説と比較すれば(そんな比較が可能としてですが)、やはり短いという言い方はほぼ妥当ですよね。だから、映画の欠点は短いことである、と。
 ……うーん、この理論、論理的な整合性がありますでしょうか。

 というわけで、今回見たアメリカの古い映画は『ダーティーハリー1』であります。
 なんだ、難しそうなことを言っておいて、娯楽アクション映画じゃないかとお思いの貴兄、いえ、誠にあいすみません。全くその通りであります。
 でも見ていて、この映画にどこか感じる「いびつさ」具合は、やはり映画が短いからだと私は感じたのであります。

 さて、この映画ももう40年以上も前の作品ですが、映画を見る限り、当時のサンフランシスコ警察も凶悪犯も、そしてキャラハン警部でさえも、おまぬけといいますか牧歌的といいますか、その行為はもっと悪い結果を招く可能性が考えられただろうというようなチョイスを次々に行い、しかしストーリーとしては全く「僥倖」としか言いようのない展開で「めでたし」に終わります、一応。

 でもこの都合の良さも、もう少しじっくり時間をかけて場面を作っていけば、何とかなる部分はあったかなと私は思い、そこで冒頭の「暴論」発言となったわけでありました。

 しかしまー、人ごとみたいに言いますが、私のようにそんな少々「ひねくれた」風に考える人間も世間にはいて、なかなかクリエイティブな仕事とは難しいものですね。

 ところで、この映画の中でとっても魅力的なシーンの一つに、キャラハン警部がハンバーガーをほおばりながらマグナムを撃つ場面があります。
 ハンバーガーを咀嚼しながら右手にマグナムをぶら下げて、大通りを渡っていくイーストウッドの、なんとかっこいいことか。

 そういえば、この間見た『卒業』では、家の玄関口でフライドポテトを口にするキャサリン・ロスがいましたが、あれもかわかいったですねー。
 うーん、何かを食べているシーンが好きだというのは、きっと私に何かコンプレックスがあるんでしょうね。
 どなたか、お教えいただければ幸いであります。


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テーマ : 映像・アニメーション - ジャンル : 学問・文化・芸術

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