我がバイアスのかかった結論

  『甲子園が割れた日』中村計(新潮文庫)

 少し前のことですが、外出して、ちょっと中途半端に時間ができたものだから、本屋さんに入りました。
 そして書店内をぶらぶらと歩いていた時に、たまたま見つけたのが本書でありました。
 本書には、冒頭に挙げたタイトルに加えてこんなサブタイトルが付いています。

  「松井秀樹5連続敬遠の真実」

 本書の内容は、まさにタイトル並びにサブタイトルから類推できるそのままのものです。
 1992年夏の高校野球甲子園大会で起こった「松井秀樹5連続敬遠」について、両チームの当事者の元高校生、監督、関係者さらには高野連役員などの発言を整理したり、さらに筆者がインタビューした内容であります。

 特にさまざまな立場の人物のインタビューを読んでいると、実にあれこれ考えさせる、十分な深みと楽しみのある内容でした。
 筆者は様々な人物の様々に立場について、粘り強く共感を引出していき、「立場」の中でも最も際立っていて、賛否の集中するであろう5連続敬遠をさせた立場=理論ですら、読んでいるとそれなりの理解ができそうであります。

 私はとても面白く一気に読み終えました。
 しかし、本書が読者にゆだねているテーマの一つ、「松井秀樹5連続敬遠」是か非かについて改めて考えていた私は、おそらく筆者が一番恐れていたであろう、少なくとも嫌がっていたであろう結論に、とうとう到達してしまったのでありました。

 それは、勝てばいいとは言わないが負けることは何も生まないと確信する高校野球関係者がいて、そのことを「非」とする根拠が必ずしも成立せず、そして読み手にもその論理が一定納得できるという状況が、高校野球にあるということであります。

 そしてそう理解した時、私が到達した筆者が恐れていたのじゃないかと思われる結論とは、つまりこういうことです。

 「スポーツに人生を重ね合わせるのも大概にしなければいけないな、まして、スポーツが教育であるとは、とても全面的には言えることではないな。」

 いつもと違わぬ我がバイアスのかかった結論なのかもしれませんが、しかし私がその根拠とするのは、人生とは、スポーツとは違って、必ず万人が負ける=死ぬものだと思うがゆえであります。


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