大長編・「音楽好き愛国者」の憂い・その4

 上記タイトルの4回目になります。そろそろ、決着をつけねばならないとは思っておりますが、依然として戦況は芳しくありません。苦戦です。

 というわけで、器楽曲の伝統では完敗でも、いやしかし、まだ「秘密兵器」がありました。
 日本には日本の美しい歌がある。唱歌がある。ドイツ・リートにも負けず、イタリア・オペラにも負けないふるさと美し・よろしく哀愁、日本の唱歌があるに違いない。いや、きっとある。
 と、まぁ、パトリオティックにそんなこと考えてた時に、こんな本を見つけました。

  『これでいいのか、にっぽんのうた』藍川由美(文春新書)

 いや、面白い本でした。いや、思いの外にためになる本でしたねー。
 例えば、次の設問を解け。

 (問1)次の4つ単語を、二つのグループに分けよ。
     ア・いつか  イ・ゆり  ウ・うみ  エ・くつ
 (問2)次の4つの単語の中に一つだけ仲間はずれがあるが、どれか。
     ア・さんぽ  イ・さんま  ウ・とんぼ  エ・きんか

 えー、おわかりになったでしょうか。
 要するに、発音と表記の問題であります。現代日本語は、発音と表記がほとんど無秩序と言っていい状態で混乱を極めていると、筆者は説きます。

 例えば、われわれでも時におかしいと思うこと。
 「中心」と「世界中」 ・ 「地上」と「地面」。
 ひらがなで書けばすぐに分かりますが、同じ漢字がひらがなで書くと表記が異なります。
 「三日月」「稲妻」。「みかづき」は「つき」でよくて、「いなずま」はなぜ「ずま」なのか。
 「仰げば尊し」は「あふげばたふとし」から来るのであろうが、それならば発音は「おう(オ)げばとう(オ)とし」にならないのはなぜか。「仰(おほ)せ」は「おおせ」であろうが。

 などと、表記と発音の矛盾は、例えば外国の歌手に日本の唱歌を教えるとき、ほとんど国辱的とも言える場面を呈してしまった経験を筆者は書きます。

 文部省唱歌『冬の夜』。「ともしび近く衣縫う母は…」。このフレーズが、
 「ともしび近く衣縫うハハハ…」。
 作者は血の気が引いてしまったと書いています。

 なぜこんなことになったか。理由はさほど難しくありません。
 とりあえず短めのスパンで考えると、明治以降の言文一致運動において、小説家・国語学者・そして有識者だれもが、表現としての日本語・読み書きとしての日本語ほどには、表記と音韻の統一と言うことに関心を払わなかったからであります。
 小学校で習う「くっつきの『を』『は』」などは、そのお気楽さの典型でありましょう。

 そしてそれは、つまりは「唱歌としての日本語」にだれも関心を払わなかったと言うことだと、作者は嘆くのであります。むべなるかな。

 ということで、著者が歌手だからこその、つまり単語の一つ一つの音について、極めて意識的に発音する職業者であるからこその、示唆に富んだ指摘が、とてもスリリングな一冊でありました。

 ところで、西洋音楽と日本音楽の比較検討は?

 もはや、そんなことを考えている時期ではありません。一つの憂いはさらに別の憂いを生み、日本の唱歌の危機が迫りつつあります。すべからく我々は、それへの対応策を考えねばなりません。

 「戦いをこえて歓喜へ」
 西洋音楽・日本音楽、共に手を携えて頑張ろうではありませんか。

 というわけで、上述の問題の答え。
 (問1)・無声音的な「ウ」を含む単語……いつか、くつ
     ・唇を前に突き出して発音する深い音色の「ウ」を含む単語……ゆり、うみ
 (問2)「sampo」「samma」「tombo」「kinka」

 ということで、うーん、日本音楽も困ったことですなー。

(あ、今回で「大長編」おしまいです。なんだ、全然「大長編」じゃないじゃないかって、言わないでくださいね。)

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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

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